第11話 水漏れて、我、固まる


 その夜は、客先の担当者との接待飲みの日で。


 砥川さんと須藤くんと私の三人で参加したその会で、またも私はやらかしてしまったのである。


 

 客先の担当者が大の日本酒好きで、どうしても自分の好きな酒をみんなにも振る舞いたいと言い出したのだ。

 「私、お酒弱いんです」とあらかじめ言ってはいたのだが、


 

「舐めるだけなら平気だろ?」

「日本酒はまだあんまり飲んだことないんだろ? 意外と飲んだらいけるかもしれないじゃないか」


 

 と、なかば場の空気的にも断りきれず、軽く口をつけてしまったのが良くなかった。


 

「おい山敷。大丈夫か?」

「はい……」



 心配してタクシーに同乗してくれた砥川さんが、私を案じて声をかけてくれる。

 


 客先の担当者を見送るまでは、毅然きぜんとした態度を崩さないよう気力で頑張っていた私だったのだが、担当者が去った瞬間それまで気を張っていたものがぷつりと切れてしまい。

 それを心配した砥川さんが、タクシーを拾って私を家まで送ってくれることになったのだ。



 うう……、ほんとお酒……!

 このやろう……!



「すみません……、ご迷惑をおかけして……」

「いや、むしろ俺の方こそ、止められなくてごめんな」



 そう言って砥川さんに謝られるが、私もまさかあんな少量でこんなに回るとは思ってもいなかった。

 ふたくちくらいしか飲んでないのに。

 まだビールとかウーロンハイだったらいつももう少しくらいは飲んでも平気なんだけどな……。



 と、そんなことを思っているうちに自宅の前に着いたらしく、砥川さんに「ここでいいのか?」と尋ねられた。



「あ、はい。大丈夫です」

「おい、本当に大丈夫か? 玄関まで連れてってやろうか」



 そう言って、タクシーの外に出た私がよろめいたところを支えてくれたタイミングで、また別の腕が反対側の私の腕をぐい、と掴む感触があった。



 え、あれ……?



「――大丈夫です。彼女、俺が部屋まで送ってくんで」



 と。

 なぜか、ここにいるはずのない柊生さんの声がすぐ後ろから聞こえてきた。

 


「ええと、あなたは……」

「彼女と、付き合ってる者です」



 心配そうにこちらを見つめてくる砥川さんに、柊生さんがぐいっと私を抱き寄せながらそう宣言する。



「あ……、そうでしたか、すみません。山敷には、いつも仕事ですごく助けられてます」



 今日はこちらの管理不行き届きで、彼女にアルコールを飲ませてしまって――、と、砥川さんが柊生さんに事情を説明するのを私はなぜかどこか申し訳ない気持ちで聞いていた。



「しゅ……、滝本さん、大丈夫ですから。砥川さんも、送ってくださってありがとうございます」



 柊生さんと名を呼ぶことで彼の正体が明らかになってしまうことを恐れた私は、咄嗟とっさに柊生さんを苗字呼びして誤魔化そうとする。

 そうして私を抱き寄せながら支えようとする柊生さんをぐいっと押し退け、ひとりでも立てるということをアピールしながら砥川さんに礼を言った。



「じゃあな、山敷。週末はゆっくり休めよ」



 そう言ってタクシーに乗って帰って行った砥川さんを見送った後。

 私は、その場にいた柊生さんと向き合う。



「柊生さん、なんで……」

「なんだよ『滝本さん』って」



 私の言葉を最後まで聞かず、腹を立てたように柊生さんがそう重ねてくる。



「だって……、柊生さん、って呼ぶと、バレちゃうかもしれないし」

「ふぅん」



 それだけ答えると、柊生さんはそれきり特に何を言うわけでもなく黙り込み。

 ただ、物言いたげに私をじっと見つめてくるので。



 き……、気まずい……!

 アンド、酒でしんどい……!! (涙)



「柊生さんこそ、どうしてここにいるんですか」

「お前……、さっき『今日行ってもいいか?』って連絡したろ」



 ……ええ?

 と、言われてふとそこで思いだす。


 そういえばさっき、接待の最中に柊生さんからそんなメールは来ていた。

 確かに、『今日接待で、帰り遅くなりますよ』と返信したのは覚えているけど……。



 言われて、スマホを確認すると『遅くなってもいいから待ってていいか? ダメなら連絡くれ』とメールが来てた。

 うをを……、これは……、私が、悪い……か?



「ごめんなさい……。返信、いま気づいて」

「いいから。とりあえず部屋まで送ってやるから。ほら」



 そう言って、柊生さんが私に向かって差し出してくれた手を素直に取り、「しんどかったら寄りかかっていいからな」という言葉を素直に受け止め、柊生さんに寄りかかりながら自宅の玄関まで連れて行ってもらった。



 ――ほんとに、マジ、酒許すまじ……。



 そう思いながらふらふらでたどり着いた我が家の玄関を開けた後。



 ――本当の事件は、この後だった。



「えっ……」



 天井から、ポタポタと止めどなく水がしたたり落ち。

 したたり落ちた水がソファや床をびちゃびちゃにしていた。



「えっ」



 ろ……漏水!?

 嘘でしょ!? 漫画じゃあるまいし!?



 信じられなくて、室内にずんずんと進み出ようとしたところで――、水に濡れた床で滑って転びそうになったところを、柊生さんに抱き止められた。



「おっと」



 そうやって、誰か、抱き止めてくれる人がいることに一瞬で安堵し――同時に、ぶわりと気持ちが緩む。



「え……、どうしよ。こういう時ってどうすればいいの?」



 管理会社――、は、今電話してつながる?

 そもそもどこに電話すれば――。



「とりあえず一旦落ち着けって」



 動揺する私の肩を掴み、柊生さんが私の顔を覗き込みながらそう言って。



「ヤマのことだから、契約書とかその辺一緒にまとめてしまってるだろ。そこに書いてあるはずだから、とりあえず出してみろ」



 と、そう言われて。

 柊生さんに言われるまま、契約書関係をしまっているファイルを取り出すと、確かにそこには管理会社への緊急連絡先が書かれていたので、ひとまずそこに電話をしたのだが。





「……はい、はい。……わかりました」

「……なんだって?」



 一通り状況を説明し、私が電話を終えて切ると、隣でずっと聞いていてくれた柊生さんが尋ねてくる。



「とりあえず、明日業者の人が来てくれるって」

「そうか」



 そう言うと柊生さんは、ぽん、と私の頭を軽く叩き「じゃあ荷物をまとめろ」と言い出した。



「え……?」

「いや、どうみてもこれ、今日ここで寝れねーだろ」



 だから、被害に遭いそうな荷物をどかしたら、泊まれる荷物を持ってうちに来いよ――と。



「えっ」



 柊生さんち!?

 いやいやいやいや! 何言ってんの!?

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