第8話:新人リリアへの試練☑

夏の陽光が黄金の平原サテライトを包み込む午後、オルドサーヴィスの制服に身を包んだリリアの姿が、整然と並ぶ街路樹の間を歩んでいた。彼女の鋭い眼差しは、街の隅々にまで行き届き、その瞳には新人としての責務を全うしようとする強い意志が宿っていた。


オルドサーヴィスは、黄金の平原サテライトにおける秩序維持を担う組織である。その起源は、サテライト設立当初にまで遡る。当時、急速な発展と人口増加に伴い、治安の悪化が深刻な問題となっていた。この危機に対応するため、サテライトの中心人物たちは、強力な権限を持つ秩序維持機関の設立を決定した。こうして誕生したのがオルドサーヴィスであり、以来、その存在は黄金の平原サテライトの安定と繁栄を支える柱となってきた。


リリアの足取りは軽やかでありながら、その背筋には使命感が漲っていた。彼女の周りでは、サテライトの日常が穏やかに流れていた。商店街では店主たちが威勢よく商品を売り込み、公園では子供たちの笑い声が響いている。この平和な光景は、オルドサーヴィスの存在によって守られているのだと、リリアは胸を張って思った。


しかし、運命は時として予期せぬ形で人々の前に立ちはだかる。静寂に包まれた街角から、突如として響き渡った叫び声が、その平穏な空気を引き裂いた。リリアの反応は瞬時だった。彼女は躊躇することなく、その声の源へと駆けていった。


路地の奥に飛び込んだリリアの目に映ったのは、彼女の心に衝撃を与えるに十分な光景だった。かつての親友、カルロスが、二人の男性と激しい言葉の応酬を交わしていたのである。カルロスの表情には、怒りと焦燥が入り混じっていた。その姿は、孤児院で共に過ごした日々の彼とはあまりにもかけ離れていた。


「やめなさい!」リリアの声が、その場に鋭く響き渡った。「ここでの争いは許されません!」


彼女の介入に、周囲の人々の注目が集まった。路地に面した建物の窓からは、好奇心に満ちた顔が覗いている。カルロスは一瞬、驚きの表情を見せたが、すぐさまそれは冷ややかな表情へと変化した。


「リリア、これは俺の問題だ。お前には関係ない」カルロスの言葉には、明らかな敵意が込められていた。その声音は、かつての温かみを失い、冷たく尖っていた。


しかし、リリアはその言葉に動じることはなかった。彼女は毅然とした態度で、カルロスの前に立ちはだかった。制服の胸元に輝くオルドサーヴィスの紋章が、彼女の決意を物語っているかのようだった。


「カルロス、ここは公共の場です。もし解決が必要なら、オルドサーヴィスが仲裁します」リリアの声には、公平さと正義への信念が滲んでいた。


カルロスの目には、怒りと混乱が交錯していた。彼の唇は震え、握りしめた拳からは、抑えきれない感情が伝わってきた。「リリア…お前にはわからないんだ。俺たちの苦しみや、何が俺たちをここに追い詰めたのか…」


その言葉に、リリアは一瞬の動揺を見せた。カルロスの目に宿る絶望の色に、彼女の心は揺さぶられた。しかし、彼女はすぐに自らを奮い立たせた。オルドサーヴィスの一員としての責務と、かつての友人への思いが、彼女の中で激しく葛藤していた。


「カルロス、私は理解しようと努めています。でも、ここでの暴力は何も解決しません」リリアの声には、冷静さと共感が混ざり合っていた。


カルロスは、深い息をついた。そして、彼が再び目を開いたとき、そこには深い恨みと悲しみが宿っていた。「オルドサーヴィスの言う秩序なんて、俺たちには関係ない。お前も、結局は彼らの手先だ」


その言葉は、リリアの心に鋭い痛みをもたらした。しかし、彼女はその場で揺るがずに立ち続けた。「カルロス、私はあなたたちを助けたいと思っています。どうか、今は冷静になってください」


緊張が高まる中、カルロスはしばらくの間リリアを見つめていた。二人の間には、かつての友情の残影と、現実の厳しさが交錯していた。そして、ついに彼は拳を緩め、肩の力を抜いた。


「…わかったよ、リリア。でも、忘れるな。オルドサーヴィスの秩序はまやかしだ」カルロスの声には、諦めと警告が混ざっていた。


カルロスの背中を見送りながら、リリアは心の奥底で痛みを感じた。彼女は、秩序を守ることの難しさと、その裏に潜む苦しみを改めて実感した。街の秩序を守るという使命は、単なる規則の遵守だけではなく、人々の心の痛みに寄り添うことも含まれている。この認識が、リリアの心に重くのしかかった。


夜の帳が降りた頃、リリアは宿舎の自室に戻った。オルドサーヴィスの宿舎は、サテライトの中心部から少し離れた高台に位置する建物である。その外観は威厳に満ちているが、内部は機能的で質素な造りになっている。これは、オルドサーヴィスの理念である「質実剛健」を体現したものだった。


照明を点けると、薄暗かった空間に温かな光が広がり、一瞬の安堵感が彼女を包んだ。しかし、その安らぎは束の間のものだった。壁に掛けられた鏡に映る自身の姿を見つめながら、リリアは今日の出来事を反芻した。


制服を脱ぎ、ベッドの端に腰を下ろしたリリアの思考は、カルロスの置かれた過酷な状況と、彼の日々の心情へと向かった。「どうしてこんなことに…」という彼女の独白は、状況の理不尽さを端的に表していた。


孤児院での生活は決して楽ではなかったが、それでも互いに笑い合い、支え合った日々を懐かしく思い出す。リリアとカルロスは、オルドサーヴィスの孤児院で育った。この施設は、黄金の平原サテライトの将来を担う人材を育成することを目的としており、厳しくも温かい教育が行われていた。しかし、全ての卒業生がオルドサーヴィスに加われるわけではない。厳しい選抜を通過できなかった者たちの中には、社会に適応できず、犯罪に手を染める者もいた。カルロスもその一人だったのだ。


リリアは窓際に立ち、街灯のぼんやりとした光に照らされる静謐な夜の街を眺めた。黄金の平原サテライトの夜景は、その名の通り輝きに満ちていた。ビルの窓から漏れる光、整然と並ぶ街灯、そして娯楽施設――主には風俗街のネオンサイン。これらが織りなす光景は、まさに繁栄の象徴だった。しかし、リリアの目には、この輝きの裏に潜む影も見えていた。


「私は向いていないのだろうか…」リリアは再び自問した。オルドサーヴィスの理念を理解しようとするほど、自分自身の弱さに気付かされる。彼女は人を傷つけることが嫌いだった。冷徹さを求められるたびに、彼女の心は揺らいだ。それでも、リリアは自分の使命を全うしようと努力してきた。


夜の静寂の中で、リリアは自身の役割について熟考する。カルロスのような境遇にある人々が再び希望を見出せるように。オルドサーヴィスの秩序維持という大義と、個々の人間の幸福をどう両立させるべきか。その答えは、簡単には見つからなそうだった。


この深夜の内省は、リリアの職務観を根本から変革させる契機となった。彼女の使命は単なる秩序の維持にとどまらず、人々の苦痛を理解し支援することにある。秩序と共感のバランスを取りながら、苦しむ人々を救済する道を探る――それが彼女の新たな使命となったのである。


リリアは深く息を吐き、再びベッドに横たわった。明日からは、この新たな使命を胸に秘めて職務に当たろう。そう決意しながら、彼女は静かに目を閉じた。窓の外では、黄金の平原サテライトの夜が、静かに明けようとしていた。

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