第2話 八月・廃洋館の幽霊

 「で、今月のネタは何?」


 机の上に足を投げ出して、英美里えみりはなげやりに言った。暑い。


 「うん。ここ数年、岬の廃洋館に夏の間だけ幽霊が出るって噂があったんだけど」

 「だけど?」

 「今年は誰も見てないらしいんだ」


 机の上のノートから下敷きを引っ張り抜いて、ぱたぱたと扇ぎ出す英美里。暑いよね、夏は。


 「そんなの、幽霊の都合でどーとでもなるじゃない」

 「幽霊の都合って……」

 「それでさ。今年はその廃洋館から少し離れた工事現場の事務所跡に、幽霊が出るらしいんだ」

 「なにそれ」

 「引っ越した、って噂になってる」



 私立きいちご学園高等部は、まるで戦前に地方へ避暑目的でいくつも建てられた高級ホテルのような瀟洒しょうしゃなデザインの校舎がいくつも乱立しているのが自慢。だだっ広い敷地には山と森と湖があり、湖の向こうには中等部と小等部がある。向こうまで歩いて二十分はゆうにかかるので、あまり行き来はない。


 基本的に教室や図書室などは冷暖房完備なんだけれど、空き教室についてはその機能を切られている。不思議研究会が使っている、三階のこの空き教室もやはり冷暖房は切られていて……夏暑く冬寒いという、日本の気候をダイレクトに反映した環境システムがウリであった。


 褒めてない、褒めてないよ。


 だもんで、窓を全開にして換気するくらいしか手がないのだけれど、窓を開けると他所の教室のエアコン室外機からの熱風が入り込むという灼熱地獄が待っているのだった。部員数五名以下で学校側から正式な認可を受けていない同好会は、みんな等しくこの環境で頑張るしかない。


 「ねー英美里ー、あとメンバー二人増やして部への昇格目指そうよー」

 「駄目!うちは由緒正しい同好会っていうのが誇りなんだから。あー暑い」

 「文芸同好会は今年の春で部に昇格して、図書室を手に入れたそうだよ」

 「あれっ、図書室ってポエム部じゃなかった?」


 ポエム部。詩を作ったり朗読したりするだけの、オリジナリティ溢れる部活動だった。


 「文芸部に吸収合併されたみたいだよ。文芸に詩も含むってことで」

 「あー、ポエム部も先行きが怪しかったもんね」

 「それだ!」


 英美里がばん、と机を叩く。


 「どれ?」

 「吸収合併よ!どっかの部活動を吸収して、エアコンを乗っ取る!」

 「乗っ取っても、人数多いだけの同好会になるからエアコン止められると思う」

 「あー……」

 「考えてから喋ってよ英美里」

 「うっさいわね、ならなんとかしなさいよ美代子」

 「どこかから扇風機でも拾ってくる?なんて」

 「照明以外の電源は切られてるっつーの」


 そうなんです。こうしないと色々持ち込む生徒が続出するんです。スマホの充電もさせてくれないの。


 「あーもう!じゃあ今夜はその工事現場に行くわよ!」

 「えっ?」


 何の話だろう、と私は首をかしげる。はて、工事現場?



 「幽霊が出るんでしょ?更科、あんたまで一緒になって首傾げてんじゃないわよ、あんたが持ってきたネタじゃないの!」



 ぽん、と手を叩く更科くん。


 「ああ、そうだ。そうだった」

 「ほんの数十行前の自分の発言くらい、ちゃんと覚えてなさい!ったく、ただでさえ暑いのに」


 あはは、メタ発言で怒ってる。


 とにかくまぁ、そんなわけで今夜は肝試しに決まったのでした。





 私の名前は市川美代子。ここ私立きいちご学園高等部に通う十六歳、花の女子高校生なのだ。二年生で、クラブ活動は不思議研究会に所属してる。


 不思議研究会は、このきいちご学園創立時からあるという由緒正しい同好会で、四十七代目会長は親友の紺野こんの英美里。もう一人のメンバーとして、英美里とは幼なじみの更科粉太郎こたろうくんがいます。みんな二年生、同じクラス。


 ちなみに英美里と更科くんは幼年部からずっときいちご学園の生徒で、私は高等部からの外部生だったりします。外部生ってあんまりいなくて、珍しいって理由だけで英美里がくっついてきたのが仲良くなった理由です。


