14:ルーシー、怒る

「待ってくれ!」


 ノクターンに向けて伸ばした手は空を切り、天井を向いていた。


 ――天井?


 それもそのはず。先ほどまで椅子に座っていたはずが、なぜか仰向けに倒れているのだ。

 起き上がると、そこはベッドの上だった。辺りにはたくさんのベッドが並べられていて、その一つに僕がいた。


「また、どこかに移動したのか……?」


 狐につままれた思いで自分の格好を見てみると、ローブに戻っていた。戻ってきたというのはおかしな表現だが、少なくともあの不思議空間からは脱したらしい。


 うすぼんやりとした頭で考える。

 あれは夢だったのだろうか、と。


 それにしてはあまりにもリアルだった。彼女と交わした会話も鮮明に覚えている。

 まったく。

 ここへ来てから夢か現かを何度考えさせられるのか。そんなことを考えていると、


「寝言で目が覚めたかね」


 カーテンが掛かった戸口から、無精ひげを生やした男が現れた。


「私は船医のイーヴェレだ。挨拶はいらないよ。君は今話題の人物だからね」


 イーヴェレを本編に登場させた覚えはなかったが、設定資料本に船員として描いたのは覚えている。そして、彼が船医であることから、ここはどうやらスターダスト号の医務室らしい。

 イーヴェレは無精ひげを撫でながら、


「マナの逆流とマナ切れの合併症だね。無茶はよくない」

「マナの逆流?」

「なんだ知らないのか。無理にマナを引き出そうとすると起こる症状さ。身の丈に合わない魔法を使ったときによく起きるんだが、心当たりはあるかね?」

「あー……」


 無茶苦茶あります。


「今までずっとここで僕は寝ていたんですか」

「ああ、そうだよ。二時間前ぐらいかな。君が運ばれてきたのは」


 だとすれば、あれは何だったのか。

 ベッドから抜け出そうとしたところで、毛布の上に何かが乗っていることに気づ

く。洗っていた服を下敷きに、紙で包装された何かが重ねて置かれていた。

 この包みは何だろう。手に取ってみると、少し重たい。


「ああ、それはルーシーがレインにって着替えと一緒に置いていったんだよ。きっと昼食だろう。マナ切れには食事して寝るに限るからね」


 そういえば、朝から水以外口にしていなかった。どんな食事か気になったが、ベッドの上で広げるのもどうかと思い、服と一緒に脇に抱えて立ち上がる。


「すみません、お世話になりました」

 頭を下げた拍子に、少し体がふらついた。


「気にしなくていい。これも私の仕事のウチだからね。病床はこの通り空いてるし、もう少し休んでいきなさい。見たところ、まだ本調子じゃなさそうだ」


 大丈夫と言いかけたが、医者の言うことはおとなしく聞いた方がいいだろう。自分の知らない症状であるならば、なおさらだ。

 ベッドへ戻って横になろうとしたところで、イーヴェレがこちらにやってきた。


「忘れるところだった。ルーシーから伝言を頼まれていたんだった」

「あんまり聞きたくない気がしますが、なんて言ってたんですか」


 イーヴェレは大仰に肩をすくめて苦笑した。


「勝手なことしないで、だそうだ」

「やっぱり……」

「大層ご立腹だったから、会ったらすぐに謝っておいた方がいい」


 こればかりは言い訳のしようがない。


「おっと、噂をすれば、だな」


 振り返ってみると、ルーシーがこちらに向かってきていた。


「レイン」

「ご、ごめん」


 ルーシーの威圧に負けてベッドの上で正座する。


「その姿勢は?」

「僕の国の反省表現みたいなものです」

「謝ってほしいわけじゃない。何をしたのか聞いてる。休憩はしたの?」


 あまり感情を表情に出さないルーシーだが、この時ばかりは目が据わっていた。


「休憩はしました。魔法を使おうとして」

「何を使おうとしたの」


 鋭い詰問が続く。正座じゃなく五体投地にすべきだったか。


「少しばかり中級魔法を……」

「少し?」


 こ、怖い。


「普通に使おうと思いました。ハイ」

「中級以上の魔法は適正や熟練度が関係する。魔法は遊びじゃない」

「……はい」


 もちろん真剣な気持ちもあるが、途中から遊び半分になっていたのも否めない。


「ルーシー、レインが魔法を使えるように団長に任されてる。魔法関連でレインに何かあったらルーシーの責任。わかってほしい」


 ルーシーの言うことはもっともだ。漫画の仕事で初日に参加したアシスタントが指示していないことを勝手に始めたら、僕も同じように怒る。

 それから、中級魔法は尚早だということを交えつつの説教が五分ほど続き、


「――そういうわけで、今のレインはマナコントロールの練習を続けるのが最適」


 という言葉で締めくくられた。


 己の愚を認めて頷いてもよかったのだが、今の僕はといえば、造形を思うままに作れるほど上達してしまっている。中級魔法を使おうとした言い訳にはならないが、それはそれで伝えてしまってもいいのではないだろうか。


