第2話―本題 ①―
とあるアパートの、二階の角部屋の一室。胡坐を組んで唸る、一人の男の姿があります。
男の名は佐藤。このボロアパートの住人です。まあ、どんだけボロかってぇと、部屋の中こそリフォームされてるから多少ましですが、蔦の絡んだ外観は、瀟洒ってよりは化け物もはだしで逃げだすような寂れっぷりで、近所の小学生から「お化けアパート」って呼ばれてる位です。おまけに、外階段は錆びだらけでえらく軋むもんですから、昇り降りの度に他の住人に気を使ってしょうがない。
尤も他の住人ったって、駅から歩いて
そんなボロアパートの壁の一点を、時折左右に首を傾げつつ凝視する佐藤。やがて、小さく唸って呟きました。
「……やっぱ、でかくなってるよなあ」
佐藤がそれに気付いたのは、数日前の夜のこと。
仕事から帰って人心地、さて風呂にでも入るか、って時の事です。六畳一間の色気の無いクロス張りの壁の床から40cmくらいの高さに、2cm程の白くて細っこい何かがニョキッとくっ付いてるじゃあありませんか。
「うわ、虫!」
そいつに目を遣ったまま、ティッシュペーパーに手を伸ばしかけた佐藤の動きが止まりました。
項垂れる様に宙に身を伸ばしたそいつは、よーく見てみると全然動きません。そもそも、くっ付いてるってよりは、壁の中から生えてるようにも見えます。おまけに、細い身の二か所に細い皺のよった節があって、先っちょには小さなプラスチックの欠片みたいなものが乗ってる。
どことなく見覚えがあるそいつが何なのか、気付いた佐藤が腰を抜かしかけます。
(ゆゆゆ、指⁉)
そいつは、赤ん坊の指にそっくりなのです。
佐藤は大混乱です。
(壁から指? まさか……し、死体でも埋まってるのか?)
勿論、そんなものに覚えなんてありゃしません。とすりゃあ、誰かがここに埋めたって事になる。ですが、趣味も無い、親しい友達も彼女も居ない、ないない尽くしの人生を送る佐藤ですから、仕事が終わりゃ真っ直ぐ家に帰るし、休日に出掛けることも殆どない。誰の仕業かは分かりませんが、わざわざ佐藤の居ない隙を狙って部屋に忍び込んだ上で死体を埋めるなんて手間でしかないわけで、他所に始末した方がよっぽどましでしょう。
というか、そもそもこいつは本当に赤ん坊の指なのか……パニックを抜け出し、漸く頭が働き出した佐藤。壁に顔を寄せ、まじまじとそいつを観察します。
まず、におい。埃っぽい臭いがするだけで、特に腐敗臭なんかはしません。
見た目は人の皮膚と似てはいるものの、僅かに水気を帯びてるような艶がある。
指紋は……指は床に向いて項垂れてますし、覗き込んでも小さすぎてよく分からない。
暫し腕を組み、壁とにらめっこをするする佐藤。と、何を閃いたのか、スマートフォンを取り出し、さかさかと指を動かし始めました。
やがて、
「これなら載ってるか?」
佐藤は画面に現われた「
やがて、お目当ての物を見付けたんでしょう、佐藤の指が止まりました。地面から突き出た赤ん坊の指そっくりの写真と、そのキャプションが画面に映っております。
名称 unknown
生息環境 今の所特定出来ず
毒の有無 無毒と推測される
特記事項 成長途中の子実体は「カエンタケ(有毒)」に似るが、別種と思われる
不味い
「よくまあ、こんなの食う気になったな……」
特記事項の最後の一言に、呆れたように呟く佐藤。それはともかく、これで判明しました。佐藤の推察通り、壁から生えてるモノは、ちょいと珍しい茸だったんです。
まあ、男所帯に蛆が湧く、なんてことも言いますし、確かにこのところ真面に掃除もしてない。茸の一つや二つ生えてもおかしかないってもんです。
とは言え、いくらボロアパートでも茸を生え散らかしとくのも憚られるんで、取り敢えずティッシュでつまんでみると、そいつはあっさりと壁から外れました。ただ、そいつの生えてたところからじわじわと水が染み出すのがいただけない。幸い水っ気はすぐに止まったんで、佐藤は胸を撫で下ろし、何事も無かったかのように飯を済ませひとっ風呂浴びてる内に、茸の事なんぞ忘れて、とっとと寝ちまいました。
あくる日。
目覚めた佐藤が壁に目を向けますと、壁ににょきっと小さなものが生えてます。
性懲りもせず、またも同じ所に生えてきた茸。佐藤は顔を顰め、そいつをティッシュでつまみ、丸めてごみ箱に、ぽいっ。
翌日も。
翌々日も。
懲りもせず生えてくる指、いえ、茸との戦いは続きます。
(あー、もう、今度の休みにカビ取りスプレー買って来て、大掃除だ! 取り敢えずそれまでは無視だ、無視)
なるべく壁を見ない様に数日を過ごして、ようやくの休日。
カビ取りスプレーを買いに出かけるべく、身支度を始めようと立ち上がりかけた佐藤が何気なく壁に目を向けますと、
(……あれ?)
いつの間にか、一本だけだった茸が五本並んでいるじゃありませんか。しかも壁からの生え際、所謂石づきの部分がふっくらと膨らんでいる。その見た目は、大きさといいぷくぷく具合といい、こりゃあいよいよ、項垂れた赤ん坊の右手首そのものです。
佐藤の眉が八の字に下がります。案外子供好きなんで、こいつを退治するのがなんだか可哀想に思えてきたんですな。
どうせ、部屋に連れ込む相手も居りません。だったら暫くこのままでもいいかと、とうとう茸と暮らす決意を固めます。
(名前も付いてない茸なんて、相当レアだよな……よし、俺が名前を付けてやろう。赤ちゃんの右手みたいな茸……そうだ、『
ナイスアイデア……かどうかはさておき、茸に微笑みかける佐藤。
「まあ、当分はよろしくな、右手茸ちゃん」
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