 第一話でできなかった自己紹介はこんなものかな?後は折を見てということで。


 ちなみに、八月は夏休みだけど各部活・同好会は学校側に活動記録を毎月提出する義務があるので、こうして出てきているのです。変な決まりだよね。





 今を去ること十年前、山を貫くトンネルが出来たおかげで、それまで岬の山をぐるっと回っていた道は旧道となった。旧道沿いには特に民家も施設もなかったので、そのまま旧道は廃道となったそうです。


 で、そのトンネル工事に使われた事務所跡が、当時のまま放置されてるという話なんだけれど……行ってみたらひまな若者だらけだった。


 「なにこれ……」


 カップルとかグループとかがわんさかいる。中学生みたいな子も混じっている。英美里の肩がわなわなと震える。


 「あはは、去年まで洋館の方見に行ってた人が、今年はみんなこっちに来てるみたい。なんかお祭りみたい」


 更科くんも苦笑い。露店まである。どんつくどんつく音楽が響き、向こうでは踊っている人たちもいるみたい。


 「わーチョコバナナ売ってる。更科くんチョコバナナだよ」

 「参ったな、これじゃ幽霊どころじゃないね」

 「あーもうイライラする!みんな流行りに流され過ぎ!」

 「まぁ噂を聞いてきたのは僕たちも一緒だし」


 ぐぬぬ、と拳を握っていた英美里は、高らかに宣言する。



 「こうなったら、廃洋館に行くわよ!」



 廃洋館。昔、病弱だった華族のお嬢様のために作られたとか、進駐軍(ぇ)の避暑のために作られたとか、元ラブホテルだとか精神病院跡だとか色々な噂があるけれど、誰も本当のところは知らない。


 工事事務所跡から歩いて十五分くらい。海に面した岬の手前、背の高い草むらと雑木林に囲まれるような形で洋館は建っている。煉瓦造りは古びていてもさほど痛んでなくて、門も鉄の柵も錆びてはいても朽ちてはいない。海に面しているのにちょっと不思議ではある。


 「あれ?」


 懐中電灯で煉瓦の壁を調べていた更科くんが声を上げた。


 「何よ更科」

 「ほら英美里、ここの目地見て」


 更科くんの言う目地っていうのは、煉瓦と煉瓦の間にあるセメントとかモルタルの継ぎ目部分のこと。広くてもだいたい四ミリくらいかな?


 彼の指さすそこは、その周りとは色が違っていた。


 「これ、新しく塗り直してるね」

 「廃屋の壁の目地を?」

 「ここの煉瓦は新しいのに替えてあるし、そこの庭木も、ほら」


 更科くんの懐中電灯が照らす先、庭に植えてある……というか生えている?木の枝が、まるで剪定されたかのように整っている。それも、表から見えない部分だけ。


 「……誰かが手入れしてる?」


 私はそっと、窓から中の様子を伺ってみた。汚れたガラスの内側はよく見えない。何かが動いたような気もしたけど、更科くんの懐中電灯の光が反射しただけのようだった。うーん、やっぱり中に入らないと駄目かも。


 「よし、中に入るよ」


 英美里はナップザックからタブレットを取り出して、画像を表示させる。これまでに肝試しをしてきた猛者たち、その集合知と言うべき洋館内部の見取り図。こんなものが出回るくらいには有名スポットだったりする。


 「まずは二階からね」


 しんと静まり返った洋館の中。去年までの報告にあった、壊れた食器棚とか割れたお皿とか、倒れたテーブルなんていうものはどこにもなく……


 「これ組み立てて足場にするやつだね」

 「こっちのはコーキング材?水回りの修理かな。三角コーンもある」

 「コンビニ弁当のゴミに軍手……」


 なんか違う。こんなの幽霊が棲む洋館じゃない。ぼろぼろのベッドがあったという寝室にも、そういった廃墟っぽいブツは一切なく、ブルーシートを敷いた上に壁用の塗料缶が置いてあった。


 「……誰かが工事してるってことだよね」

 「補修工事だね」

 「よし、判った」


 すう、と英美里が息を大きく吸った。そして。



 「責任者、出て来ーい!!」



 ものすごい大声で怒鳴った、すると、開けっ放しのドアの影から人影が。


 「勝手に入って来て何言ってるんだ、工事の邪魔しないでくれ」

 「わわわわわわわわわわ、お化け!フランケン!」


 出て来た人影は、黄色い安全第一ヘルメットをかぶったでっかい人で、よく映画とかテレビで見るフランケンシュタインそっくりな男だった。身長二メートル以上あって、ゆっくりのっそり動く。おっかない顔……というより、すっごく迷惑そうな顔で私たちを見てる。


 「いや、フランケンシュタインっていうのは怪物を作った科学者の名前でね」

 「何冷静に解説してんのよ更科!」

 「まーた人間か。お前らが来ると、工事が進まないんだよ」


 うんざりしたようにフランケン……あっと違うんだよね、は言って、ちょいちょい、と指で誰かを呼ぶ。扉の影には、彼と同じ黄色いヘルメットをかぶったガイコツの人がおずおずとこっちを覗き込んでる。うきゃー、お化けだガイコツだ!


