第12話:漆黒の財政☑️

薄暗い廊下を静かに歩むリリアの足音が、黄金の平原サテライト統治機構の重厚な石壁に吸い込まれていく。彼女の心中では、これまでに得た情報が複雑に絡み合い、渦を巻いていた。潜入捜査官としての任務は、彼女をサテライト統治機構の深奥へと導いたが、そこで目にした現実は、彼女の予想をはるかに超える困難な状況だった。


統治機構の財政状況は、まさに崖っぷちと言えるほどに危機的だった。リリアは、内部文書の一枚一枚を丹念に調べ上げ、職員たちの何気ない会話に耳を傾けた。そこから浮かび上がってきたのは、驚くべき事実の数々だった。


通常、サテライトの統治機構は、管轄地域から潤沢な税収を得る。また、有望な産業を独占することで、莫大な利益を手にする。これは、エメラルドヘイヴンを中心とするサテライトシステムの基本的な運営原理だった。しかし、黄金の平原では、このシステムが完全に機能不全に陥っていた。


「どうして?」リリアは眉をひそめ、心の中で問いかけた。


その答えは、オルドサーヴィスという組織にあった。黄金の平原サテライトで絶大な影響力を持つこの秩序行使業者の多角的な経営戦略が、統治機構の試みを次々と挫折させていたのだ。オルドサーヴィスは、孤児院や風俗街の経営を通じて、街の経済に強大な影響力を持っていた。


統治機構が新たな産業を立ち上げようとしても、必ずやオルドサーヴィスとの競合に巻き込まれる。その結果、多くの計画が頓挫していった。リリアは、失敗に終わった数々のプロジェクトの報告書を読みながら、その背後にあるオルドサーヴィスの影を感じ取っていた。


例えば、統治機構が推進しようとした「黄金の糸」プロジェクト。これは、黄金の平原の特産品である黄金色の絹糸を用いた高級織物産業の育成を目指すものだった。しかし、原料となる蚕の飼育に必要な桑畑の確保に際し、オルドサーヴィスの影響下にある地主たちの抵抗に遭い、頓挫してしまった。


さらに深刻なのは、税収の問題だった。オルドサーヴィスの影響力が強すぎるため、統治機構は思うように税率を上げられない。高額な税を課せば、オルドサーヴィスとその影響下にある商人たちの反発を招き、統治機構への信頼は地に落ちかねない。


リリアは、ある会議室の前で立ち止まった。中からは、疲れ切った職員たちの声が漏れ聞こえてきた。


「もはや打つ手がないのではないか...」

「オルドサーヴィスの影響力が強すぎる。我々にはどうすることもできない」


彼らの士気の低下は明らかだった。自分たちの努力が報われず、将来への不安を抱えている様子が、その声音からありありと伝わってきた。


「これは単なる一時的な問題ではない」リリアは心の中で呟いた。「構造的な問題だ」


彼女の脳裏に、さらなる情報が浮かんできた。サテライトの生態系を維持する、ミリスリアと呼ばれる特殊な生命エネルギー。それを蓄えた魔鉱石が、住民たちに様々な恩恵をもたらしていた。健康増進、作物の成長促進、エネルギー供給...。


ミリスリアは、サテライトシステムの根幹を成す神秘的なエネルギーだった。その起源は諸説あるが、一般に知られているのは、世界に4柱しか存在しないという「源泉」と呼ばれる存在から供給されるということだけだった。そのうちの一つが、エメラルドヘイヴンに存在するとされている。


しかし、この恵みにも代償があった。サテライトのリーダー、オルフィウスは、上位機関であるエメラルドヘイヴンへの納税と魔鉱石の供給を義務付けられていた。


魔鉱石はミリスリアの唯一無二のキャリアであるが、無限に充填を繰り返すことができるわけではない。数度使用された魔鉱石は灰のように崩れ落ち、二度とミリスリアを吸収することはない。従って、絶えず何らかの形で魔鉱石を見つけ出さなければならない。


黄金の平原は魔鉱石採掘班を保有しており、彼らが日々黄金の平原の周辺地域から魔鉱石を見つけ出している。しかし、その採掘量は年々減少傾向にあり、かつては市場に流すほどの余裕があったが、現在では状況が異なるようだ。


リリアは、ある機密文書の一節を思い出した。エメラルドヘイヴンへの納税と魔鉱石の供給が遅れている、という内容だった。その結果、サテライト内でのミリスリア濃度が低下し、住民たちの不満が高まっているという。


「事態は想像以上に深刻だ」リリアは、冷静に状況を分析した。エメラルドヘイヴンへの義務が果たせなければ、サテライト全体の生態系が危機に瀕する。そして、住民たちの信頼を失えば、統治機構の存続すら危ぶまれかねない。


リリアは、静かに歩を進めた。彼女の探求は、まだ始まったばかりだった。オルフィウスと統治機構の幹部たちは、この難局にどう対処しようとしているのか。彼女は、その答えを見つけ出さなければならない。


暗い廊下の先に、かすかな光が見えた。それは、オルフィウスの執務室から漏れる明かりだった。リリアは深く息を吸い、その光に向かって歩み出した。彼女の前には、まだ多くの謎が待ち受けていた。サテライト統治機構の真実を、そしてオルドサーヴィスの戦略に必要な情報を、彼女は必ずや見つけ出すのだ。


リリアの足音が、静かに、しかし確実に執務室へと近づいていく。その一歩一歩が、黄金の平原サテライトの未来を左右する重要な情報への道を開いていくのだった。

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