08:ユニーク

 ルーシーの部屋は僕の部屋の三つ隣にある。

 僕がなぜそのことを知っているのかというと、彼女がこの部屋を出入りしているところを何度かこの目で見たからだ。


 女の子の部屋というのは、男にとっては月の裏側のようなもの。普段なら興味をそそられただろうが、訪れる理由が理由なのでワクワクした気持ちにはなれなかった。


 扉の前に立って、深呼吸。

 僕の部屋と全く同じ扉だというのに、なぜだろうか。

 目の前の扉が、重厚で固く閉ざされた扉に感じてしまう。


「ルーシー?」


 扉を優しくノックして、呼びかける。

 だが、扉の向こうからの返事はなく、遠くにいる団員の笑い声がかすかに聞こえるぐらい廊下はしんと静まりかえっていた。

 妙な静けさ。それが不安を掻き立てる。


「レインだけど」


 再びノックして名乗るも、返事はなかった。


「あれ……?」


 なんとなくドアノブに手をかけると、鍵がかかっていなさそうな手応えがあった。

 入ろうと思えば入れるが、女の子の部屋に勝手に入っていいものかどうか。思い悩みつつも、意を決して入ることにした。


「ルーシー? 入るよ?」


 ドアノブに手をかけ、ゆっくりと開いていく。

 そっと部屋に足を踏み入れ、中を覗いてみるとひどく質素な部屋が僕を迎えた。

 入居したての僕の部屋並みに家具がなく、それがルーシーらしいと言えば、そうかもしれない。


「いない……?」


 そんな部屋だからこそ、彼女がいないことにすぐに気づけた。

 ベッドの上には、彼女が大切にしていた銀色の杖が無造作に置かれている。

 

