第19話 いたづら過ぎれば仇となる

「――柊生さん。私、彼氏ができたんです」



 それは、いつもとあまり変わらない、地味でお堅いマネージャー姿のヤマだったのに。

 なんでだろうか――、どことなく艶めいていて、はにかんだ笑みが胸が痛くなるくらい魅力的に見えた。



 ――嘘だ。



 そう思ってはっと目を覚ますと、それは自分の部屋の寝室で。

 夢だと気がついても、嫌な動悸がなかなかおさまらなかった。



 そんな日だ。



 ――ヤマが事務所を辞めると、社長から聞かされたのは。



「は……、辞める……?」

「そう」

「え、いつまでですか?」

「一応今月末までだけど、有休もあるから最終出勤日はもう少し早くなると思う」



 さらっと社長にそう言われたが、あのヤマが、仕事を辞めるだなんて正直信じられなかった。



「理由は……」

「んー、まあ……。……自分の幸せを追い求めたくなったって言われたらねえ」



 叔父としては、止められないよね、と。

 苦笑して言う社長だったが。



 ――自分の幸せ?



 なんだそれ。

 何をして幸せだと、あいつが指しているのだろうか。



 今朝見た夢が、嫌な予感と相まってもやりと胸をざわつかせる。





 それから。



 しばらくの間俺は、ヤマから直接辞める話についての説明がないか、ずっと待ち続ける日が続いた。



 なんでだよ?

 あんなに楽しそうに仕事してたのに。

 『ユナイト!』のために、あんなに頑張ってたのに……。

 そんなに簡単に切り捨てられるものだったのか?



 内心で渦巻く思いが、自然、責めるような眼差しを向けることも増え。



「……柊生、目つき」



 と、同じ『ユナイト!』のメンバーの悠真から何度か指摘を受けることもあった。

 こいつは、メンバーの中でも一番俺と歳が近くて、場の空気を読むのがうまく察しもいい。

 おそらく、俺がヤマに対して何かしら思っていることは気付いているんだろうな、と思いつつ。



 それはそうだとしても、自分でも抑えがきかないんだから仕様がないじゃないかと、なかば不貞腐れていた。



 そんなことを思っているうちに、結局ヤマ本人からは何も詳細を聞かされないまま、あいつの最終出勤日前日を迎えた。

 その日はちょうど、俺が主演で出させてもらっていた連ドラのクランクアップの日で、終わったら軽く飲みに行こうという話が持ち上がり。



 それも踏まえて、ヤマが翌日の予定を緩めに組んでくれていたので、ヤマも交えて飲みに行くこととなり。



 その後、間違えて酒を飲まされたヤマを送ろうとした先で、ずっと聞きたかった退職の理由を聞くこととなる。

 


「けっこんしたいから――、ですかね」

「――は?」



 いま、なんて言った?



「だって、まねーじゃーやってたらぜったいこんきのがすし……」



 そう言っていじらしく、(酔っ払ってせいもあってか)頬を染めるヤマの。

 その潤んで震える瞳を見て。

 ずり落ちかけたメガネもまた可愛さを増長させているなと思った。



 いやそんなことより!



 結婚?

 マネージャーをやっていたら婚期逃す?



「……俺、お前のことずっと好きだったんだけど」



 じゃあ俺は?

 お前のことずっと好きだったけど、仕事を一番に、大事にしてるんだと思ってずっと見守り続けてきた俺は?

 後から考えると「そんなのあなたの勝手でしょ」と言われても仕方のない思考だが、その時は俺も、酒が入っていたせいで気持ちがたかぶっていたせいもあったと思う。

 


「マネージャーだと思ってたからずっと言わなかったけど。マネージャーじゃなくなるんなら、もういいよな……?」



 そう言いながら俺は「嫌だったら、言えよ?」と、申し訳程度の前口上まえこうじょうを口にして。

 そのまま――、ヤマの唇に自分のそれを重ねた。



 ――人は、一度たがが外れると再現ないって本当だな――。



 ヤマの唇に自分の唇を軽く重ねた後。

 結局それでは済まなくなって、深く口づけを交わしながら頭の片隅でそんなことを思う。

 それでも止めようとしない自分も大概だが、ヤマが嫌がるそぶりを見せないのもそれに拍車をかけた。



「ん……」



 時折漏れてくるヤマの吐息に、昂ぶった気持ちが煽られるのを感じた。

 自分の理性がこんなに、紙切れほどの薄っぺらさだとは、と自嘲する。



 しかし、そんなこちらの思考とは裏腹に、どうやらいつのまにかヤマの方が限界を迎えていたらしく、壁伝いにずるずると床に崩れ落ちていった。



「……ヤマ」

「ん……」



 軽く呼びかけるが、目の前の相手は既にすやすやと寝息を立て始めていて。

 自分の堪え性のなさを反省しながら、小さくため息をついた。



 よっ、と抱き上げて自分のベッドまで運び、上着を脱がせてやったところで、ふとちょっとした意趣返しを思いつく。



 ――このまま同じベッドで寝て、隣で俺が寝てるのを見たら、こいつどう反応するんだろ。と。



 それが、致命的な選択ミスになるということにも気づかずに。



 結果翌朝、不覚にもそのまま眠りこけてしまった俺を置いて、ヤマは俺から逃げ出した。

 ふと閃いた余計ないたずらのせいで、俺はヤマとちゃんと向き合って話す場まで失ってしまったのだ。

 愚かとしか言いようがない。



 しばらくは自己嫌悪に陥り、落ち込むだけ落ち込んだ後。

 腹を括った俺は、社長に直談判に行った。

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