第44話 アビスブラック・テンタクルース

 薄っすらと光が灯った光が、それの全貌を微かに炙り出していた。

 アビストスの本拠地――そこに置かれた一つの王座に、独り女が座っていた。


『ミウナちゃんがカイエを取り込んだわ』


 コヨミの声が頭に流れ込んできた。その声音は嬉しそうだった。それが成長を喜んでの満足感なのか、はたまた遅めの『お昼ご飯』の満腹感なのかは、女にも分からなかった。


『ミウナちゃんの正体もバレたみたい。どうする? ノーデンス』


 問われ、銀の義手を付けたその女――ノーデンスは静かに目を瞑る。彼女の周囲では、白銀のイルカが判断を促すように虚空を泳ぎ回っていた。

 目を開く。厳粛に、ノーデンスは告げる。


「夜河ミウナを守れ」

『夜河ミウナを殺せ』


 同時刻、母星では真逆の言葉が放たれていた。

 鮮血を溶かして焼き上げたような赫い城塞にて、王座に座る〈赤の原色王〉――〈クトゥルグァリア〉が鋭い目で睥睨する。眼前で膝を付くは、膨大な数の〈赤〉の侵触体。


「戦争の終了条件は何だ? ――それは満足か妥協だ。私は妥協しない。満足もしていない。故に戦いは終わってなどいない。私が満足する結果とは〈青の第四王女〉――クティーラ王を殺し、彼女が持つ前王ガタルソノアのカイエを手に入れることだ」


 行き着く先は、アザトース。またの名を深淵たる黒き侵触体。―――次なる神。

 全ての視線が〈赤の原色王クトゥルグァリア〉に向いている。

 彼女は、その視線者しせんしゃたちに宣言する。


『私は次なる神となり、この宇宙を支配する』

「次なる神となった〈赤の原色王〉は、この宇宙を滅ぼすだろう」


 ノーデンスの言葉を聞いたコヨミが、静かに同意するのが伝わってきた。

 この宇宙の神――アザトースとなった原初の侵触体は、何故に無干渉を貫くのか。

 善性があれば、戦争も飢餓も消滅させられる。

 反対に悪性があれば、生命から幸福の全てを奪い、混沌を引き起こせる。

 にも関わらず、アザトースはそのどちらも行わない。何かを失っているかのように、宇宙で起こる一切を傍観している。――失っている何かとは、つまるところ自我。

 アザトースは宇宙の全てを観測し、自他の境界すらも失った概念だ。それに昇格した生命体は、おそらく自我が消滅する。故に神は、整合も混沌も、安寧も廃絶も、闘争も平定も引き起こさない。ただ宇宙の全てに偏在する概念――神という機構になる。

 そしてそれは、既に存在している。

 二体目のアザトースが生れ落ちた時に、何が起きるのかは誰にも分からない。

 だから早急に、この戦いは終わらせなければいけない。

 コヨミ、とノーデンスは彼女の名を呼んだ。


「〈赤の原色王クトゥルグァリア〉を殺せ」

『〈青の原色王クティーラ〉を殺せ』


 双方、狙うは敵色王の殺害。

 光でさえ移動が億劫な惑星間で、矛盾した言葉が発される。その結末もまた綺麗なほどに対照的だった。現状の延長と、現状の破壊。神の不在を願う者と、神の簒奪を狙う者。

 それこそが、この戦いの終わり。

 ならばそれは、いつまでに為されるべきことか。

 簡単なことだ。侵触体は九つのカイエを獲得し、次の神になるとされているのだから。

 夜河ミウナのカイエが九つになるまで、あと六つ。

 数兆光年も離れた惑星同士。それの統治者から、まったく同じ言葉が世界に告げられる。

 ―――そう、すべては。


「「夜河ミウナクティーラが次なるアザトース―――〈深淵たる黒き侵触体アビスブラック・テンタクルース〉に至る前に」」


       …


 同時刻。ライトアップも忘れた暗い遊園地。

 ラズリタのカイエの因子が、より強い者に結合しようとわたしにまとわりく。

 それがふわりと、空に舞い上がって、わたしは夜空を見た。


「……早かったね」


 おそらく、さっき会った〈エフサグァ〉の報告が母星に届いたのだろう。

 夜の黒に敗け、星は闇に沈んでいた。

 その真っ暗闇の空に、数多の〈赤〉い流星群が見えた。

 あれはこれから襲ってくる殺意の数であり、わたしが幸福になるまでのカウントダウン。

 流星群に手を伸ばす。星の全てが、わたしの小さな手中に収まった。


「――いいよ。わたしを邪魔するものは、ぜんぶ壊すから」


 不敵に笑ったわたしに、流れ星たちは宣戦布告するように煌めいた。

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