魔術師入門編

01:星と食事

 今日、この日。僕はフォーカードの世界でレインとして生きることになった。

 知らない土地。知らない人々。知らない習慣。

 そして、すれ違う価値観、なんてことはなく。


 フォーカードを描いていた事もあって、巡り会った人々に対して自然に接することが出来たんじゃないかと思う。自信はあまりないけど、大して問題にはなっていないはずだ。


 だが、現在。

 僕はこの世界に来て、コミュニケーション能力を初めて試されていた。

 相手は僕がフォーカードで描いたことのない人物。しかも、その人物と僕はルームメイトになってしまった。

 それも、アルラウネという魔物と。


「…………」


 そして、初めて見る魔物はひたすら無言だった。


「……気まずい」


 ――こうなってしまったのは今から少し前、団の夕食時まで遡る。


            ◆


 スターダスト号は船の形をした巨大な飛行船だ。寝室は二十九部屋もあり、他には操舵室、機関室、会議室、書庫、食堂、医務室、大浴場、娯楽室などがある。

 そんな巨大な建造物だが、食堂には全員が座れるほどの席がない。


 そのため、食事の時間がきっちり決まっている訳でもなく、食事が出来たら自分で勝手に取って食べるシステムらしい。中には自室やデッキに食事を持って行き、そこで食べる人も居るようだ。


 いくら自分が描いていた世界とはいえ、面識が浅い集団に自ら混じっていくのも気が引ける。自分で言うのもあれだが、僕はそれなりに人見知りなのだ。

 なので、僕は食堂で食べずにトレイを持って外へと出た。

 どこかいい場所は……。


「おっ」


 甲板をぶらついていると丁度いい段差があったので、そこで食べることにする。

 食事はパンと串刺し肉とシチューだった。


「うまい」


 串に刺さった肉を一口食べて、素直な感想が漏れ出た。

 この世界の食事を描いたことはあったが、味については想像でしかない。

 それに加えて、飛行船での食事ということで保存食だらけなのではと心配だったが、それは杞憂だったようだ。


 もっとも、今の僕の舌が安舌に変わってしまった可能性も考えられるが。

 一方で、パンはパサパサで固かった。なんというか、パンとビスケットの中間みたいな奴だ。水で戻さずとも食べられるが、おいしくはない。


 やはり、飛行船で旅をしながらとなると、食糧事情に関して致し方ない部分も出てくるのだろう。新鮮なものを使おうとするならば、調達を――


「調達……」


 一抹の不安。

 ふと、昼間のテンペストドラゴンの姿が脳裏をよぎった。


「まさかな」


 かぶりを振って、再び皿を見る。

 焼いた肉が、皿に溢れんばかり乗っけられている。

 これを三十人近い人間に提供するほどの量となると、相当な量になるはず。

 こんな量をどこで仕入れたのか。


「…………」


 いや、これ以上考えるのはよそう。

 日は沈みきっており、夜風が気持ちいい。

 見上げれば、そこには空には満天の星々。

 そんな自然の中での食事は、味覚だけでなく五感すべてを楽しませてくれる。


「隣、いい?」


 夜空を見ながら食べていると、トレイを持ったルーシーがやってきた。


「いいよ。こんないい景色をひとりじめするのも勿体ないからね」

「その返しはなかなかユニーク」

「うっ……」


 空気に当てられてくさいことを言ってしまったが、急に恥ずかしくなってきた。


「レインの言うとおり、船からの景色は良い。飛んでるときはもっと」

「えっと、ごめん。足止めになって」


 皮肉で返されたのかと思ったが、ルーシーは首をふるふると振った。


「ううん。団員のみんなや団長もレインに感謝してた。アスタロットが五日後ぐらいには飛べるようになるだろうって言ってたし、大丈夫」

「アスタロット?」

「団長と副長の仲裁に入ったアーマンを覚えてる? アスタロットは鍛冶屋」

「ああ、あの……」


 そうか。ライオン顔の彼はアスタロットと言うのか。

 あの見てくれで鍛冶屋というのは意外だ。


「飛べたとしても、どのみち龍の解体でここに残ってた」


 確かに、あの大きさの龍の解体となると半日じゃとても終わらないだろう。

 ルーシーは僕の隣にちょこんと座ると、両手を組んで目を閉じ、


「我らの糧を与えてくださった主よ――」


 と、小さい声で祈りを捧げ始めた。

 会話では気の抜けたような話し方をするルーシーだが、祈りを捧げているときは真剣な口調をしていて、彼女がプリーストだということを思い出させる。


 このフォーカードの世界には、神が実在する。否、していた。

 知恵の神、豊穣の神、そして破壊の神。それらを人々はまとめて三神と呼んでいる。だが、レインが生きるこの時間における神の座は、遙か昔からずっと空席になっていた。原因は神同士で争い、共倒れになったからだ。


 そのため厄介なことに、それぞれの神を崇める宗教は対立を起こしている。

 ただ、宗教間の大きな争いがあったのはずっと昔の話だ。

 時代を下れば、収まるところに収まるというべきか。


 この世界で一番信徒が多いエルリス聖教は、三神を平等に崇め、神の争いについても理由付けがなされていた。

 その柔軟な思想から、多くの種族から支持されている。

 このルーシーもそこの信徒のはずだ。


「――すべては御心のままに」


 最後にそう締めくくると、ルーシーは両手を解いて目を見開いた。


「ルーシーはいつもここで食べてるの?」

「ううん。レインが食堂から出ていくのが見えたからついてきた」


 昼間もそうだったが、僕の事を気にかけてくれているのだろうか?

