第48話:栄枯盛衰☑

エメラルドヘイヴンの中心に位置するコモディティ市場。その巨大な円形建築物は、翠玉の輝きを放つ外壁と、天井まで届く巨大な窓ガラスが特徴的だった。市場の正面には「繁栄と調和」という文字が刻まれ、エメラルドヘイヴンの理想を象徴していた。


しかし、今やその内部は異様な熱気に包まれていた。魔鉱石の価格が、かつてない高みへと急騰していたのだ。市場のフロアでは、ブローカーたちが興奮に満ちた声で取引を叫び、その声は天井まで届くほどの喧騒となっていた。


「魔鉱石、一キログラム当たり100万クレジット!」

「110万で買います!」

「120万!誰か120万出せる者はいないか?」


電光掲示板には、信じがたい数字が踊っていた。わずか一年前までは、魔鉱石の価格は一キログラム当たり1万クレジット程度だった。それが今や、百倍以上の価格で取引されているのだ。


しかし、この法外な値段にもかかわらず、買い手は後を絶たなかった。その理由は明白だった。魔鉱石を用いたミリスリア擬製生物による生産ラインが、驚異的な効率と品質を誇っていたからである。


ミリスリア擬製生物とは、レヴァンティスサテライトが開発した革新的な人工生命体だった。彼らは、魔鉱石から抽出されるミリスリアというエネルギーを動力源として活動し、人間の労働力を遥かに凌ぐ能力を持っていた。


市場の一角には、ミリスリア擬製生物が生産した製品の展示コーナーがあった。そこには、まるで芸術品のような美しさと実用性を兼ね備えた製品が並んでいた。


繊細な装飾が施された「クリスタルハート」と呼ばれる人工心臓。その表面には、ナノレベルの精度で刻まれた模様が施され、機能性と美しさを両立していた。完璧な精度を誇る「ゴールデンアイ」という名の電子光学機器。その解像度は人間の目を遥かに超え、宇宙の彼方まで見通すことができるという。そして、耐久性と軽さを両立した新素材「エアリウム」。この素材で作られた防具は、重量はわずか数百グラムながら、高速で飛来する弾丸をも防ぐことができるのだ。


これらの製品に、市場は熱狂していた。富裕層や大企業は競って魔鉱石を買い漁り、ミリスリア擬製生物による生産ラインの構築に血眼になっていた。


魔鉱石を手に入れた者たちは、まさに一攫千金の夢を実現していた。彼らの富は日に日に増大し、その名声は瞬く間に広まっていった。「クリスタル財閥」や「ゴールデンアイ・コーポレーション」など、新興の巨大企業が次々と誕生し、エメラルドヘイヴンの経済地図を塗り替えていった。


しかし、この恩恵は全てのサテライト生態系に平等に与えられたわけではなかった。


特に、利益をベーシックインカムに回し、規模拡大への投資を怠っていたサテライト生態系は、その煽りを受けていた。彼らの生産効率は他の生態系に比べて著しく劣り、魔鉱石の購入競争に敗れ始めていたのである。


その代表例が、「エメラルドグローブ」というサテライトだった。エメラルドグローブは、かつては美しい森林と豊かな農業で知られる平和な生態系だった。その指導者であるガイア・グリーンウッドは、住民の幸福を最優先に考え、利益の大部分をベーシックインカムとして還元していた。


しかし、魔鉱石価格の高騰により、エメラルドグローブの経済は急速に悪化していった。かつては活気に満ちていた街並みは、今や静寂が支配していた。広場には人影もまばらで、閉鎖された店舗の窓には埃が積もっていた。住民たちの表情には、この急激な変化に対する戸惑いが浮かんでいた。


