二 獏と影踏み

 依頼から帰ってくると、御影は帯で縛り上げられた。

 今朝の喧嘩は、御影も享火も悪かったということで、どちらも吊るし上げが決定したのだ。

 だが、百七十九糎のマッチ棒をポールハンガーに吊るすわけにはいかない。吊るしたらポールハンガーは折れて、享火が御影の下敷きになるだろう。

 考えた克己は、彼のためだけに印を結ぶことにした。


「捕縛の印『帯結び』」


 足元に置いてあった和傘を開けば、隙間からシュッと青色の帯が伸びてくる。天井にはりがない部屋なので、克己は御影を縛り上げて床に転がした。

 それをデスクから見守っていた夕暗は、御影のあの夜空色の瞳と目が合って「可哀想……」という気持ちが湧いたが、同時に底なしのうすら寒さを感じたので目を逸らした。


「それで、依頼はどうだった」

 自分のデスクに戻ってきた克己が聞いてきたので、事のあらましを伝える。それからお祓いで石化した鎌鼬は、規定通り麒麟堂が管理している裏山に封印する予定だとも言った。

 麒麟堂はこの町の中にある小高い山を所持していて、そこにはいくつもの石化怪異が埋められていた。そこは神がお座す山であり、怪異達が少しでも快適に眠れるように、と麒麟堂の社長が考えて選んだ場所だった。

 現在は出張で不在の社長だが、石化怪異を封印する方法には反対らしい。反対をしているが、政府がそれを推奨している以上やらないわけにはいかない。

 もどかしいが、怪異屋の立場は政府に反対できるほどいいものじゃなかった。けれどあの社長ならいつかやってくれると、麒麟堂の面々は信じている。


 閑話休題。

 暫くは仕事をしていた夕暗だが自分のデスクの書類をめくっていると、書簡が紛れ込んでいるのに気が付いた。

 裏表を見ても何も書かれていない、切手すらない。近所の人が直接持ってきたのだろうか?


「これは?」

「ああ、事務員から渡されたものだ。郵便受けに直接投函されていたらしい。妖しい手紙だからお前にやった」

「呪いが込められてたらどうするのよ」

 夕暗の言葉に、克己は鼻で笑った。夕暗が死んでも構わないという事だろう。つくづく嫌なやつだ。

 夕暗は怪訝な表情をしながらも、依頼書と一緒に紛れ込んでいたのならばもしや、と何も書かれていない書簡を開ける。そこには興味深い文章が書かれていて、読みづらいが意味はなんとなく分かる。そしてその意味を完全に理解したとき、夕暗はガタと音を鳴らして立ち上がった。


「克己くん、読んでみて」

 今度は克己が怪訝な顔をする番だった。

 彼はいかにも嫌そうな顔をしながらも、手紙を奪うように手繰り寄せた。


「……何だこの文は」

「怪文書?」

「これは駄文だろう」

「……後世では流行るかもしれないわ」

 克己は本気で言っているのか? というような顔をしたが、その内容に翡翠ひすいの瞳を鋭くさせた。あの克己が真剣な表情で読み進める手紙に、享火は興味津々という風に首を伸ばす。

「これは……久しぶりに全員で出ないとだな」

「何が書いてあるわけ?」

「なんだ」

 享火が頬を膨らませながら言い、さらに御影まで興味を示したところで、勿体ぶっていた克己は口を開いた。


「最も厄介とも言われる怪異、ばくのお出ましだ」


   1


 獏の依頼が来たという事で、麒麟堂はにわかに騒がしくなった。だが依頼は他にもあるため、二人ずつ組みながら交代で片付けていく。依頼は暫くの間受け付けれないだろう──そう考える社長代理の克己は、周りから見ればいつも通りの傲岸不遜ごうがんふそんに見えたが、背中は粟立っていた。


「手紙を書かなければだな」

 夕暗と御影は依頼に行き、享火までもが外に出て行った今、克己は独り言ちるように言った。便箋なんて洒落たものを持っていなかったので、夕暗のデスクから勝手に拝借する。それから筆を執ると、お世辞には綺麗とは言えない字で書き始めた。

