第2話 やらかした夜、からの朝

「――なあヤマ。なんで会社辞めんだよ」



 ――と。

 玄関に押し入れられ、そのまますぐ玄関横の壁に両手をついた柊生さんに閉じ込められた私は、眼前に迫った彼にそう問い詰められる。



「なんで……、って……」



 ――その時、私が正しい答えを口にすることができなかったのは。

 間違いなく酔っ払っていたせいだ。

 通常なら取り繕うための言葉をいくつも用意できていたであろう私は、愚かにも柊生さんの問いにその時、思っていたことを素直に口に出してしまったのだ。



「けっこんしたいから――、ですかね」

「――は?」



 私の答えに、柊生さんが想定外だと言わんばかりの声をあげる。



「だって、まねーじゃーやってたらぜったい婚期のがすし……」



 と。お酒のせいでつらつらと思ったことを口にする私に、柊生さんが「……マジか」と小さくつぶやく。

 そのまま、落ち込んだようにがくりとうつむき、私の肩口で「はあ……」と大きくため息を吐いた柊生さんは、私に向かって再び「あのさ」と言葉を続けてくる。



「――俺。お前のことずっと好きだったんだけど」



 と。

 抱かれたい男ナンバーワンが、私に向かってそう告げてきた。



 ………………………………。

 ……え?



「マネージャーだと思ってたからずっと言わなかったけど。マネージャーじゃなくなるんなら、もういいよな……?」



 そう言いながら柊生さんは、私のすぐ目の前まで顔を近づけてきて――。



「嫌だったら、言えよ?」



 そう言って。遠慮がちに。

 柊生さんはそっと、私の唇に自分の唇を重ねて来た。



「んっ……」



 ――私が覚えていられたのは、そこまでだった。





 ◇





「ん……、ヤマ……」



 耳元で、甘めの低音ボイスのなまめかしい声が響いて、私はハッと目を覚ます。

 柔らかい布団に包まれて眠っている私の、背中の部分がやけに暖かい。



 ………………。

 今の声って………………。



 ――嫌な予感が、全身を駆け巡る。



 間違いようのないほどに聞き覚えのある声。

 四六時中一緒にいたためにすっかり嗅ぎ慣れてしまった香水の匂い。



 ――振り返らなくてもわかる。

 わかるけど、確認せずにはいられなくて、おそるおそる背中越しに振り返る。



 そうして――、振り返った先には。



 信じたくはないが、柊生さんがベッドの上で、背中からぎゅっと私を両腕で抱き込むようにして眠っていました――。



 あああ……!!

 やっぱり……。ですよねえ……!

 嘘でしょ朝チュンしちゃったあぁぁ……!?



 衝撃的な事実に、心臓がキュッ! と縮こまる。

 うっ、痛い。


 

 痛いけど、反射的に胸元を抑えたことでどうやら自分がちゃんと服を着ているようだということが計らずも確認できて、少しだけ安心する。


 …………………………よし。


 そろぉり、と。


 かつてないほどに集中力を研ぎ澄ませて、寝ている相手を起こさないよう、柊生さんの腕の中からそっと逃れ出た。



 ……うん。

 着ている服は昨日のまま。


 ジャケットは脱いでいたけど、室内を見渡すとハンガーにかけられて吊るされていたのが見つかった。


 音を立てないよう、吊るされていたジャケットをハンガーから抜き取り、そのまま静かに部屋から退室する。



 大丈夫。

 柊生さんが目を覚ましたような様子はない。



 そうして、抜け出した廊下の先の玄関口で――、思わず私は両手で顔面をおおった。



 ――ああ、やっちまった――。



 いや、待て待て。やっちまってはいない。多分。

 非難されることは何もなかったのだということにしたい。

 思いたい!

 既成事実はない!

 多分……!



 でも――。



 告白されてしまった。

 我が社の売れっ子アイドルに。

 抱かれたい男ナンバーワンの男に――。



 ……………………。



 ……え、どうすんだ?

 いやだめだろ。

 柊生さんは現在29歳。

 これからがアイドルとしての勝負どころだぞ?

 スキャンダルなんかでぴーちくぱーちくしてる場合じゃないじゃんか!



 まして、その相手が私だなんて――!



 脳内でひとり、あーでもこーでもと騒ぎながら「何でこんなことになってしまったんだ……」という思いでぐぬぬと苦悩する。



 もちろん、柊生さんのことは嫌いではない。

 いやどっちかと言うと好きだよ!

 だって元最推しだったし!

 ゲームでプレイしていた時は!


 でも、自分が担当マネージャーになった瞬間、アイドルたちを恋愛対象として見る機能をシャットダウンし、長らくずっとそのままでここまで来てしまったため、異性として好きかと言われるとちょっとわからない。


 人としてはとても尊敬できるし、間違いなく好きだと言えるけど。



 ――そうだ。

 だからこそ、私のせいで人生を踏み外して欲しくなんてなかった。



 せっかくここまで、タレントとして売れていけるレールを敷いて来たのに。

 柊生さんには、このまま売れ続けて行ってほしい。



 そう、だからこそ――。

 

 ――逃げよう。


 と、心に決めた。



 昨日の告白は、酔っ払っていたせいで覚えていないことにして。

 最終出勤日の今日は、体調不良で在宅仕事にさせてもらって。

 ――このまま逃げる。



 デスク周りの片付けは、最悪叔父に頼んでやってもらおう。



 そうして、きれいに柊生さんの前からフェードアウトして。

 時の流れと共に懐かしい思い出として忘れ去ってもらおう。



 そうと決めたら、やるべきことが決まってなんだかすっきりした。



 ごめんなさい柊生さん。

 でも、なによりも柊生さんに売れてほしい一心いっしんなんです――。



 と、室内でまだ眠っているであろう柊生さんに向かって手を合わせ、心の中で謝罪し、そのままそそくさとマンションを後にした。



 マンションの外に出て感じた朝の空気は、腹立たしいくらい清々しかった。




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