街の章 (全十話)
野薔薇姫 街の章 一
いっそあの家がきれいさっぱり消えてくれていたら、すべては俺の一夜の夢と、むりやり頭を切り換えられたのかもしれない。
しかし一面の
風呂と勝手口があったあたりのちょっと向こうには、外便所らしい小さな板葺き屋根が、辛うじて屋根の形を残したまま地に
そもそも俺自身、ただの地べたではなく、
――結局【目覚めれば廃屋】パターンかよ、おい。
たった今まで非現実的なりに生々しい、ある意味充実した【翌朝イベント】をこなしていただけに、俺は突然純白のウニになってしまった脳味噌をもてあまし、
数分後――あるいは十数分後なのか、
「あ、あんた誰?」
ちょっとイッセー尾形の声に似た、真面目なんだか軽薄なんだか判別しがたい
裏庭も、お約束どおり、無節操に雑草が茂る空き地と化していた。
空き地の向こうには、さっきの成り行きどおり、野薔薇ではなく無節操な
その空き地のど真ん中に、いつの間にか着陸していた小型ヘリコプターを見て、俺はますます脱力し、木偶人形どころか穴の開いた空気人形になってしまった。
こんなチンケなシロモノが、あの
ヘリコプターの前には三人の男が、水戸黄門のクライマックスのような配置で立っていた。
ご老公スポットに位置しているのは、見るからに
その前にいる助さん相当は、俺より少々年上か、痩せ型で、濃青色の半袖作業着姿。作業着の胸には『奥羽電力』とオレンジ色の縫い取りがあった。
そして格さんスポットにいるのが中肉中背、ゴルフ場の小金持ちっぽい茶系のニッカボッカ。こちらは俺と同年輩らしく、声ほどではないが、やはりイッセー尾形に似ている。
「あ、あんた、なんで、どーやってこんなとこに――」
ニッカボッカが俺に詰め寄った。
俺は彼らの姿や声をしっかり認識しつつ、まだまともに反応できなかった。
結果的に彼らを無視する形で、頭の芯が
いつまでもウスラボケっとしている俺を見て、後ろの二人は、あからさまな不審の色を浮かべた。
するとイッセー尾形、いやニッカボッカの男は、なぜか俺よりもそっちの二人の顔色のほうが問題らしく、焦った様子で、俺にわざとらしい笑顔を向けてきた。
「――あ、なんだなんだ! えーと、そうそう田中さん! 田中さんじゃないですか。いやお久しぶり。そんなラフなお姿なんで、ついお見それしちゃった」
馴れ馴れしく挨拶されて面食らった拍子に、俺の脳味噌の中で、対人反応シナプスがようやく再起動した。
「え? えーと――」
いや田中じゃないです初対面です、と正直に応じかけると、ニッカボッカは、後ろの二人に気づかれないよう懸命に目配せしながら、
「あ、そうだそうだ田中さん! こないだ
いきなり懐から分厚い革財布を取り出し、あっけにとられている俺の手に万札を握らせた。
ついでに俺の耳に口を寄せ、
「お願い。ここは僕に調子合わせて。ね。何も訊かないで。お願い」
万札は少なくとも二枚以上重なっている。ふだんなら無条件で即刻うなずくところだが、シナプスが半分しか繋がっていない俺は、まだ
ニッカボッカは、さらに声をひそめ、
「……おたく、見たんでしょ? バラ園とか……女の子」
俺は目を丸くした。一言も返せない。
相手はじれったそうに、
「……千代子関係の人でしょ?」
俺は反射的にぶんぶんとうなずいた。
「委細は、また後で。ね?」
交渉成立と見たのか、ニッカボッカは何事もなかったように、後ろの二人の相手に戻った。
「いやあ、失礼しました。あの方、田中さんといって、私の知り合いの
俺はめいっぱい当惑したまま、おそらくはこの世にいもしない登山家、田中さんの笑顔を創っていた。
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