野薔薇姫 街の章 三
「千代子ってのは分家の末っ子で、詳しい繋がりは省くけど、僕のおふくろの
「……はい」
「それというのも、どうもその分家の跡継ぎ夫婦ってのが、なんていうか、二人とも昔から妙に陰険で小ずるいとこがあって、親戚中が嫌ってたし、それから村中でもとことん嫌われてたわけ。まあ小ずるいだけなら別にほっときゃいいんだろうけど、ちょっと精神的に、ふつうじゃないとこもあって――ほら、今でもあるでしょ、ほら、なんつーか、児童虐待っつーか。とくに末っ子の千代子には、ひどかったらしいのね」
「……はい」
「僕なんか解んないんだよねえ。なんで実の子を殴ったり蹴ったりできるわけ? 子供ってかわいいじゃない。かしこきゃ当然かわいいだろうし、アホならアホで、なんか余計かわいいじゃない。まあ憎ったらしい不良娘とかなら仕方ないけど、まだちっちゃい子供よ?」
俺も解らない。東大出の偉い心理学者先生の講釈は解るが、そうなる当人たちの脳味噌が想像できない。
「そんな家で生まれ育って、明るいすなおな子供になれったって、そりゃ無理な話でしょ? いきおい陰気で引っ込み思案で、ビクビク人の目ばっかり気にするみたいな子供になっちゃう。で、昔のここいらの、男のガキどもなんてのは、そりゃもう情け容赦ない悪ガキぞろいだったらしくて。――アレよ、蛙のお尻に爆竹突っこんでナニしたりする、そんなノリで、しょっちゅう弱い者いじめとか」
いや、それは違う。男児が蛙を
「身内をかばうわけじゃないけど、ほんとにおふくろは気に病んでたらしいのよ。でも、多勢に無勢って奴もあるし、何よりこの分家そのものが村八分みたいなもんで、大人もシカトしてた
「……よその大人もいたわけでしょう、学校の先生とか」
「うん。――でもねえ、重ね重ね間が悪いことに、その頃の分校の教師ってのが、これがまたなんつーか、体育会系で脳味噌が筋肉っつーか、あの頃だと――軍国バカ?」
「……はい」
「今もいるでしょ。イジメられないように強くなれ、とか言いだす、ガタイだけのウスラバカが。じゃあ強くなれない子供は一生イジメられてろってことかよ――そうでしょ?」
そのとおり。
「そんなこんなで、その千代子って子、なんか大昔の少女漫画みたく、毎日が不幸のオンパレードだったらしいんだけど……ただ、そんな千代子にも、ひとりだけ仲のいい家族がいたらしいのね。泣いて帰ると優しく慰めてやったり、いろいろかわいがってやったり。でも、その仲のよかった叔父さんが、これまた大昔の少女漫画みたく、あの戦争にとられちゃって――」
俺は続きを聞くのがいたたまれず、新庄を遮った。
「叔父さんの話は結構です」
「いいの?」
「おおむね解ります。昨日の夜、仏壇に飾ってありました。その叔父さんの写真とか、あと別にアルバムとかも」
俺がなにげなく言うと、
「うわ」
新庄の顔が、幽霊でも見たように蒼白になった。
「そうか……泊まったんだもんねえ、おたく」
「はい」
古い因縁話が昨日今日の怪異となってしまい、改めて怖くなったのか、新庄がそれっきり口を開かないので、俺は残った疑問を質してみた。
「あと、その、チヨコの……首の件なんですが」
「……うん」
「なんで、あんな具合なんでしょうか」
新庄は、心底
「……おふくろの話だと、叔父さんの戦死が伝わってきたのが、終戦直前の八月はじめ」
「はい」
「千代子がいなくなったのは、その晩すぐ」
「はい」
「で、これまたひどい親なんだ。娘が見えなくなったってのに、近所にも駐在にも言わないで、それっきりほっといた。そのうち帰ってくるだろうと思ったとか、あとで言ってたらしいけど、おふくろの考えじゃ、たぶん帰ってこなくてもいいと思ってたんだろう、と」
「……はい」
「十日もたってから、近所の雑木林で見つかったんだって。……木の枝で首吊ってるの」
「…………」
「真夏でしょ」
「……はい」
「冬場だって、あの死に方って、ちょっと見つかるのが遅いと、あの、なんかこう、首がぐにゃっと伸びたり……」
「……もういいです。解りました」
「……うん」
不思議に涙は出なかった。
ただ真冬の枯れ野に立っている気がした。
「――で、まあ、さすがにそうなると村中から輪をかけて白い目で見られるし、駐在だって色々つっつくしで、残った分家の連中は、敗戦のどさくさに夜逃げ同然で村を出て、それっきり音信不通。――以上。ま、そんな話なのよ」
それでもチヨコは、まだ生きている。いや、生きているつもりでいる。
ことによったら今の俺には見えないだけで、今もすぐそこの押し入れの中、どでかいばたばた虫や知らない大人たちがいなくなるのを待って、蝶といっしょに息をひそめているのかもしれない。
俺は、そう信じたかった。
やがて検分が済んだのか、電力会社の二人が新庄を呼んだ。
あの助さん、もとい作業着の男は、俺にも声をかけた。
「田中さん、よろしければ、あと一人乗れますよ」
「いえ、私は歩いて帰りますから」
きっぱり断ると、あの黄門様、じゃない推定ちょっと偉い人も、俺に話しかけた。
「さすがは現役の
「はい。私の歩くところが道ですから」
「私も若い頃は、けっこう山をやっていたんですが、さすがにこの歳になると、こんな乗り物に頼ってしまいます」
「歳は関係ありません。気持ちひとつです。三浦雄一郎氏の例もあります」
俺は生活能力に反比例して大言壮語が好きだ。そもそも今は登山家の田中さんである。
「じゃあ田中さん、例の件、なにとぞよろしく」
新庄は片手で俺を拝むようにして、ヘリに乗りこんでいった。後々のために名刺はもらったし、俺の携帯番号も伝えてある。下山ルートも、こっそり聞いておいたから問題ない。今は廃道だそうだが、難渋は覚悟の上である。
――いや、ちょと待て。
俺は重大なことを忘れていたのに気づき、閉まりかけの扉に近寄った。
「あの、すみません。実は手持ちの食糧が、ちょっと心細くて」
大嘘である。備蓄は水だけだ。
「どなたか、何かお持ちじゃないですか、食べる物ならなんでもいいんですが」
さすがに昨日から餡パン半分だけでは、じきにまたシャリバテがくる。
中でしばらくごそごそした後、新庄が何やら小綺麗な、手提げの紙袋を渡してくれた。こんなちっこい袋にわざわざこんな高そうな紐つけてどーすんだ、みたいな角袋に、峰館でも有名な高級ホテルのレストラン名が金文字で印刷してある。そしてパイロットの青年も、コワモテ顔を愉快そうに崩し、何やら小ぶりの赤いプラスチック箱を一箱わけてくれた。
丁重に礼を言って、
一生乗らなくていいなアレは、と俺は思った。基地周辺の住民などが大騒ぎするわけである。あれの何倍もある奴が夜中に家の上を飛んだりしたら、俺なら大砲で撃ち落とす。
持ってないけど、大砲。
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