第10話:統治機構への第一歩☑

黄金の平原サテライトの中心部に聳え立つ統治機構の建物は、その威容を誇るかのように朝日を受けて輝いていた。巨大な砂岩の柱が立ち並ぶ正面玄関は、訪れる者に畏怖の念を抱かせるに十分であった。この建物は、サテライト全体を統括する中枢機関であり、その内部で働く者たちは、黄金の平原の運命を左右する重要な決定に日々関わっていた。


リリアは、その玄関前に立ち、深呼吸を繰り返した。彼女の胸中では、緊張と期待が複雑に入り混じっていた。オルドサーヴィスから与えられた潜入捜査という重大な任務。その第一歩を踏み出す瞬間が、今まさに訪れようとしていた。


彼女は、自身の装いを最後に確認した。簡素ながらも品のある濃紺のスーツは、統治機構の厳粛な雰囲気に溶け込むのに適していた。髪は丁寧に後ろで束ね、化粧も控えめに施してある。外見だけでなく、内面の準備も万全だった。オルドサーヴィスでの訓練で培った冷静さと機転を、今こそ発揮する時が来たのだ。


リリアは、颯爽とした足取りで玄関へと向かった。その姿からは、もはや迷いの色は微塵も感じられなかった。


受付には、厳格な表情の職員が座っていた。その背後には、"効率と公正、黄金の平原の礎"という標語が掲げられていた。これは、統治機構の理念を端的に表すものだった。


「おはようございます。本日、面接の予約をしておりますリリア・ハーヴェイと申します」


リリアの声は、穏やかでありながら、芯の強さを感じさせるものだった。受付職員は、無表情のまま効率的に名簿を確認し、簡潔に応答した。


「リリアさん、警備部門の面接ですね。5階の503号室へどうぞ。担当官がお待ちです」


エレベーターに乗り込むリリアの心臓は、高鳴りを抑えきれなかった。しかし、その表情は冷静そのものだった。5階に到着し、503号室のドアをノックする。


「どうぞ」


面接室に足を踏み入れた瞬間、リリアは空気の変化を肌で感じ取った。部屋の中央には半円形に配置された机があり、そこに5人の面接官が厳しい表情で座っていた。彼女の前には、それぞれリリアの履歴書が置かれている。壁には、黄金の平原サテライトの大きな地図が掛けられており、その隣には統治者オルフィウスの肖像画が掲げられていた。


リリアは、動揺を見せることなく堂々と前進し、面接官たちの前で立ち止まった。彼女の瞳には、揺るぎない自信と決意の光が宿っていた。


「リリア・ハーヴェイと申します。本日は貴重な機会をいただき、ありがとうございます」リリアの声は、自信に満ち、同時に謙虚さを失わないものだった。


中央に座る面接官が、冷たい視線を向けながら質問を投げかけた。「ハーヴェイさん、警備部門への志望理由をお聞かせください」


リリアは一瞬の沈黙の後、慎重に言葉を選びながら答えた。「私は幼い頃から、黄金の平原サテライトの平和と繁栄に深い関心を持ってきました」彼女は、ダリオンから与えられた偽りの経歴を完璧に演じ切った。「15歳の時、私の家族は悲惨な事故で命を落としました。その時、統治機構の警備部門の方々が迅速かつ的確に対応してくださり、私の命が救われたのです」


リリアの声には、わずかに感情が滲んでいた。それは演技ではあったが、彼女の言葉には真実味があふれていた。「その経験から、私は統治機構の重要性を痛感し、自分もいつかサテライトの安全を守る一員になりたいと強く願うようになりました」


面接官の一人が、疑わしげな表情で質問を投げかけた。「あなたの経歴を見ると、かなり優秀な成績を収めているようですね。なぜ、もっと華やかな職業ではなく、警備部門を選んだのですか?」


リリアは、その質問に対して微笑みを浮かべた。「確かに、私には他の選択肢もありました。しかし、私にとって最も重要なのは、この黄金の平原サテライトに恩返しをすることです。警備部門は、直接的に市民の安全を守り、サテライトの秩序を維持する重要な役割を担っています。私の能力を最大限に活かせるのは、まさにこの部門だと確信しています」


別の面接官が、より厳しい口調で質問を投げかけた。「警備部門の仕事は、時に危険を伴い、厳しい訓練も必要です。あなたのような若い女性に、そのような過酷な仕事が務まるとお思いですか?」