 彼が呼び出そうと思っているのは、社長──東尾ひがしお あるくの弟である。

 放浪しながら怪異を封印して回っている彼だが、どこに居ようが手紙は届くし、どこに居ようがすぐにやってくる。

 そういうやつだ、と思わないと理解できない存在だった。ある意味で化け物な東尾弟だが、社長はそれ以上に化け物なので、怪異屋の間では東尾弟はあまり名が知れていない。


「……完璧だな」

 書き終わった克己は静かに言う。だが、克己の字はとてもじゃないが読める代物じゃない。これが東尾弟じゃなければ突き返しているレベルだった。

 克己の字の汚さは、完璧なふりをしている克己の三大欠点のひとつ。字の綺麗な夕暗が矯正しようと思ったが、匙を投げるほど酷いものだった。

 そんな書簡を事務員に託すと、ちょうど依頼人が来ていると報告が入る。克己は依頼を受け付けていないはずだが? と苛立ちを隠しもしない。


「なんでも、夕暗さんたちにお礼がしたいそうですよ」

 事務員は慣れた態度で克己をあしらった。こうなった状態で抵抗すれば自分が子供のようになると知っている彼は、考えるそぶりをしたあとに談話室へ向かった。


 談話室にいたのは二人の女。一人はで、もう一人は腕にびっしりと切り傷がある。

 それを見て曲がりなりにも「痛そうだ」なんて思わないのが克己だった。目もくれずに向かいにどっかり座ると、茶を出した事務員が克己に変わって説明を始める。


「こちら、社長代理の克己さんです。克己さん、お客さんは糸 曙さんと赤松 深雪みゆきさん。依頼に対する礼と、依頼をしにきたそうです」

「すまないが、現在依頼は受け付けていない。謝礼は受けているがな」


 克己は鼻で笑いながら言うと、腕を組んで顎をしゃくった。

「あらまあ、お偉い方なんですね。ご紹介にあずかりました、糸 曙です」

 曙の馬鹿にしたような言葉に、赤松も続いて言う。

「あたしは赤松 深雪です」

「……克己だ。姓はない」


 克己は渋々名前を名乗ると、曙は不思議そうに「夕暗さんたちは?」と言った。

 克己が仕事に出てると言えば、二人は残念そうにしながらも礼の品を差し出してきた。勿体ぶらないのはいいことだ。金か、菓子か、あとで確認しておこうと思いつつ、用が済んだ克己は紙袋を持って席を立とうとした。

 その瞬間、曙がぐいっと頭を下げる。


「お願いです。この子の腕の傷を治してやってください」

「は……?」

「曙さん!?」

「深雪ちゃん、やっぱりあんた、不憫だわ。お願いです、克己さん。彼女を治してください」

 なんだこのおばさんは。自分に涙ながらに訴えるとは。

 そう感心したように見下ろす。克己はどこまでいっても優しくないやつだった。だが、二人の寸劇は面白いなと頬を上げる。


「曙さんには鎌鼬のことでお世話になったんですよ……? もうこれ以上、お世話になれません」

 きっぱりと断る赤松に、克己は少しだけ興味が湧いた。

 どうしてやろうか。少しは治してやってもいいかもしれない。そう考えた克己は和傘を取り出した。

「そ、それは……?」

「黙ってろ」

 克己はその和傘を開いてくるりと回す。するとだいだいがひとつ、ぽとりと落ちてくる。季節は夏の終わり頃。橙の時期より少し早い。


「やる」

「……え?」


 克己は、当たり前だが理解の追い付かない赤松に苛立ちを覚えた。

 苛立ったまま、赤松の口に橙を押し付ける。唇に触れるぐらい強く押されて、赤松は顔を真っ赤にさせた。だが、それを口にした途端に治っていった腕のほうが驚きだった。それに二人は目を丸くして、克己を見る。


「なんですかこれ!?」

「橙だ」

「傷が治ってる……すごいわ」

「ただの橙だ」

 まさかそんな訳ないだろう! と赤松は怪訝顔をしたが、そっぽを向いて橙、橙と連呼する克己に察しがついた。

 確かに、赤松が受け取ったのはただの橙だ。決して、依頼通り傷を治してくれるような凄いものじゃあない。傷が治ったのは偶然だ。

 曙と赤松は感極まったように涙を流した。けれど、顔は晴れ晴れと笑っている。


「ありがとうございます。橙、美味しかったです」

「偉い人思うてたけど、案外庶民派なんですね。見直しましたわ」


 二人の言葉に、克己は怒ったように言う。

「黙れ、用がなければ帰れ」


 その言葉に顔を見合わせた二人は、深く頭を下げてから席を立った。これが克己の気紛れと知らない赤松は、頬を真っ赤に染める始末だ。

 それから二人は、またお礼に来ようと話し合うのだが……それから約半月に渡り麒麟堂が店を閉めることはまだ知らない。


   2


「本当にここなの?」

 先陣を切って歩いていた享火が、振り返りながら言った。


 季節は冬になり、ようやく獏に囚われているという依頼人の元に行く準備が整った。依頼人とはあれから文通をしていて、だがその度に『記憶を失っていく』『過去を忘れていく』との報告があった。

