セレネ誘拐編

01.ひと月が過ぎて

 この世界にやってきて早ひと月。正確に言えば、やってきたという表現は誤りで、ノクターン曰く、生を受けたときから僕はレインとのことなのだが……。


 ひと月前を振り返ってみても、日本で漫画を描いていた記憶しか蘇らない。

 前世の記憶が混線して記憶が失われた結果らしいが、未だにそう考えることはできていなかった。


 ――この世界はなんなのか。

 ――僕は一体、何者なのか。


 正直、そんなことはどうでもいい。そう最近思い始めていた。

 僕は僕で、川瀬彰でもあるし、レインでもある。

 それでいいのだと。


 ちなみに別世界の前世の記憶を持っていて、そこでこの世界を漫画にしていたことは誰にも話せていない。僕にとってはこちらの方が問題だった。

 そのうち、セレネから依頼があるだろうし、星幽旅団の危機も待ち受けている。

 そんな重たい悩みがあるものの、僕はつかの間の平和を楽しんでいた。


 毎日、団員の仲間とくだらない会話をし、剣術や魔法の練習に励む。

 時折、行商の手伝いに狩り出されたりもしたっけか。


 星幽旅団でのそんな生活にもだいぶ慣れてきた。

 このまま平穏な日常が続けばいいのに。そう思えてしまう。


「……いかんな」


 雑念が混ざると、剣筋が鈍ってしまう。少し休息をとるとするか。

 剣を鞘に納刀し、首に掛けていたタオルで汗を拭く。


「精が出るなぁ、レイン」


 少し休憩をしようと思ったところで、ロワーズに話しかけられた。


「あ、ロワーズさん」

「マッジメだなぁ。今日は剣術の鍛錬か?」

「さすがに船で魔法は使えないですからね」


 ここはスターダスト号のデッキだ。

 平時に飛行船で攻撃魔法を使用することは規則で禁止されており、そうなると自ずと剣術の練習がメインになってしまう。


「移動中となれば自然とそうなるか。ちょっと待ってな」


 ロワーズは早足で来た道を戻り、すぐに帰ってきた。

 その手には物干し竿みたいな木の棒と三尺ぐらいの木剣が握られていた。


「レイン!」


 木剣の方を僕に向けて放られ、キャッチする。


「模擬戦をしよう。立ち会いは……まあ、居なくていいか」


 ロワーズは手元に残った棒を垂直に持ち、棒先で地面をコツンと打ち鳴らした。

 物干し竿みたいだとは思っていたが、こうしてロワーズと横並びで見てみるとかなりの長さだ。彼の背丈の倍以上はある。


「槍術ですか」

「この団一の槍使いといったら、オレのことよ」


 ロワーズの戦いをフォーカードで描いたことは一度もない。

 一体、どんな戦い方をするのだろうか。


「急所を押さえられたり、戦闘の続行が不可能になったら負け。それでいいよな」

「よろしくお願いします」


 一礼し、剣を正面に構える。僕は元々剣術で戦ってきていたはずだが、川瀬彰としてはこれが初めての剣戦闘だ。


「よろしくなっ……と」

 ロワーズは頭上で棒を得意げにくるくるとに回した後、棒の先端を軽く上に向けるように構えた。

 突きに特化した構え――いわゆる正眼の構えだ。


 一般的に槍相手に剣は不利とされている。

 特筆すべきは、やはりそのリーチの長さだ。


 敵を遠ざけたまま攻撃できるため、剣士はその攻撃圏内に入る前に大きなリスクを冒さなければならない。だが、うまく飛び込めたとて、それはまだ序の口。


 そう単純にはいかないのが槍だ。


 槍の恐ろしいところは手元の調整のみで短くもでき、棒術のように柄の方を使うことで近接戦闘も可能なところにある。


「…………」

「…………」


 無言と静寂。

 お互い構えを崩さず、制止した世界で風の音だけが響いていた。

 機先を制する者は勝つとよく言うが、僕がとった行動はその逆。

 待つことだった。


 ロワーズから動き出すことを待ち、同時に動き出す。互いに前進することで一気に距離が縮まり、僕はロワーズの懐に潜り込める。

