09:道具ではなく

 あれからルーシーの様子は普段と変わりなかったが、二つだけ変化があった。

 一つは、魔法の練習だ。


 僕がフランコフと戦ったときに行ったことをルーシーに伝えると、それを長所として伸ばす方針にしたようで、練習内容に魔法陣が加わった。ルーシーは魔法陣に関しては専門外だったが、そんなことは微塵も感じさせないほど懇切丁寧に教えてくれた。


 もう一つは、食事に関する変化だった。

 料理の不評がシャーテの耳に届いてしまったらしく、時折ルーシーに教わりながら調理を手伝っているというのだ。


 ルーシー曰く、シャーテはいつか自分一人で提供してリベンジすると意気込んでいるそうだが、僕の魔法と同じく先が長そうだと言って笑っていた。


 ――そんな小さな変化がありながら、一週間が過ぎ。


 僕らは修理したての飛行船で、スリーザ国で一番大きな港町のリンドポートへとやって来たのだった。海を越えた先にティルア王国があるが、しばらくは依頼をこなしたり物の売買などでこの町の周辺に駐留するようだ。


 ちなみに、セレネからの連絡はまだ来ていない。

 そのため、ティルア王国に入国するのはしばらく先でも問題はないだろう。


「潮の香りがすごいな」


 そして僕は今、ジークから招集が掛かってスターダスト号のデッキにいた。

 この町のどこにこんな大きさの飛行船を停める場所があるのかと思えば、停泊場所はなんと海の上だった。まさか、この船が水空両用だったとは知らなかった。


 なんと言うべきか、本来の形らしく、海上に停泊している様は非常にしっくりくる。

 しばらくして、団員がちらほらとデッキに集まり始めた。


 僕を含めてここへ集められた理由は誰も知らされていないらしく、一体何の話だろうかとざわめいていたが、ジークとバトラーが揃って現れるとしんと静まりかえった。


「つい先ほど、龍の素材の一部に現地通貨で買い手が見つかりました」


 バトラーが手元の紙に目を通しながら言った。


「翼の部分だからそれなりに高額で売れました。ダナス換算で一人頭にすると、九万ダナスです」


 九万ダナス。

 国によってその価値は多少上下するが、外食一回が四十ダナス程度なので、かなりの大金だ。突然、遊ぶ金が入ってきて、団員たちがどっと盛り上がる。


「ダナス以外の通貨で受け取りを希望される方は、あらかじめ申し出てください」


 続けてバトラーはどんな人物が買うのか、いつ取り引きするのかを説明していたが、真面目に聞いている団員はほとんどいなかった。


 どうやらここは国一の港町ということもあって、他国との貿易が盛んに行われているのだそうだ。龍の素材という高級なものの買い手がすぐに見つかったのはそのためらしい。


「よっしゃあ、酒でも飲みに行こうぜ」

「色街組はこっちだ!」


 集会が終わり解散となっても、団員たちは完全に浮かれていた。

 僕はあーだこーだ行き先を言い合っている団員たちの横を通り過ぎ、見晴らしの良さそうな場所を求めて移動する。


「この辺でいいかな」


 その辺で拾った板材に紙を広げる。これだけで即席の画板の完成だ。


「レインは見張り?」


 鉛筆で街並みをスケッチしていると、紙に影が差し込んだ。

 顔を上げると、僕を見下ろすようにルーシーが立っていた。


「いや、見張りは任されてないよ」

「みんな街に行っちゃったけど、レインは行かないの」

「バトラーさんからお金を借りたから、そのうち服を買いに行くよ。それよりも、今は街の風景を描きたいんだ」

「団長が男は発散しないと爆発するって言ってた」


 酷いセリフをルーシーがあっさりと言ってのけ、僕は思わず頬が引きつった。

 ルーシーに何を吹き込んでるんだ、あの団長は。


「節操があれば平気だよ」


 ルーシーはふぅんと唸って、僕の隣にちょこんと座り込んだ。


「ルーシーの方こそ、どこか行かないの」

「少ししたら食事の買い出しに行く。レイン何か食べたいのある? 今日はみんな外食になるだろうから、明日にでも作る」


「ルーシーが作ったものなら何でも良いよ」

「ダメ。何かリクエストして」

「うーん……」


 食事はルーシーが作っているとはいえ、僕がメニューを決めてしまってもいいのだろうか……。まあいい。誰かが困るわけでもないし、これぐらいは許されるだろう。


「じゃあ、米と魚料理が食べたいな」

「わかった。そうする」


 今までの食事は悪くなかったが、やはりお米が恋しくなっている。

 それに、これだけ大きい港町だ。米のほかにも新鮮な魚も売られているだろう。


「レインの絵、いつ見ても上手」


 僕の横で飽きずに絵を描く様子を眺めていたルーシーが、ぽつりと漏らした。


「ありがとう。実は人物を描くより、こういった背景を描く方が好きなんだ。扉絵も風景に力を入れたものが多かったし」

「扉絵?」


 首をかしげたルーシーを見て、うっかり漫画のことを語っていたことに気づく。