 「ほれ、いいからそっちは工事進めて進めて」

 「工事?」

 「そうだよ。夏の間に修理しないと、冬を越せないだろ?」

 「冬?」

 「なんだ、最近の子供は冬も知らないのか」

 「そんなわけないじゃないの」


 冷静さを取り戻した英美里は、私と更科くんの肩を掴んで自分の方に向け、声を潜めた。


 「ねね、ここの幽霊って冬は出るとかいう話あった?」

 「聞いたことない」

 「同じく」


 くるり、と怪物に向き直る英美里。


 「つまり、あんたたちは冬になるとここに住むの?」

 「そうだよ」

 「夏の間は?」

 「夏はみんな遊園地とかでバイトしてんだよ。手の空いてる奴がここの修復工事をして、寒い冬はみんなここでゆっくり過ごすんだ」


 なんだかイメージと全然違う。私は恐怖心とか憧れとか、未知のものに対するドキドキワクワクとかがプシューっと音を立てて萎んで行くのを感じていた。えええ、お化けがバイト?仕事もなんにもないんじゃないの?


 「ここ数年は地元の子供が邪魔で全然修理できなかったから、今年こそはと飯場跡の方に噂を流して、そっちに行かせたはずだったんだがなぁ」

 「あー、いましたよいっぱい。チョコバナナも売ってた」

 「なんだそりゃ?それにしても、それでもこっち来るまぬけな子供たちもいるんだなぁ」

 「まぬけで悪かったわね」


 あああ、なんか変な話ではあるけれど。あるんだけどさぁ。なんなのこの腰砕け感。扉の影でまだガイコツが怯えてるし。普通逆じゃない?なんかショック。


 「まあいいわ。あんたらちょっとこっち来て、はいそこ。ガイコツもっとこっち!ほら美代子はそこ、更科はここ。はいチーズ」


 無理矢理その場の全員を並ばせて、おもむろにスマホで写真を撮る英美里。


 「えっ?えっ?」

 「な、なんだ」

 「今月はこれを活動報告にするに決まってるじゃない。廃屋は建物の補修工事中でした。邪魔になるから近寄らないこと。それでいいでしょ。それからあんた」

 「ん?」


 フランケンの怪物もあんた呼ばわり。英美里はほんと強いな。


 「表に『工事中につき立入禁止!』の看板くらい出しなさいよ。そしたら多分、もう誰も来ないから」


 びっ、と指を差された黄ヘルの怪物は、なるほどと言った感じの顔をする。


 「それは盲点だった。さっそく看板出そう」

 「それからそこの骨!いつまでもカチカチ震えてんの?あんただって昔は生きてたんでしょ?」

 「あーそいつは生前女性恐怖症で」


 そっちか!もうお化けとか幽霊のイメージが全部砂になって崩れたみたい……




 まあそんなわけで、工事事務所跡の方は数日後に若者が騒いで警察が出動する事態に発展してから、恐怖スポットとしては下火になった。ていうか、露店が出る恐怖スポットなんてありえないよ、夏祭りじゃないんだよ。


 廃洋館の方も、どうも何か工事をしてるらしいと知れ渡ったので、行こうとする者はいなくなった。看板の効果絶大。



 冬になったら一度遊びに来てくれ、とあのフランケンの怪物の人に誘われたんだけど……正直ちょっと迷ってる。他のお化けも見てみたいような、見たくないような。でも幽霊のシーズンって夏ってイメージだから、冬のお化けっていうのも新鮮ではあるのよね。


 「あの人、フンガーって言ってなかったね」

 「ドラキュラもザマスとは言わないんじゃないかな」

 「英美里はどう思う?」

 「知らないわよ、そんなの個人個人で違うんじゃない?冬に確かめてみたら?」


 うーん、そもそもあの洋館にドラキュラいるのかな?もしいるなら、ザマスって言うかどうか、確かめてみたいかも知れない。


 我ながらしょーもないこと考えてるな、と私は思った。とほほのほ。



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