この質問に、リリアの目に決意の色が強まった。「私は長年にわたる武術の訓練で、心身ともに鍛え上げてきました。危険や困難は、私にとっては乗り越えるべき挑戦であり、成長の機会だと考えています」彼女は、自信に満ちた態度で続けた。「性別や年齢は、能力や献身の度合いを決定づける要因ではありません。私には、このサテライトを守るという強い使命感があります。それこそが、あらゆる困難を克服する原動力となるのです」


面接官たちは、リリアの堂々とした態度と論理的な返答に、わずかに感心の色を示した。しかし、最後の難題が待っていた。


「最後の質問です」中央の面接官が、鋭い眼差しでリリアを見つめた。「もし、あなたの信念と組織の方針が対立した場合、どのように行動しますか?」


リリアは、一瞬だけ目を閉じ、深く息を吸った。そして、確固たる信念を込めて答えた。「私は、常にサテライトと市民の利益を最優先に考えます。もし対立が生じた場合、まず組織の方針の背景にある理由を十分に理解しようと努めます。そして、私の信念との間に妥協点を見出すよう努力します」彼女は、一人一人の面接官の目を見つめながら続けた。「しかし、もし組織の方針がサテライトの利益に反すると確信した場合、私は勇気を持ってその問題を提起し、建設的な議論を求めます。なぜなら、真の忠誠とは盲目的な服従ではなく、より良い未来のために声を上げる勇気を持つことだと信じているからです」


面接室に、緊張感溢れる沈黙が訪れた。面接官たちは、互いに顔を見合わせ、小さくうなずいた。


「分かりました、ハーヴェイさん」中央の面接官が、厳しい表情の中にわずかな柔和さを滲ませて言った。


リリアの胸中には、成功への確信と同時に、複雑な感情が渦巻いていた。彼女は完璧に役割を演じ切ったが、その過程で語った言葉の一部が、彼女自身の本当の思いと重なっていることに気づいていた。サテライトを守るという使命感、より良い未来への希求—―それらは偽りの経歴の中にあっても、リリアの心の奥底に確かに存在していたのだ。


「では、実技試験に移りましょう」中央の面接官が告げた。「隣にある訓練場へ案内します」


広々とした訓練場に足を踏み入れたリリアの姿は、まるで別人のように変貌していた。彼女の目には鋭い光が宿り、全身から研ぎ澄まされた緊張感が漂っていた。


「では始めてください」


合図と共に、リリアの動きが始まった。彼女の動きは流れるように滑らかで、同時に力強く、精確だった。剣を振るう姿は風のように速く、的確にターゲットに命中する。周囲の空気が揺れ、彼女の周りに青白い光が走り抜ける。リリアが操る剣身の残像である。


試験官たちは、驚愕の表情を隠せなかった。リリアの技量は、彼らがこれまで見てきた多くの受験者とは明らかに一線を画していた。その動きの一つ一つが、彼らの常識を覆していく。


試験が終わり、リリアは再び面接室に戻った。結果を待つ間の静寂は、彼女にとって永遠とも思えるほど長く感じられた。しかし、その沈黙は長くは続かなかった。


「リリア・ハーヴェイさん」中央の面接官が口を開いた。「あなたの実力は、我々の期待をはるかに上回るものでした。統治機構警備部門への採用を決定いたします」


リリアの心は安堵に満たされた。しかし、彼女の表情は依然として冷静さを保っていた。


「ありがとうございます。与えられた職務に全力を尽くし、黄金の平原の安全と繁栄に貢献させていただきます」


リリアの返答には、確固たる決意が込められていた。


その日のうちに、リリアは採用に必要な手続きを全て済ませ、正式に統治機構の一員となった。彼女は、自身に与えられた小さなデスクに座り、周囲を見渡した。広々としたオフィスには、多くの職員が忙しく働いている。彼らの中に紛れ込み、内部の情報を収集するという任務。その第一歩を、リリアは無事に踏み出したのだ。


しかし、これは始まりに過ぎなかった。真の試練はこれからだった。リリアは、自身の役割と使命に対する強い決意を新たにしながら、明日からの業務に向けて準備を進めた。潜入捜査の最初のステップを無事にクリアしたことで、彼女の心には一層の自信と責任感が芽生えていた。


窓の外では、夕暮れの空が黄金色に染まっていた。それは、黄金の平原サテライトの名にふさわしい、美しくも儚い光景だった。リリアは、その景色を眺めながら、これから始まる新たな旅路に思いを馳せた。彼女の前には、未知の困難と、果てしない可能性が広がっていた。

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