 杖を持たずに船の外へ出たとは思えないが、いつも肌身離さず持っていた杖がこうして置かれていることにますます不安が募っていく。

 手に取ってみると、彼女の温もりがまだ杖に残っているように感じた。


「とりあえず、団長に報告だ」


 籠もっていたはずのルーシーの姿がない。ジークにそれを伝えるために、団長室へとんぼ返りするも、先ほど開いた扉には鍵がかかっていた。

 ノックをしてみるも、ルーシーの部屋の時と同じように返事がない。


「さっきまでいたのに、どこへ行ったんだ」


 とりあえず、人が多そうな食堂へ戻ってみる。だが、そこにもジークの姿はなく、食堂にいる団員の数も先ほどより減ってしまっていた。


「団長がどこにいるか、知ってる人いないかな?」


 食堂にいる人間の視線が僕の方へと集まるも、誰一人声を出さなかった。

 焦りから舌打ちが飛び出しそうになったが、ぐっとこらえる。


「ルーシーを見た人は?」


 質問を変えると、視界の隅にいたテオマンが立ち上がった。


「ルーシーなら、ついさっきデッキの方で見たぞ」


 ご丁寧にも、方角を指さしながら答えてくれた。


「ありがとう!」


 礼を言って、足早に食堂を後にする。

 ルーシーが見つかるのであれば話は早い。


 この船、スターダスト号は全長百三十メートルとそこそこの大きさがあるが、空飛ぶ船ということから、デッキにはあまり物が置かれておらず、死角になる場所も少ない。


 そんなこともあり、ルーシーの姿は難なく見つけることができた。

 ルーシーは膝を抱えて床に座り込み、頭を垂れて塞ぎ込んでいた。ひどく落ち込んでいる様子だったが、僕は彼女を見つけられて深い安堵を感じずにはいられなかった。


「ここに居たんだ。探したよ」


 そう言って近づくと、ルーシーははっと顔を上げて僕を見た。


「来ないでっ!」


 明確な拒絶。あまり感情を高ぶらせない彼女のその一言に、僕は何も返せなかった。

 けれど、こんなルーシーの姿を見て、放ってはおけなかった。このまま時間が過ぎてしまえば、もっとひどいことになる。そんな予感がして、僕はその場に座り込んだ。


 長く、長く、無言の時が続く。

 時折、人が通りがかるも、僕らの様子で察してか、特に話しかけられることもなく。


 昼から夕へ。

 ただただ時間だけが過ぎていく。


 日が傾き、空が赤くなりかけてもルーシーは一言も話すことなく、僕の方もただただじっと、ルーシーから話しかけてくれるのを待っていた。


「どうして気に掛けるの……」


 辺りが暗くなり始めた頃に、ルーシーがぽつりと言った。


「ようやく喋ってくれた」

「…………」


 僕が優しく微笑みかけるも、再びルーシーは黙り込んでしまう。


「ルーシーが辛そうだったから」

「辛いんじゃない。怖い」


 よく見れば、ルーシーの身体は小刻みに震えていた。


「怖い?」

「レインはルーシーのこと、どこまで知ってる?」

「ルーシーがホムンクルスだってことは団長から聞いたよ」


 ルーシーが恐れていることは理解しているので、何も知らないふりはできた。

 けれど、これから僕は彼女の問題と正面から向き合うのだ。ここで嘘はつけない。


「……そう」


 僕の正直な答えに、ルーシーはうつむくと、


「そのことでみんなが嫌わないかって」


 膝頭に口元をくっつけた姿勢で、ぼそぼそとつぶやいた。

 どうして、ルーシーはそこまで恐れているのだろう。


 この団は人族だけでなく、ハイエルフのジークや魔族のシャーテ、魔物のプランや巨獣人種のアスタロットと様々な種族が集まって出来ている。


「そんなことないよ。絶対に」


 何もホムンクルスのルーシーだけが、特別嫌われるなんてことはないはずだ。


「嘘」

「嘘じゃないよ」

「リーリェはホムンクルスだと知って、どうして隠していたのかって凄く怒った」

「リーリェさんが……?」


 意外な答えに僕は戸惑う。

 ルーシーの話からてっきり、二人は仲良しだと思っていた。

 何かの誤解だと思いたい。


「ルーシー、セルビナ公国の兵器として作られた。人格の形成がイマイチだからとかで、教会に預けられた。その教会でシスターをしていたのがリーリェだった」


 ホムンクルスであることを含め、フォーカードにそのような設定はない。

 ルーシーにそんな過去があるとは思わなかった。

 兵器として作られた、とはあまり気分のいい話ではない。ちょっとだけ感情の起伏が少ないだけの――ただの女の子だとばかり思っていた。


「リーリェがルーシーのことを知ったのは、ルーシーが戦いに駆り出されることになった時だった。そのときのルーシーはみんなのために頑張ってくると意気込んでて、リーリェから笑顔で送り出してもらえると思っていたけど逆だった」


 ルーシーがギュッと目をつぶり、握りこぶしを作った。

 声は震え、ルーシーの持つ悲しみが、痛いほど伝わってくる。


「結局、ルーシーが戦いに出る前にセルビナ公国は敗戦した。けど、その間にフォーリは敵国からの攻撃を受けて、みんな死んじゃった。残ったのはリーリェの杖だけ」


 それはひどく間が悪い。完全にけんか別れだ。

 それがルーシーを苦しめる呪いになってしまっている。


「昨日も聞いたけど、ルーシーはどうしてリーリェさんの杖を大切に持ってるの?」

「それは……リーリェと過ごして、心地よく思ってた気持ちは本物だったから」

「それはさ、リーリェさんだって同じだと思うよ」

「えっ?」


 僕の言葉が思ってもみなかったのかルーシーが目を丸くする。


「昨日の今日でルーシーが実はホムンクルスってわかったところで、今までの関係が急に変わったりなんてしないさ。ホムンクルスである前に、ルーシーはルーシーだよ」


「じゃあ、どうしてリーリェは怒ったの」

「それは今までルーシーが、自分のことを隠してたからじゃないかな」


 僕はルーシーに言い聞かせるように話し続ける。


「それに、親しい人が国の兵器だったと知ったら誰だって怒ると思う。それはルーシーに対してじゃなく、世の中に対してね。もしかしたら、その気持ちの整理がつかなくて、ルーシーに当たっちゃったのかもしれない」


 リーリェはいない。だから、この言葉は本人の言葉じゃなく、僕の考えでしかない。


「……リーリェはもういないからわからない。下手な慰めはやめてほしい」


 思っていたことを見透かされたように、ルーシーがつぶやいた。


「……まあ、そうだね」

「レインもそのうちルーシーが嫌いになる」

「そんなことはない!」


 きっとルーシーは不安なんだろう。僕が大丈夫といっても、それは単なる言葉で、誓約にも何にもならない。ジークが言っていたのはこのことだったのだろう。

 言って信じてくれないのならば、行動で示すまで。


「僕が証明するよ。ルーシーがホムンクルスだとしても平気だってことを」


 僕はゆっくりとルーシーへ近づくと、肩に手を当てて抱き寄せた。


「少なくとも僕はルーシーを嫌いになんてならない」

「ホント? 信じていい?」


 ルーシーは僕の胸に顔を埋め、声に嗚咽が混じった。


「信じていい」

「うっ……、うううぅううぅ」


 僕の腕の中でルーシーは堰を切ったように泣き出した。


「よしよし、いいんだ。他人をそう怖がらなくて」

「うん」


 しばらくして、ルーシーは泣き止んだ。

 落ち着いてきただろうかとルーシーから離れようとすると、ルーシーがぎゅっと僕の背中を強く掴んできて、離れようとしてくれなかった。


「あの、僕から始めておいて何だけど、そろそろ離れてくれないかな」

「ヤダ」


 参ったな。何だか見た目以上に幼くなってしまっている。


「……誰かに見られちゃうかもしれないし」

「いい。見せつける」


 今のルーシーはまるで幼子だ。思えば彼女は、ホムンクルスなのだから両親というものがいないはず。育て親のリーリェも居ない。こうやって誰かに甘えたかったのだろうか。

 けれど、このままずっとこうしている訳にもいくまい。


「そろそろ晩ご飯だし、お風呂にも入らないと」


 最後に食事をしたのは昨日の朝だし、風呂にも丸二日入ってない。


「レインと一緒に食べるし、お風呂も一緒にはいる」

「お風呂はだめでしょ」


 風呂場は大浴場の一カ所だけで、時間で男女の入浴が分かれている。ルーシーはよくても、ほかの人間がだめだろう。


「じゃあ、もう少しこのままでいさせて」

「いいよ」


 ルーシーの背を撫でながら、空を見上げる。

 空にはルーシーと肩を並べて食事したあの日のように、星が瞬いていた。


「でもさ、ルーシー。そうやって顔をうずめてないでさ。顔を上げてごらんよ」


 顔を上げたルーシーと視線が合い、僕は微笑みかける。


「ほら、凄い星が綺麗だ。下を向いてたら勿体ない」


 そう言って星空を指さすと、ここでようやくルーシーは笑ってくれた。

 クスクスおかしそうに笑い、再び僕を見つめるとこう言った。


「やっぱりレインってユニーク」

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