純白なるあなたへ

やどくが

第1話

 あなたは、白い人だった。




 それは、物理的な意味も含んでいる。

 絹糸をそのままあしらったような長い髪。陶器のように滑らかで、繊細な肌。真冬の銀世界を映したような丸い瞳。


 しかし、概念的な意味も含んでいる。

 真昼に降り注ぐ太陽の光のような笑顔。穢れのない純粋な行動。どこまでも透き通るような、それでいて何色にも染まらないような清らかな声。




 そんなあなたが、たった一人の相手として私を選んだとき、飛び上がるような嬉しさとともに、決して清くない複雑な感情がこみ上げてきたのを覚えている。


 それは、まっさらな雪に初めて足跡をつけるような、真ん丸の真珠を削って整形してしまうような、そんな背徳感に似ていた。


 それは、満月を掴もうと手を伸ばすような、そびえ立つ氷山を見て息を吞むような、そんな劣等感に似ていた。


 それは、手の中にあるダイヤモンドを落として割ってしまいそうな、洗い立てのブラウスが風に飛んで行って泥の中に落ちて行ってしまいそうな、そんな恐怖に似ていた。



 あなたは、そんな私を知ってか知らずか、よく私に言って聞かせていた。


「こわがることは、なんにもないのよ。」


 まるで、夜に子どもを寝かしつけるように降る雪のような声だった。




 あなたは、あまりに白すぎるから、冬より夏がよく似合った。雪がくすんで汚く見えてしまう冬より、葉の緑、空の青、向日葵の黄色があなたを引き立てる夏の方が。


 太陽がさんさんと降り注ぐ向日葵畑で、私のあげた真っ白なつば広帽子を被って、無邪気にはしゃぐあなたが好きだった。


 七夕の夜に、天の川を見ようと望遠鏡を構えた、笹に見え隠れするあなたの細い腕が好きだった。


 夏祭りに行ったとき、綿菓子をうまく食べられずに、手と口周りを砂糖だらけにして、私にティッシュをねだるあなたの子どもみたいな表情が好きだった。



「あなたといっしょだと、いつもよりせかいがきれいにみえるわね。」


 あなたがそう言う度に、一番綺麗なのはあなただと、言い返したくなったものだ。




 なのに、夏を待たずにあなたはいなくなってしまった。まるで、手のひらで溶けていく雪のように。


 あなたはベッドに横たわっていた。病院の、清潔に保たれた無地のベッドだ。周囲には、いくつもの透明な細いホースがあなたに繋がっていた。


「ああ、なかないで、かわいいこ。さみしいことなんて、なんにもないのよ。」


 歌を口ずさむような声で語る。空を漂うタンポポの綿毛が歌を歌うなら、きっとこんな歌声なのだろう。


「わたしがしんでも、ゆきになって、はなになって、つきになってあなたにあいにいくわ。だから、そんなにさみしいかおをしないで。」


 あなたは目を細めて笑いかける。カーテンから漏れ出た光があなたを輝かせる。心電図の無機質な音が、遠くなっていく。


 あなたの小さな手が、私の日に焼けた手を弱々しく握っていた。





 箱におさまったあなたは、うなだれた百合のようだった。血の気のなくなった肌は、混じりけのない、本当に純粋な白亜色だった。まるで、何も描かれてていないキャンバスのようで、『死んだ』というより『元に戻った』という方が正しく思えるほどだった。



 やがてあなたは焼かれて、小さな小さな骨だけが残った。私はそれを陶器の器に閉じ込め、土の中に埋めた。それ以外は、煙になって空へと昇っていったのだろう。




 白は、光の色だ。全ての色を含んだ、世界に色を与える太陽の光と同じ色。

 光がなくなれば世界はどうなるか、なんて、今更過ぎて語る気も起きない。




 純白は天上のものだ。だって、雲は空に浮かんでいる。雪は空から降ってくる。

 純白は地下のものだ。だって、真珠は海に沈んでいる。ダイヤモンドは地中から掘り出してくる。

 だからあなたは、あるべき所に還ったのだ。骨の欠片となって。

 だからあなたは、あるべき所に帰ったのだ。煙となって。

 だからあなたは、私に会いに空から降ってくる。雪となって。

 だからあなたは、私に会いに地中から顔を出す。花となって。

 だからあなたは、



 今やあんなに遠いところから私に光を届けている。

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