10:撃ちー方、始め!

 船尾はデッキとは違って、建造物が近い。

 ほぼ通路と言える場所に五名の魔術師が集まっていた。

 中にはルーシーも混じっている。


「首尾はどうだ」


 ジークが問いかけると、茶髪のおさげをした女の子が駆け寄ってきた。

 先ほど伝声管で話していたクーリャだろう。


「万全ッス。後輩君の注文通り、プロシードに加えてミラージェをかけてるッスよ」

「ルーシーも手伝った」


 ルーシーが船の後部を指さす。

 そこには巨大なカーテンみたいな薄い膜が、モヤがかったように広がっていた。


「ミラージェって、こっちからは向こうが見えるんだな」

「そう。ミラージェの裏側は透明」


 ルーシーは自分の正面に右手を立てて、左手の人差し指を手のひらに当てた。


「反対からはしっかり反射してる。マナは隠蔽できないけど、ちょっとした目くらましになる」

「なるほど。そういう使い方もあるわけだ」


 違った用途で納得されているようだが、まあいいか。

 空中なら空の景色が反射するので、目くらましにもなるだろう。


「こいつはどれぐらい――」

「団長、大変ッス!」


 ジークが何かを言いかけたところで、クーリャが叫んだ。


「どうした?」

「副長が前方に龍時雨が見えるって言ってるッス」


 クーリャの言葉を聞くや否や、ジークは縁に向かって駆けだした。何事かわからず、僕も縁へ駆け寄って前方を覗くと、遠くの空に巨大な黒い雲が広がっていた。


「こんな時に……」


 ジークは舌打ちをして、その黒い雲を睨めつける。

 その視線は嵐を控えた船乗りのそれだった。


「龍時雨って?」

「龍時雨の雲がある場所にはな、龍が住み着いているんだよ」

「龍!?」


「ああ。天候を操れる種のやつがな。あれはそいつが作った雲だ。何もせず素通りすれば特別襲ってくることはないんだが、今近づくのは危険だな」


 フォーカードの世界においても龍は特別な存在で、多種多様な種族のヒエラルキーの頂点に君臨する。小さい町ならいとも簡単に壊滅させてしまうため、生き物だというのに天災のように扱われている。