 そう考えていたが、その選択は誤りだった。


 対峙していたロワーズも身じろぎせず、棒を構えたままじっと待っていた。ここまではいい。お互い動き出さなければ形勢は五分のはず――……なのだが。


「くっ……」


 ただ対峙していただけなのに、異変が起こった。


「どうしたレイン? 降参か?」


 僕の身に起こったことを察してか、ロワーズが笑う。


「いや、続けるよ」


 僕の身に起こった異変。

 それは、ロワーズの持つ棒の長さが、全くわからなくなったことだった。


 人は尖ったものを突きつけられれば、その先端に意識が向く。それだけでなく、ロワーズは僕の視線に合わせるように構えを変えることで、僕の目には棒がほとんど点に見えていた。これでは、どのぐらいの間合いをとればいいのかが全くわからない。


 さすが、自分を団一と自称するだけのことはある。

 ここでロワーズから、動き出されれれば敗北は必至。

 こうなる前に、こちらから飛び込んで乱戦に持ち込んだ方が勝ち目はあっただろう。


「シッ――」


 そして、一番恐れていたことが起こった。ロワーズが一瞬にして動いたのだ。

 このままではまずい。


 あんな長さの棒を突き出されれば、飛び道具と変わらない。故に、真後ろに飛ぶのは悪手。ならば横だと思うも、間合いがわからないのでタイミングが掴めない。

 どのタイミングで避けるか、判断に迷ったそのとき。


「!」


 地面に落ちていた棒の影が目に入った。


「ほぉ」


 ロワーズが感嘆の声を漏らす。

 影に気づけたおかげで、タイミングよく右横へ飛び退けたが、それでもロワーズは逃がしてくれなかった。彼の持つ棒がまるで生き物のようにしなり、僕の左肩を捉えていた。


「なっ……」


 衝撃。

 鋭い痛みが走る。視界が揺れ、一瞬の隙が生まれる。


「貰ったッ!」


 その隙を許すほどロワーズは甘くなく、二度目の追撃が僕の脇を狙ってきた。


「ハッ!」


 僕は左足を軸にして体をひねり、迫り来る棒を上から木剣で叩く。

 棒は床に叩きつけられ、カツンと小気味よい音が奏でられた。

 僕はそのまま剣の鍔で押さえつけながら、棒をレールにして疾駆する。


「その動き、悪くない。……だが、まだまだだねっ!」


 ロワーズも窮地を黙って見ているような相手ではなかった。ロワーズは一度棒から手を離し、地面に落ちるすれすれで拾いなおす。

 棒に込められた急に力が抜けたことで、僕は支えを失ってバランスを崩し、その隙に付け入るように、ロワーズはその場で回転して弧を描くように棒を旋回させた。


 まるで演舞のような動きだ。

 僕に背を向けた時点でロワーズはしっかりと棒を持ちなおしており、両手で握った棒で真横からの刺突を繰り出していた。


 僕の方はそのまま真っ直ぐ突っ込む気でいたのだが、ロワーズが背を向けた瞬間、僕はその意に反して姿勢を低くしていた。

 その行動分のラグもあって、僕はロワーズに肉迫できなかったが、取れる行動の中ではベターな方だったように思う。


 僕は低姿勢の状態で、ロワーズに向けて斬撃を放つ。

 木剣の切っ先が捉えたのは、ロワーズの体、ではなく手。


「なっ……」


 ロワーズも僕の行動は予想外だったようで、顔が驚きに染まる。

 姿勢の問題であまり力が乗っていない攻撃だったが、横から薙ぐような攻撃に対してカウンターとなり、ダメージとしては十分すぎるものだった。


 僕の一撃でロワーズの手から棒が吹き飛び、カラカラと乾いた音を立てながら棒が遠くに転がっていった。


「ふぅ」


 木剣を杖代わりにして立ち上がり、大きく息をつく。

 戦闘の続行が不可能になったら負け、だったか。


 ロワーズは武器がなく、一方の僕は武器を持っている。

 決着は、ついた。

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