第9話:潜入☑

朝霧が薄れゆく黄金の平原サテライトの空に、朝日が淡い光を投げかけ始めた頃、オルドサーヴィス本部の威容ある建物が、その姿を現し始めた。建物は、古代ローマの神殿を思わせる巨大な円柱が立ち並ぶ正面玄関を持ち、その上部には黄金に輝く鷲の彫像が据えられていた。この鷲は、オルドサーヴィスの象徴であり、その鋭い目は街を見下ろし、秩序を守護しているかのようだった。


リリアは、突如として届いた召集令に応じ、緊張した面持ちでその門をくぐった。彼女の足音が、大理石の床に静かに響く。長く続く廊下の両側には、歴代のオルドサーヴィスの功労者たちの肖像画が並んでいた。それぞれの目が、リリアを見つめているかのようで、彼女は思わず背筋を伸ばした。


重厚な扉の前で足を止めたリリアは、深呼吸を一つした。その瞬間、彼女の鼻腔をかすかに刺激する香りに気づいた。それは、この建物特有の、古書と革の混ざったような香りだった。この香りは、オルドサーヴィスの長い歴史と伝統を象徴しているかのようだった。


決意を固めて、リリアは扉をノックした。


「入りなさい」


低く響く声に導かれ、リリアは部屋に足を踏み入れた。中央には、オルドサーヴィスのヘッド、ダリオンの毅然とした姿があった。ダリオンは、300代半ばの男性とされており、その顔には年月の刻んだ深い皺が刻まれていたが、その瞳は若々しく、鋭い光を放っていた。何らかの力が、ダリオンという生命本来の運命を歪めている。彼の背後の壁には、オルドサーヴィスの創設者、ヘクター・グリムウォルドの肖像画が掛けられており、その目がこの部屋で行われる全てを見守っているかのようだった。


「リリア、よく来た」ダリオンの声は、静かではあるが力強かった。「君に重要な任務がある。『黄金の平原』サテライトの統治機構への潜入だ」


この予想外の任務に、リリアは一瞬戸惑いを見せたが、すぐに冷静さを取り戻した。「私が、潜入任務を?」


ダリオンは頷き、説明を続けた。「君はまだ活動歴が浅く、サテライトの統治機構に顔が知られていない。それが、今回の任務に最適な理由だ」彼の視線は真剣さを増す。「特に重要なのは、黄金の平原のサテライトリーダー、オルフィウスについての情報だ。彼の動向と計画を探ることが、我々の目的となる」


リリアは深く頷き、ダリオンの言葉に全神経を集中させた。オルフィウスという名前は、彼女にとっても馴染みのあるものだった。黄金の平原サテライトの指導者として、その名は広く知られていたからだ。しかし、彼の実像については、ほとんど知られていなかった。


「オルフィウスに限らず、サテライトリーダーたちは、自分たちの統治が優れているからこそ、農作物の成長が早く、人民は健やかな生活が送れると宣伝している。しかし、これはすべて虚構だ」


ダリオンの声には一抹の冷笑が含まれていた。彼は棚から一冊の古びた本を取り出し、リリアに見せた。その本は、「ミリスリアと魔鉱石」と題されており、表紙には複雑な結晶構造の図が描かれていた。


「実際のところ、サテライトの生態系を支えているのは魔鉱石という石だ。この石は金さえ出せば、エメラルドヘイヴンのコモディティ市場で買うことができる」


リリアは魔鉱石の話を聞きながら、その特性を頭に叩き込んだ。魔鉱石は高ミリスリア濃度環境下において周囲のミリスリアを吸収し、低ミリスリア濃度環境下でそれを放出する。エメラルドヘイヴンのミリスリアをサテライトに運ぶための媒体として機能しているのだ。サテライトはこれによって生態系を維持している。しかし、魔鉱石は非常に高価な資源であり、その供給が途絶えれば、生態系は崩壊してしまう。


ミリスリアとは、神秘を内包する生命エネルギーであり、その濃度が高い環境下では、あらゆる生命に活力が付与される――例えば、ダリオンのように?


リリアは、若々しく鋭い光を放つダリオンの瞳を見つめる。恐らくだが、ダリオンは統治機構とは別に、独自で魔鉱石を調達しているのだろう。証拠がないにもかかわらず、リリアにはそう直感できた。


ダリオンもまた、リリアの目を見据えた。


「つまり、サテライトリーダーたちの主張ははったりに過ぎない。彼らの統治がなくても、ミリスリアを供給できる魔鉱石さえあれば生態系は維持可能だ」


ダリオンは深い息をつき、話を続ける。彼の表情には、深い憂慮の色が浮かんでいた。


「ただ最近、黄金の平原のミリスリア濃度が落ちているという噂がある。まさかとは思うが、ことがミリスリアに関係する以上、万全を期すために裏を取っておきたい」と彼は低い声で告げた。その言葉は、まるで空気の中に重く沈んでいくようだった。


リリアは深く頷き、任務の重大さを理解した。ミリスリア濃度の低下は、サテライト全体の存続に関わる重大な問題だった。「具体的に、どのような情報を収集すべきでしょうか?」


ダリオンは手元の書類を差し出した。それは、細かな文字で埋め尽くされた数十ページにも及ぶ資料だった。「ここに必要事項が全て記載されている。これを完全に記憶し、細心の注意を払って行動するように。オルフィウスは非常に狡猾だ。我々の動きを察知されれば、任務は水泡に帰す」


リリアは書類を受け取り、その内容を慎重に吟味した。オルフィウスの人物像、彼を取り巻く人間関係、そしてサテライトの内部構造。これらの情報を一つ一つ、脳裏に刻み込んでいく。特に、オルフィウスの側近たちの名前と顔写真、彼らの性格や行動パターンなどが詳細に記されていた。


「リリア」ダリオンの声が、彼女の思考を中断させた。「この任務は非常に危険だ。しかし、私は君の能力を信じている。何か疑問や不安があれば、今のうちに聞いておくといい」


一瞬の逡巡の後、リリアは決意を固めた。彼女の瞳には、強い信念の光が宿っていた。「不安はありません。全力を尽くします」


ダリオンは満足げに頷いた。彼の表情には、リリアへの信頼と期待が込められていた。「よろしい。君の成功を祈っている」


敬礼を交わし、リリアは静かに部屋を後にした。長い廊下を歩きながら、彼女の心は任務への決意で満ちていた。この使命は、彼女個人の試練であると同時に、オルドサーヴィスの未来を左右しうる重要な任務でもある。


窓の外では、黄金の平原サテライトの街並みが広がっていた。朝日に照らされた黄金色の麦畑が、地平線まで続いている。その美しい光景の下に隠された真実を暴くこと。それが、リリアに課せられた使命だった。彼女の瞳には、未知の危険に立ち向かう覚悟が宿っていた。


リリアは、オルドサーヴィス本部の正面玄関を出て、黄金の平原サテライトの市街街へと足を踏み出した。彼女の前には、長く険しい道のりが待っていたが、その心には揺るぎない決意が燃えていた。任務の成功と、真実の追求。それが、彼女の進むべき道だった。

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