 このままでは依頼人が記憶を完全に失ってしまう。そうなると夕暗たちは彼を助ける事ができないだろうと、大慌てで住んでいる場所を聞いた。

 向かった先は雪に覆われた山の奥。足跡が付くことすらない享火は、ふらふらと景色を眺めながら歩いていたが、唐突に表れたボロ小屋を前に怪訝そうな顔をした。


「文通での情報が正しければ、ここに住んでいるはずよ」

 夕暗がいうと、克己も頷く。だが享火は納得いっていないらしい。

「こんな遠くからどうやって手紙を送るわけ? それにさ、享火、思ったけど、こんなに寒いんじゃあただの人間は死んじゃうよ」

 その言葉に、夕暗と克己は黙り込んだ。もしかしたら享火と同じで亡霊なのかもしれない。そんな考えを片隅に置きつつ、その掘っ立て小屋のような建物の入り口を叩いた。


「すみませーん」

 返事はない。見かねた御影が、ささくれた扉に触れて開ける。

 家の中は質素なものだった。戸棚がひとつと後は藁が敷かれた場所がある。敷布団替わりだろうか。

 そんなことを考えつつも、夕暗はそっと家の中に足を踏み入れた。

 だが、下駄を脱ぐ場所がない。困り果てた夕暗はその場で立ち止ったのだが、続いてみんなも家に入ってくる。仕方がなく生活圏に入ってしまった。


「ごめんなさい、家主さん」

「構わないだろ」

「大丈夫だよ、砂利まみれだし」

「夕暗さんが気にすることじゃない」


 亡霊である享火は良しとしても、残りの二人はどうにかならないのだろうか。

「もう少し常識というものを持ってほしい」

 と溜め息を漏らした彼女は、物陰から何かが飛び込んできたことに気づく。


「おりゃ!」

 そう言って出てきたのは、白色の髪をした少年。

 目は充血したように真っ赤で、一瞬『怪異憑き』かと思ったけど、すぐに白子病しらこびょうという存在に思い至る。


「白子病?」

「御影くんは知らない? 色素が極端に少ない人間のことよ」

「……あんたら誰だよ。僕の家になんの用だよ」


 少年は意味不明と言った風に言った。こんな山奥だ、人が来ることも少ないのだろうと夕暗が考えている内に、彼は夕暗の足から離れた。

「わけわからねえよ。なんで僕の家に人がいち、にい、さん、よにんも……」

 その言葉に、麒麟堂の全員が驚いた。

「享火のこと見えるの!?」

「ん? きょーび?」

 少年は、亡霊であるはずの享火が見えるようだった。そんな少年は視線を集めて恥ずかしがるそぶりを見せる。

 もしや、彼も既に死んでいるのでは!?

 と夕暗と克己は幽霊の少女を見たが、彼女は首を振った。地縛霊である享火が違うと言っているなら、違う。ではなにかといえば、彼は怪異憑きだったのだ。

 怪異憑きは半分だけ人間を辞めているので、人間じゃない存在を感知できるようになる。だから享火のことも見れたのだろう。白子病で怪異憑き、これは珍しいと考える克己。一方で、夕暗は彼が何者か見当がついていた。

 怪異憑きの少年で、この家にいる。それが示すことはつまり、

「……あなたが依頼人の八馬やま 創作そうさく?」

 ということだろう。夕暗の考えに、少年は頷く。

「そうだけど。ってあんたら、怪異屋か?」

「そうだ。俺は克己。そこの愚図は夕暗。小さいのが享火で、でかいのが御影だ」


 克己の紹介に創作は胡散臭そうな顔をしたが、信じたのか、適当に足で掃いた床に四人を案内する。そこに座れという意味だろう。夕暗は抵抗感を持ちつつ座る。克己は絶対に嫌なのか立ち続ける事にしたらしい。

