第29.4話:希望の家☑

オルドサーヴィスの孤児院「希望の家」の朝は、いつも喧騒から始まる。


日の出とともに響き渡る鐘の音。その音色は、かつて黄金の平原サテライトの豊かな麦畑に響いていた風鈴の音を思わせる。オルドサーヴィス本部にある鐘楼に設置された「エコー・ベル」と呼ばれるこの装置は、オルドサーヴィスの技術部門が開発した音響システムだ。サテライト全域に張り巡らされた特殊な共鳴装置と連動し、その音は本部の敷地を超えて遠くまで届く。元々はオルドサーヴィス警備部隊への非常呼集を知らしめるためのものであったのだが、それが必要となるような大事件は長らく発生していない。現在では警備番交代の時刻を示す時報として転用され、サテライトに広く認知されている。


15歳のマーカス・ブルームは、いつものように窓際に立ち、朝焼けに染まる街並みを眺めていた。彼の瞳に映る光景は、多くの人々にとっては驚くべきものかもしれない。孤児院の庭では、十数人の子供たちが整然と列を組み、朝の体操に励んでいる。その動きは、まるで精密な機械のように正確で、無駄がない。


しかし、マーカスにとってこれは日常の一コマに過ぎない。彼は「希望の家」で生まれ育ち、この光景を15年間毎日目にしてきたのだ。


マーカスの注意を引いたのは、体操を指導する年長の少女だった。リリア・ハーヴェイ。彼女の名は、孤児院の中で伝説のように語り継がれていた。オルドサーヴィス秩序行使部門の若手有力者として頭角を現し、今や組織の重要人物となっている卒院生だ。


リリアの姿を見つめるマーカスの目には、憧れと希望の光が宿っていた。彼女の成功は、この孤児院で育った子供たちにとって、大きな励みとなっていたのだ。


マーカスは窓を開け、朝の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだ。その瞬間、彼の鼻腔をくすぐる香りが漂ってきた。甘く、どこか懐かしい香り。それは「ゴールデン・ウィート」の香りだった。


ゴールデン・ウィートは、黄金の平原サテライトの主要産物である高栄養価小麦の一種だ。その黄金色の穂は、サテライトの象徴とも言える存在だった。孤児院の敷地内にある「希望の畑」でも、この小麦が栽培されている。それは単なる食料生産にとどまらず、子供たちの生活能力、及び基礎体力形成プログラムの一環でもある。このプログラムはリリア主導のもと、つい数年前に開始されたものだ。


マーカスは急いで制服に着替え、朝食の準備を手伝うために食堂へと向かった。廊下を歩きながら、彼は壁に掛けられた「卒院生の道」と呼ばれる巨大な掲示板に目をやった。そこには、リリアをはじめとする成功した卒院生たちの写真と経歴が掲示されていた。


食堂に到着すると、そこではすでに数人の仲間たちが準備に取り掛かっていた。テーブルの上には、ゴールデン・ウィートを使用した様々な料理が並べられている。パン、シリアル、そしてマーカスの大好物である「サンシャイン・プディング」。これは、ゴールデン・ウィートとサンシャイン・フルーツを組み合わせた、栄養価の高いデザートだ。


サンシャイン・フルーツは、黄金の平原サテライトの特産品の一つで、その名の通り太陽のような明るい黄色をしている。高濃度の必須栄養素を含み、免疫力の向上に効果があるとされている。


朝食の準備が整うと、子供たちが次々と食堂に集まってきた。マーカスは、配膳を手伝いながら、仲間たちの会話に耳を傾けた。


「ねえ、聞いた?リリアさんが今日、特別授業をしてくれるんだって!」

「本当?すごいね!どんな話をしてくれるんだろう」

「オルドサーヴィスでの仕事の話とか、聞けるのかな」


子供たちの目は、期待と興奮で輝いていた。リリアの存在は、彼らにとって希望の象徴だったのだ。


マーカスも、心の中で期待を膨らませていた。彼もまた、リリアのように成功し、オルドサーヴィスで働くことを夢見ていた。


朝食が終わると、子供たちは教室へと向かった。マーカスは、今日の特別授業のために「翠玉の間」と呼ばれる大講堂に足を踏み入れた。その名は、エメラルドヘイヴンの中枢にある会議室にちなんで付けられたものだ。名前負けもいいところの古びた講堂ではあるが、孤児たちにとっては特別な場所である。


講堂の壁には、オルドサーヴィスの歴史を描いた巨大な壁画が描かれていた。その中央には、創設者ヘクター・グリムウォルドの肖像画が飾られている。厳格な表情のヘクターの目は、まるで部屋の全てを見通しているかのようだった。


マーカスが席に着くと、リリアが講壇に立った。彼女の姿は、まさに成功者のそれだった。身に着けた制服は、オルドサーヴィスの最高級品で、その胸元には組織の紋章が輝いていた。


リリアは、穏やかな口調で話し始めた。


「皆さん、おはようございます。今日は、オルドサーヴィスでの私の経験と、皆さんに伝えたいことをお話しします」


マーカスは、リリアの言葉を一言も聞き逃すまいと、真剣な表情で耳を傾けた。彼女の話は、オルドサーヴィスの使命、黄金の平原サテライトの重要性、そして孤児院で学んだことがいかに仕事に活かされているかについてだった。


講演の最後に、リリアはこう締めくくった。


「皆さんには無限の可能性があります。ここで学んだことを胸に、自分の夢に向かって頑張ってください。そして、いつか皆さんと、オルドサーヴィスの仲間として再会できることを楽しみにしています」


講堂は、大きな拍手に包まれた。マーカスの胸は高鳴り、目には決意の色が宿っていた。


その日の夜、就寝前のひととき。マーカスは寮の屋上に設置された「星見の丘」と呼ばれる小さな展望台に立っていた。そこからは、黄金の平原サテライトの夜景が一望できる。遠くには、オルドサーヴィス本部の灯りが見える。


マーカスは、その光を見つめながら心に誓った。必ずリリアのようなオルドサーヴィスの一員となる。そして、この孤児院と黄金の平原サテライトに恩返しをするのだと。


星空の下、マーカスの瞳には希望の光が輝いていた。それは、「希望の家」で育つ全ての子供たちの目に宿る光と同じだった。彼らの未来は、オルドサーヴィスという大きな歯車の中で、確実に動き始めていたのである。

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