「あー、えっと、そう。背景の多い人物画のことだよ」


 違うけど。


「そうなんだ」


 あぶないあぶない。

 この世界に絵本はあるだろうが、漫画なんて文化は間違いなくないだろう。

 なんというか、外来語禁止ゲームをずっとやらされているような気分だ。


 このまま未来永劫、気を張ってるわけにもいかないし、さっさと自分が別の世界でこの世界を描いていたことを話してしまった方が楽なんじゃなかろうか。


 そうだな……。まずは、ルーシーだけに打ち明けてもいいかもしれない。

 信じてくれるかは別だが、ルーシーの秘密を知ってしまったのだから、僕の秘密も明かした方がフェアなんじゃないかという気持ちもある。

 話そう。


「あのさ――」

 決意を固めたそのときだった。

「さっきの話。レインならルーシーで発散してもいいよ」

 ルーシーがとんでもないことをすまし顔で言い出した。


「なっ……」

 危うく紙に引いていた線がゆがみそうになった。

「ただのジョーク」

「びっくりさせないでよ。今更だけどルーシーっていくつなのさ」

「十三」


 この世界でもさすがにアウトな年齢だろう。


「それじゃあ、ルーシーには早すぎるよ」

「レインはいくつ?」

「十七だよ」


 精神年齢はもっと上であることは言い出せなかった。


「四年たったらルーシーのこと使う?」

 使うって……。

「……年齢も大事だけど、そういうことは大切に想う人とするものだよ」


 どんな顔をしていいかわからず、船から見える街並みに目を向ける。

 改めてみると大きい街だ。


 海辺の通りには様々な店が並んでいて、人の往来も多く活気づいている。一番目を引いたのは、街の右手側にある高架橋で、その上を魔導機関の鉄道が走っていた。その様相は異世界というより、日本とは違うどこか遠い国に来たような気分にさせる。


「色町に行った人は?」

「あれは何というか……、一夜限りの大切な人に会いに行ってるというか……」


 痛いところを突いてくる。不純なものに綺麗な言葉を着せても不純のままだ。


「ルーシー、よくわからない」

「ルーシーは知らなくていいんだよ」


 それから互いに無言になってしまい、妙な空気が流れてしまう。

 意識しているのは僕だけで、ルーシーは僕の絵を黙って見ているだけかもしれないが。


「ルーシー、そろそろ行くね」


 おもむろに立ち上がったルーシーを目で追って、紙から顔を上げる。

 ルーシーはどんな顔をしているのかと思えば、いつもの涼しげな表情だった。


「ああ、うん」


 結局、自分のことを言い出す機会を失ってしまったな。

 再び紙に向かうと、立ち上がったばかりのルーシーがなぜかしゃがみ込んで、僕の耳元に顔を近づけた。


「でも本当に我慢できなかったら言って。ルーシーはホムンクルス。道具モノだから」


 とんでもないことを耳打ちされ、卒倒しそうになる。

 二の句が継げずに呆然としていると、その間にルーシーは去っていってしまった。


「…………」


 だがなぜだろう。

 男なら心躍ってもいいことを言われたのにも関わらず、僕はわだかまりを感じていた。


 自分が道具だって?

 己にそんなレッテルを貼り付けるなんて、馬鹿馬鹿しくないだろうか。


 ルーシーは考えなしにモノを言うような奴でもないので、その言葉は本心なのだろう。困ったものだ。

 僕は立ち上がり、急いで船の縁に駆け寄った。


「ルーシー!」


 タラップを降りているルーシーを見つけて、声を張り上げる。


「自分のことを道具モノとかずるいぞ!」


 声がしっかりと届いたのか、ルーシーが呆気にとられたような顔で振り向いた。

 ほら。こうしてみると、普通の女の子じゃないか。


 僕がフォーカードでルーシーを描くとき、モノとして描いてなんていない。この世界に生きる一人のキャラクターとして、彼女を描いていた。

 僕はルーシーに向けて、畳みかけるように言葉を紡ぐ。


 自分がホムンクルスで道具や兵器として作られたからといって、いろんなことで線引きをしていそうな彼女がたまらなく嫌に思えたのだ。


「人はさ! 辛いことがあっても前を向いて生きてるんだ」

 だから、声を大にして言ってやった。

「道具になって逃げるなよ!」

 ルーシーは目をぱちくりさせた後、ふっと微笑んでぼそぼそと何かをつぶやいた。


「ん……?」


 小さい声で言ったのか、はたは風のいたずらか。

 ルーシーの言葉は海風に紛れてよく聞こえなかった。


「なんて言ったんだー?」


 僕の問いかけにルーシーはクスクス肩を揺らすだけで何も答えず、純白のローブをふわりと翻して、街へと向かっていってしまった。


 その後ろ姿を見送りながら僕は考える。

 僕に向けて、彼女はなんと言ったのか。

 結局、謎のままになってしまったが、その言葉はなんとなくわかった気がした。

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