野薔薇姫 山の章 七


 座敷の隣の四畳半が、仏間ぶつま兼寝室になっていた。

 いっしょに押し入れから出した夏蒲団を部屋の真ん中に敷き、蒲団はひと組しかなかったので、当然のようにチヨコも俺の横に潜りこんだ。

 扉の閉じたどでかい唐木からき仏壇が、頭側あたまがわの右角、方角でいえば西南の角に東を向いて黒々と鎮座しているが、俺も山家やまが育ちなので、さほど陰気には感じない。むしろ仏様だか御先祖様だかに庇護されている感があり、仏間の隅々まで染みついた線香の匂いも、なかなか悪くない。

 枕元には、あの白薔薇の枝を生けた湯飲み茶碗がひとつ、蝶の寝床になっている。

 蒲団はややかび臭く、同時に日向ひなた臭く、当然のように子供の匂いと温もりがあった。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 昨夜、二時間程度仮眠をとっただけの俺は、仰向けになって目を閉じたとたん、「俺もよくこんななんだか訳の解らない家であっさり眠れるなあ」の内の「俺もよくこんななん」くらいの段階で、もう眠りに落ちた。

 それはまあ、●グネスにさえ見つからなければなんの問題もないのだが、

「……ねちゃった?」

 見りゃ判るだろう眠ってたよ、などと反論しても、久しぶりに遊び相手を見つけた子供が、すなおに寝付くものではない。

「いんや、起きてる」

 実際、「だか訳の解らない家であっさり眠れるなあ」と思考する間くらいの眠りでも、完全にオチた失神級の眠りだと、無駄に惰眠を貪った後より、かえって頭が冴えたりする。

「――おじさんが、お話をしてやろう」

「うん、お話」

 異議なし、の声である。

「昔々、あるところに、お爺さんとお婆さんが住んでおりました。ある日のこと、お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に――」

 適当に話しだして十数秒、俺は、今さら桃太郎始めてどーすんだ俺、と自分にツッコんだ。

 横目でチヨコの顔を窺うと、大時代な環境相応にけして大人を馬鹿にする目つきではないが、ここが平成の建売住宅だったら間違いなく「今どき何のべてんだよ、このオッサンは」に変換されるであろう、不興の表情だった。

「――やっぱり別の話をしよう」

 俺は転調することにした。

「昔々、南太平洋に浮かぶゾルゲル島で、ゴジラとミニラとクモンガが――」

「ごじら……ごりら?」

 あかん。冴えているのは脳幹からせいぜい大脳辺縁系あたりまで、肝腎の大脳新皮質が熟睡している。

 絶句している俺を残し、チヨコはごそごそと蒲団から這いだした。

 仏壇の扉を開けて、なにか四角くて平べったいものを抱えて戻り、

「ご本、よんで」

 俺はもっけの幸いと、位牌でも遺影でもない、その立派なA5の箱入り本を受け取った。

 タイトルは『未明童話集1』だから予想内として、箱の表裏を飾る上品な童画に、俺は目を見張った。大学時代、ちょっと児童文学を囓ったとき、教授から現物を見せられたことがある。確か昭和初期、丸善から出版された五巻本の第一巻だ。装丁は、『童画』という芸術ジャンルの創始者である武井武雄。中身の挿画も、これまた同クラスの大御所、初山滋。年代相応の色褪せやヤケはあるが、大学の蔵書よりも美本といってよい。

「すごい本、持ってるなあ」

 チヨコは、えっへんと胸を張って、

「おじちゃんの、おみやげ」

「ん? おじさん?」

「おじさんじゃない、おじちゃんだも。えーと、おとうちゃんの、おとうとの、おとうと」

「なんだ、みんな忘れたんじゃなかったのか」

 チヨコは、はっとして黙りこんだ。消え入るような沈黙だった。どうも俺は、触れてはいけないものに触れてしまったらしい。

「そうか、叔父ちゃんしか覚えてないのか」

 俺は、自分から誤魔化ごまかされることにした。

「しょうがないなあ。お前みたいなのを、ニワトリ頭っていうんだ」

 つくづく呆れたように言うと、チヨコも安心したように笑って、

「にわとりあたま!」

「喜ぶな。馬鹿にしてんだぞ」

「ばかでけっこう、りこうじゃこまる」

「馬鹿で困れよ」

 お互い無事に誤魔化されたようだ。

「でも、ほんとにいい本だ。いい叔父ちゃんだったんだな」

「うん!」

 俺は箱から本体を引き出し、目次より先に、まず最終ページあたりを覗いてみた。奥付おくづけを確かめたかったのだが、なぜかその一枚だけ、きれいになくなっていた。子供がうっかり破ったようには見えず、最初から存在しなかったように切り取られている。その叔父さんが切り取ったとすれば、そこにもまた、なにか触れてはいけない複雑微妙な背景があるのかもしれない。

