第9話 そして、初心にかえる
そうなのだった。
あの夜。
私が、芸能事務所のマネージャー最終日前日で、柊生さんの現場に同行した。
飲み会でアルコールを摂取してしまい、柊生さんの家まで行ってしまったあの時のことだ。
――私が、初めてのキスをしたのは。
「……謝った方がいいのか?」
「……う〜ん」
どうなんだろう?
別に謝ってほしくて言ったというわけじゃなく、ただ事実として思い出しただけだからな……。
とひとり考え込んでいると、柊生さんが「いや、やっぱり謝らん」と強気発言をしだした。
「お」
「俺はちゃんと『嫌だったら言えよ』って事前に確認したし。その時も嫌だとは言われなかった」
だから、事後のクレームは受け付けない、と柊生さんが強気な態度に出る。
酔っ払った女子相手の事前確認に、いったいどれくらいの意味があるのだろうと半ば呆れ気味に思うところはあるが。
でもまあ。
「別に……、嫌ではなかった、んだと思いますよ」
と。
やや、頬が熱くなっているのを自覚しながら。
柊生さんに、ギリ聞こえないであろうくらいの微かな声で呟く。
「ぁぁぁぁああ〜〜〜……」
すると、突然柊生さんが狭い観覧車の中で唸り声のような声をあげたのに、私はびくりとし。
「お前なあ……、それはずるいだろ……」
「えっ……?」
柊生さんが、絞り出すようにそう訴えてくる。
「ああ……、すげえ今キスしてえ」
「えっ? いやっ……」
あれ!? もしかしてさっきの、口に出てた!?
柊生さんの突然のキスしたい発言に、思わず私は奇声をあげる。
「しねえよバカ。……でも抱きしめてもいいか」
どこか切実に私に向かって尋ねてくる柊生さんに、私はハグならまあ……、と思い「いいですよ」と答える。
それを聞いた柊生さんは、観覧車の揺れを気にするように、ゆっくりと立ち上がり私の方に向かってくる。
そうして、柊生さんが私の隣に座り、大きな体で私に覆いかぶさるように両腕で抱き締めてきた。
柊生さんの鼻先が私の首筋に当たり、吐息が肩を暖める。
私は、抱き締め返すか否かを
――人って、力強く抱き締められるとなんでこんなにも言いようのない気持ちになるんだろう。
柊生さんの肩越しに見える観覧車の外の景色は、群青から
これを見せようとして、この時間帯を選んでくれたんだな、と思うと。
私を抱き締めてくるこの大きな男の人に対する愛しさが増したが。
それをぐっと飲み下し、柊生さんが満足するまで、私は黙ってそれを享受した。
◇
「はぁ……」
あれから。
柊生さんが予約してくれてた個室のあるお店で食事をして、家まで送ってもらった私は。
帰ってくるなり、ばたりとベッドに突っ伏した。
……可愛かったなあ。柊生さん。
……。
……いや、可愛すぎだろ。
おかしい。
イケメンなのにあんなに可愛いとか犯罪じゃないかってくらい可愛い!
まずいなあ……。
一線を引こうと思って(友達として)付き合い始めたはずなのに、ズブズブと深みにはまっていっている自分を自覚する。
「……」
いやダメだろ!?
一瞬、虚空を見つめ、もういいのでは? という思考が働きかけた自分をすかさず
いやー、ダメでしょ!
ダメダメ!
いや、いかんよ。
一瞬気持ちに流されかけてしまった。
そりゃあだってさ。
あんな、顔面ドストライクの男の人に、あんなに大切みたいに扱われて素の顔散々見せられて、揺らがないわけないでしょうが!
でもダメなんだってば! (泣)
ベッドの上で、堂々巡りに頭を悩ませ、ごろごろと端から端まで行ったり来たりを繰り返す。
そこでふと、ある一計が私の頭におりてくる。
あ、わかった。
私これ、柊生さんの1番の親友ポジにいけばいいんじゃね――?
と。
そう、そうだよ!
なんで今まで思いつかなかったんだろう! そうだそうだ!
お付き合いをすると、いつか別れが訪れる。
柊生さんがあんなに私のことを好きだと言ってくれるのであれば、お付き合いして彼女と言うポジションになるよりも、【1番の親友】というポジションで近くにいれば、お別れすることもないのでは!?
win-winじゃん!
私天才では!?
そうだそうだ、それだったら誰も傷つかないし、お互いに好きなままでも一緒にいられる!
素晴らしいひらめきを得たことで、私は一瞬にして気持ちが上昇する。
――この時の私は、素晴らしいアイデアがひらめいたという高揚感で溢れていたために、まだ気付いていなかったのだ。
そんなことを私が言い出したとて、柊生さんが「うん」と言わないであろうことを。
そして、もし本当にそうなったとして――、柊生さんに他に好きな女の人ができた時に、自分が苦しくなるであろうと言うことを。
この時の私は、まだ知る由もなかったのだ。
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