04:フランコフ
「隠れてないで出てきたらどう?」
唐突に矢が飛んできたというのに、ルーシーはいたって冷静だった。
「そう。出てこないのならこちらからいく」
ルーシーは遠くの茂みに向かって、杖を構えた。
「
ルーシーが唄うように呪文を唱えると、ルーシーの頭上に炎が顕現した。
この詠唱はファジャベイルだろう。
炎属性の中級魔法で、対有機物魔法――すなわち生命体に対して強力な殺傷能力を持つ魔法だ。生き物を屠る目的で編み出された魔法は、二重螺旋の炎となり、槍のような形状へと変化していく。
「ファジャベイル」
ルーシーは躊躇いなく杖を横に薙ぐと、その炎は弦から放たれた矢のように茂みへ向けて一直線に飛んでいった。
弓矢に対する炎の槍の応酬。
中級魔法の直撃はさすがに避けたいのか、茂みから転がり込むように男が飛び出してきた。ずささっと砂埃を舞いあげて、男が体制を整える。
若い男だ。
右手にはクロスボウを持っている。先ほどの矢はあれで放ったのだろう。
「盗賊?」
ルーシーの短い問いにも男は何も答えない。
質問の答え代わりとでも言わんばかりに、男はクロスボウを構えて、矢を放った。
「プロシード」
ルーシーがプロシードで淡々と矢をいなす。
「カタクリスタル」
そのまま流れるように攻に転じ、追撃を行った。
「クソッ」
男が舌打ちをする。先ほど僕のプロシードを破った氷の弾丸は、狙いを定めたかのように男の手にあったクロスボウに命中していた。
見たところクロスボウの弦は無事だったが、カタクリスタルの氷が弓床へ楔のように打ち付けられていた。あれではまともに矢を装填ことはできまい。それなりの銃火器がある世界だというのに、クロスボウを得物に選んだのが誤りだろう。
「続ける?」
男に向けてルーシーが杖を構える。
クロスボウを喪失して戦意も失われたかと思いきや、男は諦めていなかった。腰から短刀を引き抜き、ルーシーにめがけて突進していった。
まずい。
魔術師の弱点は近接戦闘だ。このままではルーシーが危うい――と心配する間もなく、ルーシーはカタクリスタルを発動して、短刀を握った手を狙い違わず正確に打ち抜いた。
ガッと殴りつけたみたいな音が響き、鮮血とともに短刀が宙を舞う。
男はルーシーの元にたどり着くことなく、流血した手を押さえて膝をついていた。
「なぜ襲いかかったの」
ルーシーは杖を構えたままゆっくりと男へと近づいていく。
「…………」
「答えないと殺すけど」
あくまでもだんまりを決め込むらしい。男は額に汗を滲ませ苦悶の表情を浮かべているというのに、うめき声一つあげていないとはなかなか徹底している。
「宵闇の
ルーシーが魔法を唱えると、男は糸が切れた傀儡のように力なく倒れた。
「殺しちゃったの……?」
男は地面に横たわったまま、ピクリとも動いていない。先ほどの魔法で、本当に物を言わぬ骸に変えてしまったのだろうか。
「ううん、眠らせただけ。とりあえず団長のところに連れて行く。手伝って」
ルーシーが男の近くで屈んだ瞬間、茂みの方から影が飛び出してきた。
「ルーシー、後ろ!」
僕が声を上げる前にルーシーも気づいていたようだったが遅かった。
気配なく迫ってきたそいつにルーシーは押し倒され、組み敷かれてしまった。
「やれやれ、使えない奴が生き残りやがって。ション弁くさいこんなガキ一人に翻弄されるとはな」
「おまえは……」
僕がこの世界に来て初めて出会った人物。フランコフだった。
「やぁやぁやぁ、ご機嫌麗しゅう」
どうしてここにフランコフが? 死んでいなかったのか?