 目次に羅列された表題の数々は、俺自身、どれも読み返したいほど愛着があった。『水車のした話』、『風の寒い世の中へ』、『親木と若木』――。

 ただ、昭和生まれの俺が最初に読んだときの『月夜とめがね』は『月夜と眼鏡めがね』、『野ばら』は『野薔薇のばら』、『赤いろうそくと人魚』は『赤い蝋燭ろうそくと人魚』、そんな時代の変遷が見えた。子供向けの書物でも、きちんと漢字を使ってルビをふる。識字率云々うんぬんの思惑を越えて、やはり正しい日本語の時代だったのだ。

「じゃあ、どれを読む?」

 チヨコは、迷わず『野薔薇のばら』を指さした。

 なんて解りやすい奴だ、と苦笑しながら、俺は昔入れあげた紙芝居の親爺のように、いや、思い直して幼稚園の女先生のように、猫撫で声で読み聞かせはじめた。


「――『大きな国と、それよりはすこし小さな国とが隣り合っていました。当座、その二つの国の間には、なにごとも起こらず平和でありました。

 ここは都から遠い、国境であります。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年でありました。

 二人は、石碑の建っている右と左に番をしていました。いたってさびしい山でありました。そして、まれにしかその辺を旅する人影は見られなかったのです。

 初め、たがいに顔を知り合わない間は、二人は敵か味方かというような感じがして、ろくろくものもいいませんでしたけれど、いつしか二人は仲よしになってしまいました。二人は、ほかに話をする相手もなく退屈であったからであります。そして、春の日は長く、うららかに、頭の上に照り輝いているからでありました。

 ちょうど、国境のところには、だれが植えたということもなく、一株の野薔薇がしげっていました。その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集まっていました。その快い羽音が、まだ二人の眠っているうちから、夢心地に耳に聞こえました。』――」


 そうして穏やかな日々を送る二人に、やがて哀しい別れが訪れる。北方の遠隔地で、両国が戦闘状態に陥ったのだ。先の短い老兵は「私はこれでも少佐だから、君は私を討って出世しなさい」と青年に申し出る。青年は「何をおっしゃいます。私の敵はあなたではありません」と、北の戦線に去ってゆく。ひとり残された老兵は、戦争の気配など少しも伝わってこない野薔薇の地で、青年の身を案じながら、巡る季節を過ごし――。


「――『ある日のこと、そこを旅人が通りました。老人は戦争について、どうなったかとたずねました。すると、旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争は終わったということを告げました。

 老人は、そんなら青年も死んだのではないかと思いました。そんなことを気にかけながら石碑の礎に腰をかけて、うつむいていますと、いつか知らず、うとうとと居眠りをしました。かなたから、おおぜいの人のくるけはいがしました。見ると、一列の軍隊でありました。そして馬に乗ってそれを指揮するのは、かの青年でありました。その軍隊はきわめて静粛で声ひとつたてません。やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、薔薇の花をかいだのでありました。

 老人は、なにかものをいおうとすると目がさめました。それはまったく夢であったのです。それから一月ばかりしますと、野薔薇が枯れてしまいました。その年の秋、老人は南の方へ暇をもらって帰りました。』――」


 俺が初めてこの話を読んだのは、確か小学四年だったか五年だったか、梅雨つゆの明けた午後の教室と記憶している。国語の教科書に載っている話など、えてして「ケッ」とか軽視しがちな年頃だったが、これには泣いた。

 今日の昼間のようないとわしい夏の光をさえひたすら待ち望む、夏休み前の能天気なガキだった俺も、沈黙の慟哭どうこくともいうべきこの詩情には、理屈抜きでただ涙するしかなかったのである。

 ――ああ、なんて静謐せいひつで深い話だ。

 俺は、半分あの頃の俺のままで、隣のチヨコに目をやった。

 チヨコはいつの間に寝入ったのか、口元に和やかな微笑を浮かべ、満ち足りた夢の眠りを眠っていた。

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