「それなんだけど――」


 そうして、僕はルーシーに一人で練習していたときのことを淡々と話した。


「それ、本当?」


 頷くと、ルーシーは表情をわずかに変える。


「何なら、今からでも見せられるけど」

「明日見せてもらう。今日は休むこと。ルーシーと約束」


 そういえば、さっき医者のイーヴェレから休めと言われたばかりだった。


「そうだね。そうするよ」

「あと、それ、食べて」


 ルーシーがそれと言って、昼食が入った紙包みを指さした。


「わざわざ持ってきてくれてありがとう。後でいただくよ」


 僕が礼を述べた直後、頃合いを見計らったようにジークが病室に入ってきた。


「おう、レイン。自分がぶっ倒れる魔法を使ったってのは本当みたいだな」


 明らかに何があったかわかった上で言っている。開口一番、なかなかの皮肉だ。


「怪我人に向かって、ずいぶんなご挨拶だなぁ」

「あっはっは。これぐらいの軽口は受け流せないと、ウチでは苦労するぞ」


 一見すると無害そうなルーシーも毒を吐くぐらいだ。星幽旅団内での皮肉の言い合いは日常茶飯事。いずれ僕もそうなってしまうのだろうか。


「団長。龍の解体は終わったの?」


 ルーシーがジークに訊ねる。


「まだだ。野郎総出でやってるから、明後日には終わるだろうな」


 先ほどまで作業をしていたのだろう。よく見るとジークの服の所々に血が滲んでいる。


「僕は参加しなくてもいいの?」

「お前さんは龍討伐に一役買ったから免除だ。それにふらふらな状態で来られても、足手まといにしかならん。やめとけ」


 ごもっともで。


「調子のほうはどうなんだ。ルーシーが血相を変えて来たからびっくりしたぞ」


 司祭魔術師であるルーシーが慌てて助けを求めてきたのだ。さぞ驚いただろう。


 一般的な回復魔法が通用するのは肉体の損傷のみ。

 毒や病気など怪我以外に対応するためには、症状に応じた魔法を適切に使う必要がある。僕が倒れた原因はマナ切れなので、助けを求める以外どうしようもなかったのだろう。


「少し休めば大丈夫だと思う。ごめん、迷惑かけたみたいで」


 改めて二人に頭を下げると、ジークはケラケラと笑い出した。


「珍しいルーシーを見せてもらったからいいさ。レインが倒れた、助けてーってな。なかなか見物だったぞ」

「団長」


 ルーシーがむすっとした表情で、ジークの頬を引っ張った。


「いひゃいぞ。本当のことひゃないか」


 ルーシーは団の中で最年少のはずだが、こうやって身分関係なくふざけ合える二人の仲の良さが微笑ましく、思わず笑ってしまう。


「で、団長は僕らを茶化しにわざわざ帰ってきたわけ?」

「大事な仲間が倒れたんだ。団長の俺様が心配しないでどうするんだよ」


 ルーシーから相当な力で引っ張られたのか、赤くなった頬をさすりながら言った。


「あ、うん、ありがとう」


 面と向かって、こうもストレートに仲間だと気持ちを伝えられると調子が狂う。


「というのは建前で」


 おい。


「しばらく休んだら、シャーテのとこに行ってくれないか? おそらく部屋に籠もっているだろうから、そのときになったら誰か捕まえて場所を聞くといい」

「シャー姉のとこに?」

「ああ、二人っきりでなんか話したいことがあるとかでな。内容を聞いたんだが、教えてくれなかった。心当たりはあるか?」


 中級魔法を使って倒れたこと……ではないだろうな。


「魔法陣のことかな」

「用があるとしたらそれだろうな」


 他の人間にとっては新発見の魔法だ。高い関心を持つのも無理もない。


「あいつはあいつですごい魔術師なんだがな。シャーテが興味を引くってのは相当だ」

「シャー姉ってそんなにすごいんだ」

「あいつは俺様が知る中でも指折りに入る」


 ただ者じゃない気配はあったが、ジークにそう言わしめるのだから、相当なのだろう。


「さて、レインが無事そうなのも確認したし、そろそろもどるかな」


 そのまま部屋を出て行くかと思えば、何か言い残したことがあるのか、ジークは戸口の手前で立ち止まった。


「ああ、そうそう」


 まるでフランコフのアジトに居たときみたいにジークが振り返る。


「ガキみたいに女の子の気を引きたい気持ちもわかるが、あんまりバタバタ倒れるんじゃないぞ。ダサいからな」


 子供はどっちだと言い返してやりたかったが、口には出さなかった。

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