第2話

はやく学校に行きたいと思ったのは小学校ぶりだろうか。

あれから高熱が出て二日も学校を休んでしまっている。

いつも学校なんて行きたくないのに、いざ休むとなぜこうも暇なんだと思う。

とにかくやることもないし、月野のことが気になってしょうがない。

せめて連絡先くらい知ってればこんな退屈な時間なんて過ごさなくてよかったのだろうか。

いや、連絡したらしたで今度は返事が気になるものだ。

めんどくさい。考えるのをやめたい。

ピンポーン

期待っていうのは現実逃避をするための心の防衛本能に近いものなんだと今確信した。

「なんだ友樹かよ」

「悪かったな」

本当に間が悪い。

「今は体調が悪いんだ」

「でも熱は下がったんだろ?暇してるだろうし、上がらせてけよ」

「上がってけよみたいに言うなよ」

「いいからいいから、土産もあるし、おもしれえ話もあるんだ」

「わかったよ」

この男は本当に有無を言わせない。

有無を知らないんじゃないかとも思う。

「それでよ、月野は今日はきてねえのか?」

「今日はってなんだよ、ずっと一人で寝込んでたんだよ」

「俺にそんなウソがまかり通るとでも?」

「ウソじゃねえよ」

「ほんとかあ?」

「なんだよしつこいな」

「じゃあなんで月野も同じタイミングで学校休んでるんだよ」

「は?あいつきてないの?」

「知らなかったのか?じゃあ本当っぽいな」

「なんでなんだ?どうかしたのか?」

「いやお前が知らねえなら知らねえよ、先生は体調不良ってだけ言ってたけど」

「体調不良、タイミング的に移したかな」

「移るってお前、もしかして」

「そうじゃねえよ」

「もしかしてお前」

「してねえって」

「びっくりしたあ、先に大人の階段を登られたかと思ったぜ」

「登ってねーし、登っても言わねえよ」

「なんだよお、言えよ親友なんだから」

「関係ねぇだろ」

「冷てえなあ」

危ない。友樹にあの事を話したらたちまちお祭り騒ぎになるだろう。

こいつは隠し事が下手だし、そもそも隠す事じゃないと思ってる。

確定で三木さんに話がいって、三木さんなら月野本人に言っちゃうかも。

そうなったら俺の人生終わりだ。月野じゃなくてもアレを言いふらされて良い気持ちはしない。

月野に嫌われてしまうなんて考えるのもきつい。

ああまた頭が痛くなってきた。

「とにかく、お前なおってんなら来いよな」

「今日やっと良くなったんだけど」

「春奈さんも来ねえしよお、みんなしてひどいぜまったく」

「三木さんも?なんでだ?」

「なんか、調査するって言って昨日から来てないんだよ」

「そ、そうか」

相変わらず変だ。

「お前、今変だって思っただろ」

「別に思ってねーよ」

「嘘つけ顔に書いてるわ」

「なんで三木さんなんだよ」

「いきなりだな」

「友樹はいつもみんなの中心って感じで人気者だけど、三木さんってなんていうか」

「何考えてるかわからない?」

「そう」

「それだよ」

「どれだよ」

「あの不思議な感じがいいんだろ」

「不思議な感じか」

なぜかいきなり腑に落ちた。

不思議な感じというあやふやな言葉を共有できるのは俺たちくらいだろう。

「なぜか引き込まれるというか、頭から離れないって感じだな」

「そういうことか」

「お?わかっちゃった?」

「わからなくもない」

「まあはじめから年上が好みってのもあるけどな」

「絶対それだろ」

「最初はな」

「ほらな」

「そりゃ好みから始まるだろう、そのための価値観だし。」

「まあ一理ある」

「そこからまた好きなところを見つけて、自分も知らなかった自分の好みを知る。」

「その自分が好みだと思っていたところがいつの間にか相手に影響された好みだったりする」

「この素敵な感情の動きに、人は愛と名前を付けたんじゃないのか!?」

「なに熱くなってんだよ知らねえよ」

めんどくさいふりをしつつ、心当たりが多すぎることに驚いた。

「まあ、わかったよ。悪かったよ」

「春奈さんの魅力は俺だけが知っていればいいのだ」

「わかったって」

「それで?お前はどうなんだよ?」

「どうってなんだよ」

「月野だよ」

心臓の動きが強くなる。

「どこがいいんだよ」

「不思議な感じだよ」

いつもの俺なら否定して流していた。

舞い上がった自分が口を滑らせた。

「なに驚いてんだよ」

「い、いや、白状すると思わなかったから」

「しつけえからだよ」

「そっか、まあ、お前分かりやすいからみんな気づいてるぞ!」

「は!?まじか」

「あたりまえだろ、月野に異様にツンツンしてるし、そのくせ笑顔は眩しいぜ」

「ありえねえ」

「月野は全然そんな感じしねえけどな!」

「いや、そうでもないかもしれんぞ?」

「な、お前まさか、」

少しからかうだけのつもりだったが言われっぱなしは癪だ。

「植村君も早くこの階段が登れるといいね」

「お、お前え!」

「植村君もクレーンゲームの腕を鍛えると良いよ」