 御影は座ると夕暗の手を取り、享火は気にせずどっかり座った。


「それで、獏ってのはどこにいるの? 享火、獏は一度も見たことがないから楽しみだったの!」

 享火は興奮したように言った。その場にいる全員が呆れ返り、創作は迷惑そうな顔をしたが、獏を呼ぶ気はあるようで左手の指を一本上げる。


「獏、お前をお呼びだよ」

 そう言った瞬間、夕暗たちは強烈な眠気に襲われる。そうだ、獏がいるのは夢の世界。つまり会わせるという事は夕暗たちを眠らせるということ。

 お祓いも印も知らない少年は、そう言うとばたんと倒れた。

 獏はここにいる全員を夢の世界へ引き摺り込もうとしていた。夕暗は退怪の印を結ぼうとしたが、間に合わず、そのまま倒れそうになる。その前に、御影が彼女を手繰り寄せた。


 夕暗が気を失うなんて珍しいな、なんて考えていた御影は小さな声で言う。

「……獏の力か」

 よく見れば、そこにいた全員が眠りについていた。起きているのは御影のみ。御影は夕暗が寝ているのをいいことに、彼女の髪をすーっと解く。

 そしてゆっくり、人形を撫でる少女のように彼女の髪を梳くと、その夜を閉じ込めた瞳を妖しく輝かせた。


「たまには良いこともしてくれるじゃないか」

『……死にぞこないの怪異が馬鹿を言う』


 そのしゃがれた声は確かに御影の耳に届いていたが、彼は無視をすることにした。


   3


 気がつくと、黄金の野原に立っていた。どこまでも続く金色の草の中だ。

 揺れる原っぱとは対照的に、暗く染まった空は白い光で埋め尽くされている。その中を流星がシューッと落ちていった。いくつもいくつも落ちていき、夕暗はやっとこの景色に懐かしさを感じる。


「ここは……あの日の」

 夕暗の中で、ある記憶に焦点があてられた。まだ夕暗が怪異憑きじゃなかった頃、幼かった九歳の誕生日。あの日、母と喧嘩した夕暗は家を飛び出した。そしてと会うために、この原っぱを目指した。

 忘れていた──あの頃はずっとある少年と遊んでいた。ちょうど自分の後輩と同じような金糸の髪に、群青色の瞳を持った彼。夕暗より少しだけ背が高くて、髪は地面に付くぐらい長かった。


 その日は約束をしている訳ではなかった。けれど、会えると信じていた。

「✕✕くん!」

 思わず口からついて出た言葉。口を押さえようとして、夕暗は自分の体が自分の意思で動いていないことに気づく。

(過去の再現……つまり、これは夢)

 自分では聞き取れなかった名前が過去の自分の口から出るたびに、夕暗は頭がかち割れるような感覚に襲われる。


「夕暗、なぜ来たんだ」

「✕✕くん!」

 声が聞こえ、過去の自分が嬉しそうに彼の名前を呼んだ。声は原っぱの草の中から聞こえてきて、二人の夕暗は首をかしげた。

「どうして姿を見せてくれないの?」

「呪われているから」

「✕✕くんは呪われてないよ?」

(やめて、もうやめて)