 今もなんだか、ルーシーは僕の一挙手一投足を気にしているようにも見える。それに、もじもじしていて落ち着かない様子でいる。

 こちらとしては、じっと見つめられての食事はつらい。


「おいしい?」

 澄んだ碧色の瞳と僕の目が合うと、料理の味を訊いてきた。

「うん。この肉とか香辛料が利いてておいしいよ」

 率直に感想を言うと、ルーシーはへへへとだらしなく笑った。


「ルーシー、普段はみんなのご飯係」

 そういえばそんな設定だったな。

「これをルーシーが?」

 僕が肉を指さすと、ルーシーは頷いた。


 なるほど。ルーシーは僕を気にかけてついてきたのではなく、自分の料理の感想を初めて食べる僕から聞きたかったのだろう。合点がいった。


 思えば、手料理を食べるのも久々だ。

 最近は漫画ばかり描いていて、自分で作ることすら怠っていた。

 それに、こんな可愛い子の手料理となれば、男として喜びを感じずにいられない。


「急だったけど、血抜き結構頑張った」

「あー……昼のね」


 先ほど感じていた喜びは、つかの間のものへと変わった。

 やっぱり、この肉は討伐したアレのジビエなんだろう。知りたくなかった。


「パンとシチューは?」

「シチューはまだ食べてないけど、パンも保存食にしてはおいしいよ」

「……? 保存食?」


 ルーシーが首をかしげた。


「あれ、保存食じゃないの? これ」

「……うん。今日作った」

 ルーシーは悲観したように項垂れた。

「なんかごめん」

 パサパサしているから、勝手に保存食だと思ってた。

「ううん、大丈夫。ルーシー精進する」


 よくよく考えれば、調理器具があるならパンの状態で保存する必要はない。

 パンにする前の小麦を粉にした状態でも長期間保存ができるので、粉のままの方が合理的だ。


「そういえば、お風呂はどうだった?」

「とても良かったよ」

「ウチの飛行船の魅力の一つ。他の飛行船にはあまりない」


 ルーシーの言うとおり、この飛行船には大浴場がある。十人ぐらい入っても余裕のある広さがあり、元の世界の銭湯を思い出した。

 空飛ぶ船にどうして大浴場を作れるのかというと、水はすべて魔石から供給されているのだ。それから、湯についてはエンジンの冷却に使われたものが再利用されている。その水温は風呂というより温水プールに近いが、贅沢は言ってられないだろう。


「聞いた話だと、昔はあのお風呂がなかったみたい」

 パンを口へ運ぼうとして、直前で手が止まった。

「え、そうなの?」

 設定したことのない事だ。


「団長がああなってから、匂いに敏感になったって」

「性別が変わったからかな」

「一番の原因は人族からハイエルフになったこと。エルフ族は人より嗅覚が鋭い」

「なるほど」


 エルフは自然とともに暮らす種族だが、人族から見れば彼らはかなりの潔癖である。エルフ族が長寿種たらしめている理由の一つだが、ジークもその性に引っ張られたのだろう。


「そういえば、ルーシーは僕じゃなくて、他の人と食べないの?」

 ジークは例外だとしても、星幽旅団にはルーシーのほかにも女性が数名いる。

「漏れなく酒飲みばっかりだから」

 ルーシーが薄く笑う。


 この世界は法律で飲酒できる年齢が定まっていないはずなので、ルーシーも飲める。とはいえ、彼女はお酒を好きになるような年齢でもないし、周りに大酒飲みが集まっていれば肩身も狭いだろう。


「言われてみれば、風呂でもお酒を飲むような奴ばかりだったなあ」

 明らかに危険な行為なので、真似しようとは思わないが。

「レインは飲まないの?」

「飲むには飲むけど、あまり自分から飲まないかな」

「良い心がけ」


 ルーシーは僕に向けて親指を立てた。

 僕は生まれてこの方、一度もコンビニやスーパーでお酒を買ったことがない。誰かと話しながら飲むのは好きだが、一人で飲むのはあまり好きじゃなかった。


 それに、レインがお酒を飲んでいるシーンを描いたことがないため、お酒に強いかどうかは飲んでみなければわからない。それならば、飲まないほうが無難だろう。

 そのままルーシーと肩を並べて食事をしていると、


「困った」


 と言いながら、もう一人、お酒が飲めない人物がこちらにやってきた。

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