「え、取ったのかあれ!」

「すごいなお前!」

「友樹のおかげだよ、本当に一発で取れたんだ」

「まじか、本当は俺半信半疑だったんだけど」

「無礼なやつだが、まあ取れたからチャラにしてやろう」

「喜んでたか?月野は」

「んー、喜んではいたけど」

「なんだよ、気になることでもあるのか?」

「『やっと取れた』って言ってたんだけど、その時の表情が鬼気迫ると言うか、嬉しい感情だけとは思えなかったなって」

「そんなに欲しかったのか」

「わかんね、今思うとそうかもなくらいだ」

「そっか、とりあえず時間も良いくらいだし今日は帰るわ」

「おう、ありがとな」

「元気そうでよかったわ、明日は来いよ〜」

「わかったよ」

何故かモヤついた心に疑問を感じない様に一日の残りを過ごす事にした。

実は決めている事がある。

次月野に会った時には連絡先を聞く。

これは別に下心でもご褒美でもない。

俺たちはもう連絡先くらい知ってても良い関係性のはずだから。

その方が絶対に自然だと思う。

だから、次は絶対聞く。

良い返事を期待しながら今日は寝る事としよう。


それから俺は期待っていうのが現実逃避をするための心の防衛本能に近いものなんだと再度確信した。


月野はあれから三週間も学校に来ていない。

体調不良のためって先生が毎朝報告しているけど、もう誰も反応しない。

最初の一週間は心配だったり、今日は来るかと感情が忙しかったものだが、

漠然と気づいてしまった。

なぜなら俺もそっち側にいたことがあるからだ。

理由は判らないし多分俺とは全く違う理由だろう。

勘としか言いようがないが、なぜかそんな感じがしてたまらない。

月野は多分もう学校には来ない。

なんとなくだ。それしか言えない。

来週から夏休みだっていうのに、虚無感で頭が空っぽになる。

舞い上がっていた熱がどんどん引いていく。

神様は悪趣味だ。きっと性格が悪いんだろう。

こんなものを見て何が楽しいんだろうか。

普段俺たちが目にするドラマや映画の不幸シーンも、神様から見るとこんな感じなのだろうか。

今まで月野に連絡先を聞くタイミングなんて無限にあった。

聞いても「やだね、おしえなーい」とか言ってくるんだろうな。

あの不思議な感じがたまらなく恋しい。

月野が好きなのか、不思議な感じが好きなのかわからなくなってきた。

熱が上がって、引いて。

頭がいたいくらいまわって、虚無が来て。

ずっとこの繰り返しで正直しんどいんだ。

だから今日もここで月野が声をかけてくるのを待ってる。


俺が不登校の時、いつもの散歩道から抜けた道。

何気なく、でも引き込まれるように見つけたのが【森の遊び場】だ。

最初は店だなんて思ってなくて、むしろ廃墟かなんかだと思った。

ただ、木に囲まれて落ちてくる影に、なんだか心地よさを覚えた。

何度か来たが店が開いてることなんてなかったから、ベンチを勝手に散歩途中の休憩所として使っていた。

時間がゆっくり流れているようで、それでも気づいたら時間が過ぎている。

考え事をしたりボーっとするのにぴったりだと思った。

その日も影に抱かれながらベンチで考え事をしていた。

「ねえ君、なにしてるの?」

妖精みたいだ。

森に囲まれた場所だからか、そう思った。

「べつに」

「べつに、じゃないでしょう?」

「考え事してた」

「へえ、お客さんってわけじゃないんだ」

「客?」

「この店、私の親戚の店なの」

「へえ、開いてるの見たことないけど」

「おばちゃん、先週まで入院してたの」

「そうなんだ」

「落ち着てきたから来週から開けるんだよ」

「そうなんだ」

「興味なさそー、友達少ないでしょ?」

「ひでえな、たくさんいるよ」

「じゃあこんなところで何してるの?学校は?」

「いろいろあって行ってないんだよ」

「そうなんだ、私は最近引っ越してきたんだけど、もう友達たくさんできたよ」

嫌な奴だな。

「嫌な奴だなお前」

思ったことが口から出てしまった。

「そう、ほんとは嫌な奴なんだけど、隠すのが上手なの」

「頼むから俺にも隠しておいてくれ」

「やだね、君には嫌な奴のままでいることにする」

「なんでだよ」

「私、嫌な奴だから」

眩しい笑顔で嫌なことを言う。

変な奴だと思った。

それから月野とはたまに会うようになった。

なんとなく学校がある日は夕方、休みの日は昼から散歩を始めた。

特に理由はない。

その場その場の会話はするが、お互いの詳しいことは名前以外何もわからなかった。

俺も聞かなかったし、月野も聞いてこなかった。

でも話の流れで俺が学校に行かない理由を話した。

ほんの一ヶ月前まで仲の良かった親が離婚した。

ひとりっ子だったから、かなり甘やかされたし、二人は優しかった。

優しさに溢れ、幸せに満ちた家庭だった。

母の不倫だった。

父は残業が多く、休みも少ない。

でも家族のために頑張ってくれていた。