 頭が痛くて仕方がない。夕暗が頭を抱えてしゃがみ込むと、それに代わって彼が立ち上がった。

 そこに居たのは一匹の鹿。いや牛? それとも馬だろうか。顔は龍のようでもあるし、でも幼さも孕んでいる。そんな存在に、過去の自分は腰を抜かした。

「だれ……」

「✕✕だよ。夕暗」

「でも、あなたは人間で……」

「怪異は怖い?」

 過去の自分にそっと触れた怪異は、それから彼女の鼻に自分のそれをくっ付けた。


「結び給え、祈りを響かせ、怪異『麒麟』の灯火を彼女に授け」


 それは怪異屋が使うような祝詞とそっくりだった。でも、幼い過去の自分はよく分かっていなくて、静かに首をかしげる。それどころか彼の顔に手を差し伸べる。

「✕✕くんなら怖くない」

「ふふ、ありがとう。愛しいおれの灯火」

「ともしび?」

「獣と獣はつがうだろう? おれ達だって同じだ。まあ……おれはもうすぐに死んでしまうけど」

「✕✕くん死んじゃうの……」

「大丈夫。なんとかして生きながらえる方法を探すから」


 そう言って、彼は鱗を散らしながら人の姿に戻った。過去の自分は馬鹿なことに、彼がいつもの姿に戻って安心している。

 その姿は自分の後輩を小さくしたようで、瞳の色は先程と違って真上にある空と同じ色をしている。

 そして、その目の中を飛んでいた幻の魚『幻影』に過去の自分が見惚れていると、彼は内緒話をするように彼女の耳に近づいた。

「夕暗が見たいなら、おれがこいつを飛ばしてあげる」

「それって幻影?」

「そう。初夏にこの町に飛ぶ怪異『幻鱏げんえい』だよ」

「でも今は秋だよ?」

「ちょっと早いぐらい大丈夫さ」


 早いって半年は後の話なのに、と思ったことを思い出す。

 そうだ。なぜ忘れていたのか。あの年は、夕暗の誕生日である九月に幻影が降り注いだのだ。

 どうして忘れていたんだ。なんで、少年との……恐らく過去の御影との記憶が無いんだ。


『それはそこな怪異が意地悪だからさ』

「誰……?」

 突然聞こえてきた声は、夕暗の頭の中に響く。嗄れた声に眉をひそめると、夢の中の御影と目が合った気がした。

『おや、嫉妬でもしているのか。つくづく傲慢だ。死にぞこなっただけある』

「……どういう意味?」

『意味の前に自己紹介を。人間はそうするだろう?』

 そう言うと、声の正体はその黄金の原っぱに姿を現した。それは四足歩行で、白と黒色をしている。噂に聞く怪異『獏』と同じ姿に、夕暗は目を瞬いた。


『御明察。私は獏。あの少年……創作に一時的に身を寄せている獏だ』

「何をしに来たの」

『面白い子が居てね。君だよ、夕暗。君の記憶は封じられていた』

 獏は、そこの意地の悪い怪異が封じ込めたんだよ、と笑った。そこ、と言われてそれが御影であることにややあって気づいた。

 御影がどうして過去の記憶を封じ込めるの? そんなに、過去の夕暗が鬱陶しかったの?

 そう考えていた夕暗だけど、獏はケラケラと笑った。


『まるで的外れな考えだね。そりゃあそうか。人間は灯火の意味を知らない』

「灯火ってなに? 御影くんは私になにをしたの?」

『それは本人に聞くことだな。さて、そろそろ潮時か』

 獏がそう言った瞬間、見慣れた橙色の和傘が夢ごと獏を切り裂いた。崩れ落ちた獏は、白と黒の勾玉のような石になる。


「おい、愚図。なに夢に囚われてるんだ」

「これが夕暗お姉ちゃんの夢? って、なんで御影がいるの?」

 そこに居たのは克己と享火だった。どうして獏を切り裂いたんだと八つ当たりのような考えが浮かんで、夕暗は首を振った。

「御影くんは?」

 夕暗は今すぐにでも過去の出来事を聞きたくて言う。けれど、克己は「夢の世界には居なかった」と言った。つまり、御影はあのとき眠っていなかったという事だろう。

 彼は夕暗たちを起こそうとしてくれなかった。起こせなかったのかもしれないが、そんな筈ないと過去を思い出した今の自分が言う。もう彼という人物がよく分からなくなった。


「何をしたいのよ……」

「夕暗お姉ちゃん?」

「いい。とりあえず、夢から出ましょう」

 夕暗がそう言うと、克己の和傘は三人が入るくらい大きくなる。そして克己が、

「退怪の印『唐傘からかさ』」

 と言った瞬間──傘が夕暗たちを覆い、気が付けば、夕暗たちは創作のボロボロな家の中にいた。


   4


 目が覚めて、夕暗はばっと起き上がる。現実世界に戻ってきたのだ。

 夕暗は、さっそく御影を探そうと思ったところで自分が何かを踏みつけていることに気が付く。下を見れば、そこには御影が寝転がっていた。

 ……御影の上に寝ていたの?


