第15話 ヨコシマではない、故にタテ続く
「……少しは落ち着いた?」
「はい……。ずびばぜん……」
呼吸困難になるくらい泣いて鼻水まみれになった私が、ずっと隣で私が落ち着くのを待ってくれていた砥川さんに返事をする。
「あんまりこういうこと突っ込むのもどうかと思うんだけど」
しかも仕事中だし、と言いながらも、私を案じてくれている砥川さんが言葉を続ける。
「そんなに好きなら、付き合っちゃえばいいのに」
「……」
それができたら、とっくにそうしています……。
なんでそう出来ないのかももうよくわからなくなってるけど。
「……不倫?」
「
答えようとしない私にさらに突っ込んでくる砥川さんに、私は鼻声で反論する。
「なんにしても、意外だった。普段しれっとしてるから、そんなに泣くほど人に執着するタイプなんだって」
執着……?
そうなのかな、と思いながらも、ずびりと鼻を啜りながら黙って俯く。
「まあ、そろそろ仕事に戻らないといけないからこれくらいにしておくけどな。ああ、山敷はもう少し落ち着くまでここにいていいぞ。その顔じゃ出られないだろ」
「ありがとうございます……」
そう言うと「じゃあな」と言って、私の頭をポンと撫で。
砥川さんは会議室から出て行った。
…………。
はあ……。
やっちまったなあ……。
公私混同はしたくない派だったのに。
会社で、しかも私的なことでこんなに号泣してしまった。
社会人としてけしからんと自分で凹む。
でも泣いたらちょっとスッキリした気もした。
同時に、自分は思った以上に抱え込んでいたんだなあとも思った。
………………どうしよ。これから。
もちろん、仕事のことじゃなくて柊生さんとのことだ。
いや、就業時間なんだから仕事のこと考えろよって感じではあるけれど。
……いっかい、ちゃんと腹を割って話し合うのがいいかもなあ……。
よくよく考えると、流されるままここまできて、どうして私が柊生さんと(恋愛的な意味で)付き合おうとしないかとか、ちゃんと話してこなかったなと思う。
なあなあで、そのうちなるようになると思っていたのが良くなかった。
そんなこんなしているうちにすっかり柊生さんに飲み込まれてしまったし。
はあ、ともう一度大きくため息をつきながら天井を見上げた。
■■
そんな折のことだ。
「藍。柊生くんの家に住まわせてもらってるって話は本当かい?」
叔父に事務所に呼び出され、そんな話を切り出されたのは。
「……えっと。家が漏水で住めなくなって。たまたまその時に、柊生さんが居合わせて……」
「たまたま?」
私の言葉に、叔父がぴくりと反応する。
「そう言う時は、一応僕は藍の親代わりなわけだし。僕にも頼ってほしかったなあ……」
「ご、ごめんなさい……」
そう謝りながらも。
私が、素直に叔父に相談できなかったのは、最近叔父も結婚して子供ができたからだ。
それでなくても、ずっと叔父の家に同居していた私の存在というのは、叔父の彼女さんにとってはナイーブなものだったのに、ここでまた家庭の邪魔をしたらいけないなと思って言えなかった。
「とか言ってね。一連の話はもう柊生くんから聞いてるんだけどね」
「え……?」
柊生さんから?
どう言うことだと私が思っていると、「藍の方から報告してくれると思ったのに、いつまで経っても連絡ないしさあ。痺れを切らしてこっちから連絡したよね」と叔父にむくれられ。
そんな叔父に「ごめんなさい……」しか言えない私に対して、叔父はふっと笑って言葉を重ねてくる。
「まあ、もう言っちゃってもいいかなあ? 柊生くんからね、藍の引っ越し先を聞かれた時かな? 藍がマネージャーを辞めるなら、アプローチしてもいいですかって柊生くんから聞かれてね」
「えっ」
突然、寝耳に水な話を聞かされた私は、思わず声を上げる。
「律儀だよね、男気というか。筋を通したかったんだろうね」
「え……、で、叔父さんはなんて……?」
「藍がいいって言うならいいよって。あ、でも」
いくつか条件は出したけどね、と叔父がぴっと意図ありげに人差し指を立てる。
「条件……?」
「うん。アプローチしても、付き合っても別にいいけど、仕事の質は落とさないでねって。あと仕事の量も減らさないよ、むしろ増やしてねって。そもそもそう言うの、藍も本意じゃないと思うしって言って」
そしたら「わかりました」と言って、柊生さんは条件を受け入れたそうだ。
「それからすぐかな。びっくりしたよお。大御所監督に気に入られて、長編映画の主演話もらってくるんだもん」
たぶんねー、柊生くん、来年あたりアカデミー賞とか引っ掛かってくると思うよ、と。
隣の家の猫が子猫を産んだよくらいの気軽さで叔父が言う。
知らなかった。
忙しいはずなのに、よく私に構ってる時間があるなって思ってたけど。
本当は、そんな時間もないくらい忙しかったんじゃないだろうか。
そう思うと、やっぱり私は柊生さんにとって余計な存在なのではと言う考えが脳裏をチラつく。
「……藍」
「なに?」
私が思わず考え込んだ様子を見て、叔父が声をかけてくる。
「藍のまじめなところはとっても美徳だと思うけどね。時々、もうちょっと緩く考えてもいいんじゃないかと思うよ」
「どういうこと?」
私が尋ねると、叔父は「う〜ん……」と少し考えてから、私に向かってにっこりと笑い。
「そうだね――。つまるところ、柊生くんにとってのスターは藍だった、ってことじゃない?」
――と。
叔父から、
「あ、いけない! 次の打ち合わせの時間だ。じゃあ藍。言いたいことは言ったし、もう帰っていいよ」
「えっ」
「可哀想だからあんまり柊生くんを振り回さないであげてね。あ、いいですよどうぞどうぞー」
後半は、叔父の社長室に来た来客に向けての言葉だ。
つまり、否応なしに私は部屋から追い出されたわけで。
追い出された社長室の前で、しばし呆然とドアを見つめていると、廊下の向こうから聞き慣れた声が聞こえてきた。
「あれっ、ヤマっちじゃん!」
そう言って、私に声をかけてきたのは。
『ユナイト!』のメンバーの一人、
「ヤマさん、一般人やめてまた
同じく『ユナイト!』のメンバーの
久しぶりに見た二人の顔にしばらくポカンとした後。
はっ……! と、柊生さんがいないかを慌てて確認する。
「……
今日は終日ロケだから、と。
私の挙動を見透かしたように朔くんが教えてくれた。
「なあなあ、せっかくだから、どっかご飯でも行かね!?」
俺たち、今日はもうこれで仕事終わりだしさ! と礼央に引きずられ。
私は、あれよあれよとかつて彼らと行きつけにしていた個室のあるごはん屋さんへと連行されて行ったのであった。
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