魔鉱石の欠乏により、自動化された生産ラインは停止し、生産能力は著しく低下した。やむを得ず、ガイア・グリーンウッドはベーシックインカム制度の廃止を決断した。


その知らせが伝わると、エメラルドグローブの住民たちの間に衝撃が走った。労働から解放されていた彼らは、再び厳しい現実に向き合わなければならなくなったのである。


緑豊かな森林を背景に建つウッドタワー。かつてはサテライトの象徴だったこの建物の最上階で、ガイア・グリーンウッドは苦渋の決断を下した。


「我々は、再び自らの手で労働せねばならない。それは厳しい道のりとなるだろう。しかし、我々には豊かな自然という財産がある。この自然と共に生きる知恵を取り戻し、新たな道を切り開こう」


工場や工房には人々が戻り、手作業での製造が再開された。しかし、その効率と品質は、ミリスリア擬製生物のそれとは比べものにならなかった。


市場に出された人間製の製品は、その粗雑さゆえに競争力を完全に失っていた。かつての顧客たちは、より高品質な製品を求めて他へと流れていった。エメラルドグローブの住民たちは、自らの製品が売れ残る様子を目の当たりにし、絶望感を募らせていった。


労働に戻った人々の間には、不満と疲労が蔓延していった。かつての平穏な生活を懐かしむ声が聞かれる一方で、厳しい労働への抵抗感も高まっていった。ガイア・グリーンウッドと彼女の側近たちは状況打開の策を模索していたが、魔鉱石を入手する見込みは立たず、再び高度な生産体制に戻ることは困難を極めた。


新たな経済モデルや技術革新を求めて試行錯誤が続いたが、その道のりは険しく、先行きは不透明なままだった。エメラルドグローブは、自然との共生を活かした「エコツーリズム」や、伝統的な手工芸品の復活など、さまざまな施策を打ち出したが、それらは魔鉱石経済の前では微々たる効果しか生まなかった。


やがて、資産を使い果たしたエメラルドグローブは崩壊の瀬戸際に立たされた。住民たちは散り散りになり、かつての繁栄を誇った街は廃墟と化していった。


崩壊したエメラルドグローブの元住民たちは、新天地で再出発を図っていた。多くの者が、繁栄を続ける他のサテライトへと移住していった。しかし、かつての豊かさと安定を取り戻すことは容易ではなく、彼らの心には、ベーシックインカムによる平穏な日々の記憶が、苦い郷愁となって残り続けていた。


エメラルドグローブの跡地は、規模拡大を追求する巨大企業「ネオクリスタル・コーポレーション」に買い取られ、新たな全自動生産ラインが整備された。人間の存在を必要としない新たな生産設備は、驚くべき速さで稼働を始めた。かつての住民たちの存在は忘れ去られ、街並みに残された生活の痕跡も、新たな建設の波に飲み込まれていった。


豊かな森林は伐採され、その場所には巨大な工場群が建設された。ウッドタワーは「ネオクリスタルタワー」と名を変え、その頂上には巨大な魔鉱石が据え付けられた。それは、新たな時代の象徴であると同時に、かつての理想が失われたことを示す墓標でもあった。


新たに整備された生産ラインは、かつてのエメラルドグローブを遥かに凌ぐ効率と品質を誇っていた。市場は再び活気を取り戻したが、その繁栄の陰に、かつての住民たちの犠牲があったことを知る者は少なかった。


ミリスリア擬製生物がもたらした新たな秩序は、栄枯盛衰の激しい波を生み出していく。その波に飲み込まれた者、乗り越えた者、そして新たに台頭した者。彼らの物語は、この世界の歴史に刻まれていくのだった。


魔鉱石を中心に回る経済の歯車は、容赦なく回り続けていた。その軋みの中に、人々の運命が翻弄される音が、かすかに聞こえていたのである。


コモディティ市場の喧騒は、夜になっても衰えを知らなかった。魔鉱石の価格は、さらなる高みを目指して上昇を続けていた。その光景は、まるで終わりなき狂騒劇のようだった。しかし、誰もがその先に待つ未来を予測することはできなかった。魔鉱石経済がもたらす繁栄と没落の波は、これからも世界を揺るがし続けるのだろう。そして、その波の中で人々は、新たな生き方を模索し続けるのだった。

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