「おっと、妙なことをしたら、すぐにこの喉をかっ切るからな」
「くっ……」
ルーシーが苦悶の表情を浮かべる。首元にナイフを押しつけられ、首筋には小さい鮮血の玉ができあがっていた。
「やめろ、ルーシーを離せ」
「おいおい、気にくわねぇな。うちの奴らはこんなヘラヘラした軟弱に殺されたのか?」
悔しいが、フランコフの言うとおりだ。
さっきの自分は一体なんだ。
さっき僕はルーシーが戦っている姿を見ていただけだった。これで、ノクターンにセレネを救うと豪語していたのか? 我ながら聞いて呆れてしまう。
「今すぐお前らをぶち殺したい気分なんだが、もっとぶち殺したいやつがいてな。一つ頼みを聞いてくれないか」
「……言ってみろ」
「今すぐジークを連れてこい。さもないとこのガキを殺す」
それを飲んだとて、ルーシーを解放してくれる保証はどこにもない。
「僕が代わりに人質になる。だからルーシーを離してくれ」
「断る。テメェはジークを連れてくればいい。簡単なことだろう?」
さすがに取り引きには応じないか。
今の僕は丸腰で、奴はルーシーの戦いを見ている。奴にとって僕よりルーシーの方が明らかに脅威だ。今の状況を変える理由がない。
一体どうすれば……。
「ルーシーはモノだから。気にしないでレインは逃げて」
「おい、ガキ。魔法さえ唱えなければ、何しゃべってもいいとは言ってねぇぞ」
フランコフがルーシーの口を押さえつける。
「んんんー」
「ぐっ……」
ルーシーがフランコフの手に噛みついた。
「逃げて!」
「うるせぇぞ」
フランコフはルーシーを足蹴にすると、ルーシーの足にナイフを突き立てた。
そして、そのまま肉を断つように横に引いた。
「あああぁああぁぁっっっ!」
ルーシーが悲鳴を上げ、苦悶の表情を浮かべながら地面を転げた。
「うっかりやっちまった。このままだと死ぬかもなこいつ」
フランコフがハハッと笑い、再びルーシーを足蹴にした。
「何してんだお前!」
自分の中でぞわりと、総毛だったのを感じた。手も少し震えている。
手が震えるほどの強い畏怖。
それはフランコフではなく、自分に対して感じていた。このまま我を忘れてしまえば、すべてを滅茶苦茶にしてしまうこともできる。そんな全能感が畏怖と同居していた。
「うるせぇな。黙ってジークを連れてこい。ガキが助からなくてもいいのか」
だめだ。
ルーシーが刺された箇所はよりにもよって大腿部。このままフランコフの言うとおりにしたとしても、戻ってくる間にルーシーは出血多量で死んでしまうだろう。
「フランコフ、お前だけは許さない」
僕はフランコフを睨み付け、ゆっくりと歩を進めていく。一度死んだことがあるからか、はたは、レインとしての性を受け継いでいるのか、恐怖はまったく感じない。
ただただ相手が憎い。
自分でも抑えが効かないほどに、心は黒い感情で溢れている。自分が捕まっていたときには、こんな感情は芽生えてすらいない。
自分ではなく、誰かが理不尽に傷つく。それが嫌でたまらなかった。
「丸腰の相手を殺す趣味はないんだがな。それ以上近づいたら殺すぞ」
「丸腰? 僕には魔法がある」
「魔法だと? さっきこいつとやっていた、ままごとのことか?」
「お前は今からそのままごとで死ぬんだよ」
かつて、川瀬彰として生きていた間に、これほどまで他人に憎悪や殺意を向けたことはあっただろうか。しかも、幸か不幸か、フランコフを殺すすべを僕は持っていた。
人を殺すという行為に慣れていないと動きが鈍る、なんて話をよくフィクションで耳にする。僕も漫画を描いていた頃は、そんなことも気にしたりもした。たとえ相手が悪人で正当性が保証されていても、殺しは躊躇するモノなのだと。
だが、今、それが誤りだとわかった。
どうやら人は特定の条件下では、躊躇いがなくなるらしい。
その条件とは単純明快。
「グランプ」
相手を殺さないと仲間が殺されるときだ。
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