第14話 繕うトリにイヌと鳴く
「じゃあ、行ってきますね」
「ん」
連休も終わり、朝の出勤時刻。
私が家を出る前に玄関で声をかけると、柊生さんが両手を広げてハグを求めてくる。
「……」
いいのか!?
ここで流されていいのか!?
友達のハグとは言うが、もういい加減友達のラインを超えているような気もしているだろう!?
と内心で自分にツッコミを入れながらも、結局はおずおずと求められるままにハグをしてから家を出る。
「気をつけてな」
そう言われて家を出るのは、いったいいつぶりだろう?
今日は柊生さんの入り時間が遅いため私が見送られる側になっているが、逆の場合も結局、出かけようとする柊生さんにハグを求められて同じことの繰り返しだ。
………………。
はあぁああああ……!
いや……、もう……!
こんな……、毎日ときめきが止まらないことってある!?
ああはいはい!
わかってる! わかってます! 認めます!
好きですよもう! 柊生さんのこと!
そりゃそうでしょうが!
あんなに前面に好きを押し出されて、ぐいぐい来られて!
必死で気持ちを押しとどめてたけどさあ!
……ああ。
……私、なんでこんなにめんどくさいんだろ。
好きなら好きってまっすぐ向かって行けばいいだけなのに。
一周回って何故だか落ち込みながら会社に向かう。
毎日が気持ちのジェットコースターだ。
こうやって浮かれて上がったかと思えば、自己嫌悪で急転直下を繰り返す。
いっそ、柊生さんにしかるべきお相手が見つかってくれたら、私も諦めがつくのに。
私なんかよりも柊生さんのキャリアのためになって、彼を支えてくれる素敵な女性が。
彼の隣に立つにふさわしい女性が。
寂しいけど、それならそれできっぱりと気持ちを切り替えて応援できる、と、思う。
……多分。
そんなモヤモヤを抱えながら出勤し。
そうして、この週末にも色々ありすぎたことで、私は忘れていたのだ。
「山敷、週末大丈夫だったか?」
金曜の夜に、砥川さんにタクシーで送ってもらった後、柊生さんといるところを見られてしまっていたということを。
「あっ……はい……。な、なんとか……」
「ちょっと今いいか」
「……はい」
砥川さんにくいっと顎で呼ばれて、なんだろうと思いながら空いている会議室まで足を運ぶ。
……うを、飲めない酒を飲んで迷惑をかけてしまったことを嗜められるのだろうか……。
そう思っていたら。
「この間……、ごめんな、彼氏の前で」
仕事の話じゃなかった。
しかもぶっこんでつっこんできましたね! 砥川さん!
「あ、いや。あの人は彼氏というか……」
彼氏というか……、なんて言えばいいんだ?
でもここではっきり否定しておかないと、後々もしかして砥川さんが彼を『滝本柊生』だと、
『ユナイト!』というアイドルグループのメンバーだと気付かれた時に、スキャンダルの種になりかねなくもない気もしなくもないような……。
いやいや藍? 待ちなさい?
あなた砥川さんとずっと仕事してきて、そんな人じゃないってわかってるでしょ?
心の中で、もうひとりの自分が突っ込む声が聞こえる。
でも藍、待ちなよ?
柊生さんがなんでわざわざああいう言い方をしたかわかってんでしょ?
牽制したのよ砥川さんを。
その柊生さんのムーブを無視していいと思ってるわけ?
そして、さっきの声とは相反した、闇の私がにょきりと顔を出す。
言っときゃいいじゃん。
彼氏だって。
わかりゃしないって。
柊生さんは、彼女ってはっきり言われた方が喜ぶと思うよ――?
と。
――しかし。
「あの人は、お友達付き合い、って形で、お付き合いしてる人なので……」
闇の私の囁きは虚しく、光の私にノックアウトされ。
「……じゃあ、彼氏じゃない、ってこと?」
「……ええ、はい……」
彼氏だって言っておけばいいのに、という心の声を無視して、誠実な私が受け答えする。
ああ、光の私が誇らしげに闇の私を踏み潰している絵が見えます……。
「それって……、俺にもワンチャンあるって思っていいのかな?」
「え」
突然、砥川さんが神妙な面持ちで私に向かってそう言い出してきたので。
私は一瞬、新手のジョークかと思った。
「山敷、そういうの鈍そうだからはっきり言うな。まだ彼氏彼女の関係じゃないなら――、俺にも割って入る余地はあるのかって話」
あれ、これ――。
やっぱりほんとに、人生に3回くるモテ期到来してる? と。
そんな悠長なことを私は思ったわけで。
そしてまさか砥川さんが、仕事中にそんなことを切り出してくるとは思わなかったわけで。
これで、私が砥川さんの話に乗ったら。
柊生さんは諦めて仕事に専念してくれるかな?
いや、前言ってたみたいに、傷心でどこぞのよくわからない女のところに行っちゃうかな?
私みたいな面倒な女に見切りをつけて、遊び散らかしちゃったりするんだろうか。
それは、やだなあ……。
と、瞬間的に想像した自分の妄想に自分で傷ついて、つうっと一筋、ほほを涙が流れていった。
「……山敷?」
「……あれ」
自分でも、涙を流していたことに気付くのに一瞬遅れ、砥川さんに指摘をされて初めて自覚する。
「悪い、そんなに嫌だったか?」
「ちが……、違うんです」
そうだ。
悪いのは砥川さんじゃない。
私だ。
馬鹿なのも私。
こんなにも好きで、誰かのものになっちゃうのも嫌だって思うくらい好きなのに。
正直に向き合えない私だ。
いっそ、私がむちゃくちゃ美人で、売れっ子女優とかだったら。
いや違う。そんなことでもないんだ。
それは単に、私が言い訳にしてるだけで。
「砥川さんのことは、嫌いじゃないです。上司として尊敬してます。でも」
覚悟を決めて、すうっと大きく息を吸う。
「あの人は――、恋人にはなれないってわかってるのに、どうしても好きって気持ちが消えない人なんです」
そう言って吐き出したら。
嗚咽と共に溢れ出した涙が止まらなくなってしまった。
私の中の。
子供の私が泣いていた。
柊生さんのことが大好きなのに、なんで答えちゃダメなの?
好きって言われたから好きって言い返したいのに、なんで?
わかってる。そうだよね。うん。
ごめんね。
溢れ出す感情と共に、次から次に流れてくる涙を手のひらで必死に拭っていたら、砥川さんがハンカチを差し出してくれた。
それを、遠慮するだけの余裕もなくて。
素直に受け取って、気が済むまで泣いた。
砥川さんは、何も言わずにずっと黙って隣にいてくれた。
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