12:精神世界
次に視界が開けたとき、木目の壁が目に入ってきた。
「ここは……」
どこだ?
建物の内部。それも古めかしさを感じる場所だ。
調度一つとっても荘厳な佇まいを持っており、それに加えて古い教会のような静謐さも併せ持っている。ランプに明かりが灯っているところを見るに、人が居るのだろうか。窓一つない空間だが、それなりに明るい。
そして、一番目を引いたのは目の前にある木造の階段だ。
その階段は壁を沿ってぐるぐると上へと伸びており、その先を見通そうとしても天井が見えないほどにまで遙か彼方まで続いていた。
「外にいたはず……だよな? なんか塔っぽいけど……」
中級魔法を試そうとして、どうしてこんな場所にいるのか。
誤って魔法でテレポートしたとか?
「……それはないな」
魔法による転移などの空間操作はかなり高等な部類に入る。仮に間違いがあったとしても、今の自分に発動できるとも到底思えない。
思案しながら辺りをぐるりと見渡し続け、僕はあることに気づいた。
眼前の階段は上りのみ。一番下の階層だというのに、通路も扉もない。
あるのは上り階段だけ。
「おや? やっとチャネルが繋がったみたいだね」
奇妙な空間に囚われて呆然としていると、上から女の声が降り注いできた。
「キミが寝ている間も呼びかけていたんだけど、このタイミングで繋がるとはどうも波長が合わないみたいだね」
「誰だ!?」
「ボクが誰だか気になるのなら、そこの階段を上るといい。一番上で待ってるよ」
「ここはどこなんだ!」
問いかけるも、僕が階段を登ってくるのを待っているのか、返事はなかった。
「一番上って言われてもな」
ため息交じりにぼやいて上を見上げる。
登れっていうのか? この高さを?
見える距離だけでも、ウン百メートルは確実にありそうな高さだ。
とはいっても、この場所は袋小路。
できることといえば、この長い階段を上ることだけだろう。
「ん……?」
階段に一歩、足を踏み出して気づく。
服装がローブじゃなくなっている。
この服装は元の世界でよく着ていたものだ。
それだけじゃない。
背丈も、声も、体つきも、レインではなく元の自分に戻っている。
辺りの様子に気を取られて、しばらく気づけなかった。
「いったいなんなんだ……」
ここが病院ではないことから、元の世界ということでもなさそうだ。
腹部には刺された跡もない。
それに、天井が見えないぐらいの高さがありながら、柱のようなものはどこにもなく、建物としてあまりに非現実めいていた。
これが現実の建造物ならば、倒壊してしまうだろう。
一時間以上は登り続けただろうか。
レインの体力が引き継がれているのか、はたはここが謎空間だからだろうか。
漫画ばかり描いてきた元の自分に体力はなかったはずだが、不思議と疲労は感じない。それ故か、登り切った時の達成感はなく、むしろ眼前の光景と合わさって拍子抜けした。
最上階に何が待ち受けているのか。
そんなことを思いながら登り切った先、一人の女性が中央に置かれた椅子に座り、ゆったりとした様子で茶を飲んでいたのだ。
「やあ」
そして、その女が最初に発した一言もひどく拍子抜けするものだった。
「お前は誰だ」
「まあまあ、相焦らず座ってお茶でもどうだい」
威圧的に訊ねたつもりだったが、涼しげに受け流されてしまう。
「茶を飲むために登ってきたわけじゃ――」
ないと言いかけて、違和感が。
違和感の正体を探って気づく。
ここで交わされている言葉。それは日本語だった。
「もしかして、日本人なの?」
彼女は口を開かず、黙って対面の空き席を指さした。
どうやら座れ、ということらしい。
このまま突っ立っていても状況が変わりそうにもないので、大人しく座ることにする。
「宜しい」
女はティーポットからカップに飲み物を注ぐと、こちらに差し出した。
「砂糖とミルクはいるかい?」
「ありがとう。そのまま頂くよ」
「冷めないうちにどうぞ」
礼は述べたが、そう言われてもな……。
得体の知れない奴が振る舞った茶を飲むべきか。
女は頬杖をつき、僕の前に置かれたカップをニコニコしながら見つめている。
やむを得ず恐る恐る口にすると、紅茶の味に続いて柑橘の香りが広がった。
「……美味しい」
嫌悪感を感じていたはずだが、自分の舌は正直だった。
「そうだろう。これはボクが一番好きな茶葉でね」
普通にもてなそうとしているのだろうか。
自分のことのように喜ぶ彼女を見るに、悪意のようなものは感じなかった。
「さっきの質問だけど、ボクはキミのいう日本人じゃない」
彼女は黒髪だが、確かに日本人とは思えぬ若緑色の瞳をしている。
「その日本語はどこかで覚えたとか」
「いいや」
じゃあ、何なんだろう。
「ここはボクの精神世界。だから、ボクとキミの間で違う言語が交わされていても、意思の疎通ができるのさ。キミにはそれが日本語とやらに聞こえるようだね」
「精神世界ってことは、肉体はここにはないってこと?」
「察しが良いね。その通りさ」
今の自分がレインの姿じゃないのもそのためだろうか。
「いくら精神世界とはいえ、あの長さの階段を上ってくるのは骨折りだっただろう? ここでゆっくりするといい」
いきなりこんな場所へ来て、物見遊山の気分でもない。
謎の異空間でくつろげと言われても、正直困る。
「ここがどういう理屈で成り立ってるのか知らないけど、あれは必要だったの?」
僕が階段を指さすと、女は申し訳なさそうに手元のカップへ視線を落とした。
「すまないね。キミとおしゃべりがしたかっただけなんだが、会うためにはキミがここを非日常の世界であることを認める必要があったんだ。一種の洗礼だと思ってほしい」
本当に話をしたいだけなのだろうか?
疑念の視線を向けていると、女ははっとしたように顔を上げた。
「おっと、自己紹介を忘れていた。久々の会話でつい失念してしまっていたよ」
そのまま名前を口にするかと思えば、女は頬杖を崩して考え込み始めた。
「そうだねぇ……。ここではノクターンと名乗っておこう」
「ここではって、偽名ってことじゃないか」
「偽名じゃないよ。今決めたのさ」
思わず首をひねる。それに何の違いがあるのか。
「ボクはとうの昔に名前を捨てた神だからね」
「神って、この世界に神はいないはずじゃ……」
「確かにそういうことになっているね。けれど本当の話さ。キミの知っているとおり、空席になった三つの椅子。その一つにボクが後から座ったのさ」
今までフォーカードと食い違う点はいくつもあった。
が、彼女の言うことが正しいかどうかはまた別だ。信用できる要素が全くない。
「おや、信じていない顔をしているね」
そりゃそうだ。
謎の異空間に、胡散臭さで煮詰めた神を自称する女。信じる方がどうかしている。
「訳もわからないところに連れてこられて、それで信用しろって、おかしな話だと思うんだけど」
「キミの言うことはもっともだ。だが、ボクがキミと会えるのはここだけということをどうか理解して欲しい。ボクはこの世界の意思に組み込まれてしまっていてね。自由の身というわけでもないんだ」
ノクターン(仮名)は優雅にソーサーを持ち上げながら、ティーカップに口をつけた。
「世界の意思の一部ってことなら、僕がどういう奴なのかもわかっていると?」
ノクターンはカップをテーブルに静かに置き、
「ああ、もちろん。レイン――いや、今の姿だとアキラと呼ぶべきかな。キミをこの世界に連れてきたのは、他でもないボクだからね」
「なんだって!?」
連れてきた?
名前を言い当てられただけでなく、思ってもみないことを言い出した。
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