「どういうことよ」

「おはよう、夕暗さん」

 頬を染めて言った御影に嫌な顔をしながら、夕暗は御影の上から降りた。その様子を見ていた克己は顔を真っ赤にしてそっぽを向き、享火はひゅーひゅーとはやしている。

「御影くん、言い訳を聞かせてくれる?」

「言い訳ではないけど。夕暗さんが冷えないようにって」

 どんな理由だ。

 抱きしめられているような状況で、どうして自分は起きなかったんだろうと呆れ返ったが、それでも『嫌』ではないのね……と溜め息を漏らした。

 記憶を思い出す前なら張っ倒していただろう。そんなことを考えつつ、克己の手元に目をくれた。


「獏、石化したのね」

「それしか出る方法がなかったからな」

 もう少し待ってくれれば、もっと情報が手に入ったのかもしれないのに。なんて事を考えて、首を振る。

 御影は怪異『麒麟』であり、何らかの理由でと知れただけいいじゃないの。そう頭を切り替えた夕暗は、今だ眠っている創作に目をくれる。

「蹴り起こすか?」

「やめなさい」

 夕暗がやめろと言ったのに、克己は足を振り上げた。その瞬間、創作は気配を察知したかのようにばっと起き上がった。


「はっ、記憶が奪われてない!」

「……起きたか間抜け」

 克己は残念そうにしながらも足を降ろした。そして捕縛の印を結び、彼を縛り上げる。天井の梁に通して吊るすと、創作は顔を真っ赤にして言った。

「なんでこんなことするんだよ!」

「お前が嵌めたからだろう」

「嵌めてなんか……事前に説明するのは忘れてたけど」


 創作曰く、獏を呼び出す──怪異屋で言う『印を結ぶ』行為をすると、強制的に眠りにつかされるらしい。獏は夢の中にしか存在できず、怪異屋だからそれは知っているかと思っていたようだ。

「享火たちもそれは知っているけど、本当に呼び出すとは思わないよ……」

 呆れたように言った享火は背中に背負っていた大きな瓢箪からお酒を飲んで、克己が結んだ印を断ち切った。

 夕暗はふと気になったことを不満顔の克己に聞いた。

「創作くん、怪異憑きだったよね? どうやって縁を切ったの?」

 怪異憑きと憑き物(怪異)の縁はなかなか切れない。だからこそ『ただの人間には戻れない』と言われている。なのに創作はただの人間に戻っているし、獏は克己の手の中で石化している。


「獏が望んだんだ」

 返事に困った克己に変わって、創作がそう言った。その言葉を聞いた克己は、思い至ることがあったのか、鼻で笑いながら言う。

「怪異に一度憑かれ、怪異側から縁を切ったのならば、お前の寿命は長くない」

 克己の言葉に夕暗は心を痛めたが、当の本人である創作は何とも思っていないようだった。

「大丈夫。過去の嫌な記憶はもう持ってないし、どうせここで野垂れ死ぬのは分かってることなんだから」

「本当にそれでいいの?」

「僕は文字さえ書ければいいんだよ」

 創作の言葉に、あの怪文書か──と麒麟堂の面々が呆れ返った。けれど麒麟堂のみんなにできる事はこれ以上ない。仕方がないので、夕暗たちはせめて食べ物だけでもあげようと懐から取り出した。

「はい、クッキーをあげるわ」

「しょうがないから、享火がミルクキャラメルあげる」

「……嫌だが、夕暗さんがあげるのなら。おれも金平糖を」


 それぞれ渡したところで、全員の視線はまだ渡していない克己に集まった。克己はすごく嫌そうな顔をしながら、胸ポケットから一冊の本を取り出す。

「これで愛を学ぶことだな。それで嫁を捕まえろ」

 意外に思うかもしれないが、克己は恋愛小説が大好きだ。東尾社長の次に好きなものが巷の小説だった。そんな彼が、最も大切にしている恋愛小説『藍の先には愛がある』を渡すなんて……少ししかない親切心を総動員させたのだろう。

 そんな失礼なことを考えながら、夕暗たちは砂利まみれの床を立った。


「頑張って生きろよ」

「獏は享火たちで封印しておくから!」

「……」

「依頼をしてくれてありがとう。また、麒麟堂にはいつでも遊びに来てくれていいからね」


 最後に夕暗が締め括ると、克己がこちらをギロリと睨んだ。いつでも来てというのはよくなかったらしい。創作がこちらに向かってにっこり笑ったから、夕暗たちはその家を後にした。


   5


 後日談を言わせてもらえば、思ったよりも早く石化から復活した獏が逃げ出し、麒麟堂は責任の押し付け合いでにわかに騒がしくなった。

 ついには獏を追い続けていたという東尾弟が麒麟堂に腰を据えると言い出したところで、依頼人がやって来た。その依頼人の言葉に、夕暗は動揺させられた。


「麒麟が死ぬぞ、麒麟が殺されるんだ!!」


   (続)

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