 改めて、僕は雲を見た。

 まるで入道雲を黒く塗りつぶしたような雲だ。あれに龍が住み着いていると言われても納得できる。それぐらい不気味な雲だった。


「バトラー、聞こえるか」


 ジークが伝声管に向かって叫ぶ。


『はい』

「船足をあと六ノット下げろ。その後、取り舵いっぱい。急げ!」


 ジークは団長だが、ことスターダスト号の中においては船長でもある。

 僕にはジークの指令が的確かどうかわからなかったが、彼女の声音は自信に満ちていて、全くの誤りがないように聞こえてくる。


『了解。機関長、エンジン出力を第二戦速に』

『第二戦速了解。現在速度二十五ノット』


 団長の指示が、副長から機関長へ流れてく。


二等航空士セコンドメイト、取り舵一杯』


 今度は副長から二等航空士へ。


『とーりかーじ、いっぱい』


 復唱の合図が聞こえ、船体が軋みながら左に傾いたあたりで、遙か後方からキラリと閃光が走った。


「衝撃に備えろ!」


 ジークの反応は誰よりも早かった。僕があっと思った次の瞬間には、聞いたこともないような音と衝撃が僕らを襲った。

 ガタガタと、高波にさらわれたように船が大きく揺れる。取り舵が原因の揺れでないことはすぐにわかった。


「被害は」

『船尾左舷部被弾。魔導回路に問題なし。航行に支障はありません』


 未だに船は揺れているというのに、ジークはその報告を聞くや、船の縁から危険なぐらい身を乗り出して下を眺め始めた。

 そして、二、三度往復するように首を動かし、再び伝声管の前へと戻っていく。


「被弾した形跡は特にないぞ」

『間違いなく、震動源は船尾の左舷からでした』

「いったい、何が……」


 戸惑いを帯びたジークとバトラーの会話のよそで、僕は心の中でガッツポーズを取る。どうやら僕の狙い通りに、敵の攻撃をミラージェで弾いたらしい。


「今考えるのはやめだ。この機を逃すな! 対空砲火用意!」

『了解。初弾観測、二段撃ち方。目標、真方位ゼロフタ、距離一・五マイル、二時の方向へ三十一ノットで移動中』

『方位よし、仰角よし。射撃用意よし』

「撃ちー方、始め!」


 ジークの合図で、スターダスト号に備わった複数の十二インチ連装砲が火を噴いた。耳をつんざく轟音とともに、再び船体が砲撃の反動で大きく揺れる。


『初弾全て遠、仰角下げ二!』

「次弾撃て――ッ」


 轟音とともに再び砲塔から黒煙が上がる。


『弾着。近、近、遠、遠――夾叉きょうさッ』

「間髪入れるな! 斉射開始ッ!」


 弾を目標の奥と手前に繰り返し落とし、都度調整を行う砲術を夾叉射撃と言うんだっけか。漫画でこんな飛行船同士の戦闘を描いたことが全くないので、知識が追いつかない。


 相手の魔法とは違い、質量による物理攻撃。

 肉眼で見えるほど肉薄した敵の船に、容赦なく砲弾が浴びせかかっていく。


 これほど連続して撃てば、そのうち命中するだろう。

 攻勢に出て決着が着きそうに感じた――そんなときだった。

 背後の龍時雨から、砲撃の音に負けないほどの野太い咆吼が聞こえてきた。


『三時の方角の上空から、巨大なマナ反応あり。テンペストドラゴンと思われます』

「撃ち方やめ!」


 ジークの一声で砲撃が止み、あれだけ砲撃の音で騒がしかった船上が、シンと水を打ったように静まりかえった。

 交わされる会話もない。


 野生の脅威に対して、この船にいる全員が息を呑んでいた。そんな中、バサリバサリと翼が空を切る音が、こちらに向けて忍び寄ってきていた。

 次第に大きくなってくる翼の音。姿が見えないことから、雲の上にいるらしい。

 このまま通り過ぎるのを待つのかと思えば、ジークはこう言った。


「バトラー。証明弾をフランコフの奴らに向けて打ち込め」

『照明弾を?』


 バトラーが困惑したトーンで訊き返すも、


『いや、わかりました。照明弾準備』


 バトラーは矢継ぎ早に承知の言葉を添えた。

 二人は犬猿の仲だが、ここぞという時にはジークに信頼を置いているようだ。


『照明弾準備よし』

撃てぇ――ッ」


 ジークのかけ声に合わせて、ズドンと大きな音が鳴り響く。

 音の大きさは、徹甲弾の時とほぼ変わらなかった。少しの間を置いて、光の玉が花びらのようにゆっくりと落ちていく。


 曇ってはいるものの、昼間に照明弾を撃つなんてどうしてだろうか。

 ジークの狙いが僕にはわからなかったが、その疑問はすぐに解けた。


「テンペストドラゴン……」


 魔法部隊の誰かがぽつりと呟く。

 僕らとフランコフのちょうど間あたりの雲から、その巨体が顕わになった。


「伸るか反るかの賭けだったが、勝ったようだな」

 ジークが口端を歪めて笑う。

「今のうちに逃げるぞ。面舵回頭九十度、最大戦速」


 ここになって、僕はようやく理解する。

 ジークは照明弾を使い、テンペストドラゴンをフランコフの船に差し向けたのだ。

 二つの障害を越えるのではなく、潰し合わせた。まさに一挙両得の一手。


 ――しかし、ジークの策は完璧にはいかなかった。


 付け加えるなら、半分だけ成せたといったところだろうか。

 ジークの策は、テンペストドラゴンとフランコフの船が争っている内に離脱する、という算段だったに違いない。が、その争いは数分と持たずに決着してしまったのだ。


 誰もが言葉を失っていた。

 テンペストドラゴンによって放たれた上級魔法級のブレス。それによって飛蜂は焼け落ち、あっけなく奈落に落ちていった。

 僕らはあんなにも手間取ったというのに、ひどくあっさりしていた。


 龍にとって、人など虫けら同然なのだろう。

 そして、その龍は。

 こちらへ振り返り、威嚇するように咆哮を上げた。

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