野薔薇姫 山の章 六(前編)


 もし、時計のない世界があるとすれば、時は俺の生活感覚に忠実に、緩急を変えながら移ろうものと思っていた。つまらない単純作業を繰り返す一時間は正味二時間、それなりに達成感のある作業をして過ごす一時間は正味三十分、ぶっちゃけそんな流れである。

 しかしそれは、やはり物心つく前から時計や時報の存在を生活感に焼き付けてしまった俺の勘違いで、時計のないこの家の夜は、無数の刹那せつな刹那せつなという分子で構成されたある種の気体が充満するひとつの風船であり、連続する事象としては、まったく機能していないようだ。


「♪ いっちばんはっじめの、いっちのっみや~~、に~いは、にっこの、と~しょおぐ~~」


 台所で洗い物を手伝ってから座敷に戻り、チヨコのくことのないせっせっせや綾取あやとりやお手玉遊びにつきあって、ふと縁側の外に目をやれば、夜空を移ろう星や月は、すでに夜半の天文図を描いている。本来あれが絶対的な時のはずだ。

 しかし今、チヨコのちっこい両のてのひらを、ひょいひょいと宙を舞って行き来する三個だか四個だかの赤いお手玉は、どうも一時間前と同じ刹那をぎっているような気がしてならないし、ときとして百年も前に、見ている俺をひっくるめて同じ軌跡を描いていたような気がする。


「♪ む~っつ、む~らむ~ら、ちんじゅさま~~、な~なつ、なりたの、ふど~さま~~」


 いや、この時の不連続感そのものが、現時点の俺の生活感に過ぎないのか。いやいや、それでは、ちっとも給油しないのに晩飯前から座卓の上でゆらゆらと揺らぎつづけているランプの炎、これはなんなのだ。冥府の炎か。


「♪ ここのつ、こ~やの、こ~ぼ~さん~~、と~おは、と~きょ~、しょ~こんしゃ~~」


 チヨコのお手玉歌は、何べん何十ぺん繰り返されても、変わらず耳に心地よい。座敷にたゆたう暖色の光の波が、声の波にまで干渉しているようだ。これで庭からかそけき虫の音でも加われば完全無欠な気もするが、残念ながら今は真夏だし、そもそもこの家では蚊の一匹も鳴かない。


「♪ これだけ、しんがん、かけたなら~~ なみこの、やまいも、なおるだろ~~」


 なんで十の次になると突然お手玉歌に徳富蘆花の『不如帰ほととぎす』が参入してくるのか、昔から抱いているそんな疑問は今はちょっとこっちに置いといて、ずいぶん前から何度も何度もすすっているのにまだ何度でもすすれそうな茶碗の白湯さゆなどもちょっとこっちに置いといて、どんだけ心願かけたら浪子なみこさんの病気は治るんだよとか、どんだけ大量に血を吐いたら鳴き飽きるんだよホトトギスとか、ガキの頃、近所のお手玉好きな女朋輩ほうばいにツッコんだ俺は、いかばかり野暮天やぼてんであったか。


「♪ いっちばんはっじめの、いっちのっみや~~、に~いは、にっこの、と~しょおぐ~~」


 いいではないか。時など曖昧あいまいな無限ループで。

 たとえノバラちゃんが永遠に二十歳はたちにならず七つであっても、正直ここ何年と朝立ちさえ経験していない俺の貧乏糖尿気味な寝たきり息子は、ちっとも困らないのである――。


 ――などと完璧に現実逃避しながら、また茶碗の白湯をすすったとたん、俺の腹が、ぐう、と鳴った。残念ながら俺の消化器官は、いまだ現世で星や月の仲間をやっているらしい。

 チヨコはお手玉を手に収め、俺を見上げてつぶやいた。

「……おおめしぐらい?」

 いきなり痛いところを突きやがりますなあこのノバラガキは、と俺は首をすくめかけたが、飯櫃めしびついっぱいの半稗飯はんひえめしをほとんど平らげたのは確かに俺だし、見ればチヨコは実に嬉しそうな顔をしている。自分がさほど食わないからか、大食漢を好むたちらしい。

「なにか、つくる」

 台所に立とうとするチヨコの袖を、俺は引き止めた。

「ちょと待て」

 それが蕎麦そばき程度の簡略な間食であり、仮に台所のどこかから勝手に涌いて出るにしても、この夜中、わざわざ都合つごうさせるのは気の毒だ。

 俺は、ちょうどいいものを持っているのを思い出し、横に置いてあった頭陀ずだぶくろをたぐり寄せた。

「お土産みやげがある」

 今朝、製材所を出るとき、余った夜食をもらってきたのである。

「じゃーん。あんパンだぞ」

 おっかなびっくりビニール袋を受け取ったチヨコは、不審そうにカサカサといじくり回し、

「あんぱん。……これが、あんぱん?」

 食ったことはないらしいが、中身の名前には心当たりがあるようだった。

 餡パン自体は、確か明治時代からあるはずだ。当然この辺りでも、県庁所在地や古くからの商業地では、明治の内に売り出されただろう。ただし昔の日本は、情報も物流も地域格差がハンパではなかったから、山間の僻村へきそんだと、長いこと風の噂に聞くだけの新商品も多々あった。

 たとえば昭和三十年代中期から出回っていたはずの即席ラーメン、あれを俺が初めてこの目で見たのは大阪万博の前年、つまり昭和四十四年になってからだった。しかもそれから何年もの間、『即席ラーメン』イコール『国分こくぶラーメン』、そう思いこんでいた。大手食品卸会社『国分』のブランド商品しか、俺の村まで届かなかったからである。

 余談になるが、元祖チキンラーメンなどという鍋要らずのスグレ物がこの世にあるのを知ったのは、実にカップヌードルを知った後だったりもする。さらに余談になるが、俺は小学校に上がるまで、海に棲む烏賊イカはバリバリに硬い生物だと信じていた。スルメしか食ったことがなかったからである。

 チヨコがいつまでも悩ましそうにビニール袋をいじくっているので、俺は代わりに破いてやった。

 中身を半分こにして、

「ほい、お前も食え」

 チヨコは両手で受け取った半かけのパンを鼻の下に持っていき、くんくんと小犬のように匂いを嗅いでいる。

饅頭まんじゅうみたいなもんだ。甘いぞ」

 ……ぱくり。

 ひと口頬ばって、にっこり笑うかと思いきや、チヨコはいったんまん丸になった目を、なぜか懐疑的に、うにい、と歪め、それから一拍いっぱく置いて、残り全部をいきなり口に詰めこんだ。

「ばくっ」

 しばしもぐもぐともぐもぐしたのち、

「うああ、うあうああお、うあうあ」

 声だけ聞くと錯乱してしまったようだが、激しくうなずきながら俺に向けた感動のまなざしは、確かにこう言っていた。うわあ、ふかふかだよ、ふかふか。

 チヨコは中身のアンコより、ガワの食感にインパクトを受けたようだ。なるほど、ただの小豆あずきあんなら、大昔の片田舎でも年に何度か食っていただろう。対してイースト発酵の純洋風パンは、町場にしかなかった可能性が高い。それに平成のパンの柔らかさは、俺の幼時と比べても雲泥の差がある。

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