そして俺は部活動や友達との時間で帰りも遅くなり、休みの日には一日中出掛けていた。

母は寂しかったと言った。

家族で一人だけ家に居て、毎日寂しさを抱え過ごしていたと。

納得はしなかったが、少し同情はした。

父はあまりにショックだったのか、離婚を即決し有無を言わさず俺を連れて家を出た。

それから現実逃避をする様に、更に仕事に打ち込んだ。

俺は母と違って寂しさは感じなかった。

それは父の愛情であり、生き甲斐であり、自己防衛の手段であると知っていたからだ。

母だって、毎日家に帰ってくる俺と父を愛情で包み込んでくれていた。

そうだ。間違っていたのは俺だけだった。

俺だけが、俺だけのための時間を過ごしていたんだ。

父に話すと、子供はそれが仕事だと言う。

仕方ないと。

でもいつも愛情をくれていた母に、誰が愛情を与えていたのだろう。

俺が寂しい思いをさせたんだ。

こんな気持ちでは学校になんて行けない。

「だからここでボーッとしてるんだ」

「毎日、自分を責めに来てる」

「そっか、わかるよ」

慰めだろうか。

「わからないよ、同じ状況でもない限り」

「だから、わかるって」

「そっか、お前も」

言い方が悪かったかな、悲しい顔をしてた。

でも、味方を見つけた気がして少し嬉しかった。

月野の話はこれ以上深くは聞けなかった。

気持ちがわかると言った月野の気持ちがわかって、聞けなかった。

「君さ、学校行きなよ」

「話聞いてたか?行く気になれないんだよ」

「だから行くんだよ」

言いたいことはわかる。

でも学校を休むって呪いみたいなもので、休めば休むほど行きづらくなる。

今行くのはかなり勇気がいるんだ。

「行きづらいんだよ」

「わかるよ、私も半年行ってなかったから」

「じゃあなんで行けって言うんだよ」

「行ったほうが良いっていうのを知ってるから」

変に説得力があった。

「考えてみるよ」

「あ、行かないやつだ」

「ほんとだって」

「ほんとなら、明日行ったほうがいいよ」

「明日は急だって」

「こういうのはすぐ行ったほうがいいんだって」

「わかってるけど」

「そもそもそれで行けなくなったんでしょ?」

「そうだけど」

「とにかく行きな?お姉さんの言うことは聞いときなよ」

「同世代だろどう見ても」

「え、中学生じゃないの?」

「高校三年だよ」

「同い年かよ」

「悪いかよ」

「まじか」

完全になめられてるな。

「じゃあなおさら行かなきゃだよ」

「なんでだよ」

「学生生活最後だよ?思い出たくさん作らなきゃ」

「そんな気になれないんだよ」

「私が一緒に作ってあげるから」

「なおさらやだよ」

「この生意気坊主め」

「だから同い年だって」

「とにかく!行って明日この時間に感想聞かせること!」

「はいはいわかったって」

不思議と嫌な気持ちはしなかった。

特別な方法じゃなくても、少しでも背中を押してもらえるのを待っていたのかもしれない。

こいつに話す感想のために、明日が少し楽しみになった。

そしていざ学校に着くと、校門をくぐる前の気持ちが一変する。

オセロで負けたときみたいに、知らないうちに盤面では黒の方が多くなっている。

後悔先に立たないとはまさにこのことである。

以前とはまるで違う場所に感じるし、知らない人間の中に放り込まれた感覚。

俺はとりあえず席について時間が過ぎるのを待った。

俺の中で一時間が経って、時計の長針では五分が経った頃に勢いよく背中をたたかれた。

「お前来るなら言えよな」

「俺はサプライズが好きなんだよ」

友樹は休んでる間何度か会っているけど、理由を深く聞かれたことはなかった。

「サプライズになってねえよ」

「悪かったよ」

体の内側にある重いモヤモヤが消えていく感覚がした。

「一日いるのか?」

「んー、リハビリ気取って昼に帰ろうか迷ってるところ」

「なんだよ。じゃあ昼は一緒に食おうぜ」

「おう」

「しかし今日は騒がしいな」

「ああ、月野が髪切ったんだって」

「月野?」

そこで見たのはあの女だった。

妖精だと思ったのは、森に囲まれていたからじゃないらしい。

彼女の不思議な雰囲気に見惚れていると、目があった。

どうやらあの女は知っていたみたいだ。

俺が同じ学校で同じクラスだということを。

そして今日学校に来るということを。

そうじゃなきゃあの嫌な笑みは浮かべられない。

本当に嫌な奴だ。

「頑張ったじゃん、萩原クン」

「誰ですかあなた」

「最低、もうあの場所立ち入り禁止ね」

「それは困る」

「どうしても使いたいならひとつ条件がある」

「なんだよ」

「それはあとで教える、学校終わったら集合ね」

「わかったよ」

クラス中の視線が俺に集まっている。

友樹ですら口が塞がらないって感じだ。

そこから俺たちの不思議な関係は始まった。

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