第29.2話:非依存の代償☑
エメラルドヘイヴンの最高機密会議室「翠玉の間」。魔鉱石の柔らかな光が室内を照らす中、アステールは厳しい表情で幹部たちを見渡した。空気は張り詰め、誰もが彼の次の言葉を固唾を呑んで待っていた。
「諸君」
アステールの声は低く、しかし力強かった。
「翠影の谷の件について、最終決定を下す時が来た」
セレフィナが静かに尋ねた。
「サイレンティアの研究結果についてですか?」
アステールは頷き、中央のホログラム装置を起動した。複雑な分子構造と波動パターンが空中に浮かび上がる。
「先の調査で判明したことだ。容易に観察できない程度ではあるものの、サイレンティアは極低ミリスリア濃度環境下でも機能し、微細な振動を発し続ける」
研究主任のドクター・クリスタルが補足した。
「サイレンティアに関する研究がさらに進めば、サテライト外でも十分機能する経済圏の構築が可能になるかもしれません」
会議室内に衝撃が走った。アステールは冷静に続けた。
「これは我々のサテライトシステムの根幹を揺るがす脅威だ」
アステールは深い溜息をつき、再びホログラム装置を操作した。サテライトシステムの複雑な相関図が空中に浮かび上がる。
「我々のサテライトシステムは、魔鉱石への依存を前提に成り立っている。そして、この依存関係こそが、システムの安定性を担保している」
彼は相関図の中心、自身を示す点を指し示した。
「私は源泉として、ミリスリアを供給し続けている。しかし、それを各サテライトに分配し、実際に使用可能な形にするのが魔鉱石だ」
ドクター・クリスタルが補足した。
「魔鉱石は希少資源です。各サテライトは、その獲得と利用を巡って常に競争状態にあります」
アステールは頷いた。
「その通りだ。そして、この競争状態こそが、サテライトシステムの安定を保つ鍵となっている」
彼は相関図の各点を順に指し示した。
「あるサテライトが俺を独占しようと企てたとしよう。しかし、仮に、その計画が成功したとすると、他のサテライトはたちまち窮地に陥ることになる。なぜなら、俺を独占したサテライトが、ミリスリアを充填した魔鉱石をライバルに容易く供給するはずがない」
セレフィナが理解を示すように頷いた。
「つまり、魔鉱石への依存が、サテライト同士の相互牽制を生み出しているわけですね」
「その通りだ」
アステールは厳しい表情で続けた。
「特定のサテライトがミリスリアを独占するためには、他の全てのサテライトを敵に回さなければならない。この微妙なバランスが、我々の世界の調和を保っているのだ」
ガーランド将軍が口を開いた。
「そして、サイレンティアはこのバランスを崩す可能性がある」
アステールは重々しく頷いた。
「サイレンティアが実用化されれば、魔鉱石への依存から脱却できるサテライトが現れる可能性がある。そうなれば、現在の相互牽制のシステムが崩壊する」
彼は再び相関図を指し示した。
「例えば、翠影の谷がサイレンティアを用いて独立した経済圏を構築したとしよう。彼らは魔鉱石の枯渇を恐れる必要がなくなる。そうなれば、他のサテライトを牽制する動機を失うことになる」
セレフィナが静かに付け加えた。
「さらに、サイレンティアの技術が他のサテライトに広まれば、システム全体が崩壊しかねない」
アステールは厳しい表情で頷いた。
「その通りだ。我々の世界の安定は、魔鉱石への依存と、それによる相互牽制によって保たれている。サイレンティアは、この前提を根本から覆す可能性を持つものだ」
会議室内に重苦しい沈黙が広がった。全員が、サテライトシステムの脆弱性と、それを維持するための厳しい選択の必要性を理解していた。
防衛主席のガーランドが声を上げた。
「では、翠影の谷をどうするのです?」
アステールの目に、冷徹な決意の色が宿った。
「翠影の谷を、サテライトシステムから完全に切り離す」
その言葉に、会議室内が騒然となった。医療主席エリサーネが驚きの表情で問いかけた。
「完全に?それは余りに極端ではないでしょうか?」
アステールは首を横に振った。
「極端に聞こえるかもしれない。しかし、これは必要不可欠な措置だ。サイレンティアの存在は、我々の世界の安定を根本から脅かす。一つのサテライトを切り捨てる痛みはあるが、全体の秩序を守るためには致し方ない」
エリサーネの声には感情が滲んでいた。
「しかし、翠影の谷の人々は...」
アステールは厳しい表情で遮った。
「彼らには十分な警告を与えた。にもかかわらず、サイレンティアの利用を続けた。選択の余地はない」
アステールは立ち上がり、窓際に歩み寄った。エメラルドヘイヴンの街並みが、魔鉱石の光で美しく輝いている。
「我々の任務は、この世界の秩序と安定を守ること。そのためには、時に厳しい決断も必要になる」
彼は幹部たちに向き直った。
「翠影の谷との全ての交易を段階的に停止する。他のサテライトにも、翠影の谷との接触や立ち入りを禁じるよう通達を出す。サイレンティアに関する全ての情報は厳重に管理し、外部への流出を防ぐ。他のサテライトに知られれば、不必要な混乱を招くだけだ」
エリサーネが静かに問いかけた。
「翠影の谷の人々は、なぜ突然切り離されるのか理解できないでしょう」
アステールの表情に、一瞬だけ苦痛の色が浮かんだ。
「彼らには真実を告げることはできない。サイレンティアの危険性を説明すれば、逆にその可能性に気づかせてしまう。我々は沈黙を守り、断固とした態度で臨まなければならない」
会議室内は重苦しい沈黙に包まれた。アステールの決定に異を唱える者はいなかったが、全員が胸に重いものを感じていた。
アステールの声が、静寂を破った。
「翠影の谷を完全に孤立させ、サイレンティアの影響を封じ込める。これは我々の世界を守るための決断だ」
幹部たちは重々しく頷いた。彼らの表情には、決意と共に深い悲しみが刻まれていた。
アステールは最後にこう付け加えた。
「我々の行動は、後世の歴史家たちによって裁かれることになるかもしれない。しかし、それでも我々は為すべきことを為さねばならない。サテライトシステムの存続のために」
会議が終わり、幹部たちが退室していく中、アステールは一人窓際に佇んだ。エメラルドヘイヴンの夜景が、魔鉱石の光で美しく輝いている。その光景を見つめながら、アステールは胸に深い痛みを感じていた。しかし、その痛みを押し殺し、彼は再び指導者の顔に戻った。全てはサテライトシステムの存続のために。
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