第7話:揺らぐ信念☑

黄金の平原サテライトの夜は、静謐さと緊張感が入り混じる独特の雰囲気に包まれていた。オルドサーヴィスの宿舎、その一室に横たわるリリアの姿は、まるで彫刻のように静かで、しかし内なる葛藤に満ちていた。


窓から差し込む月光は、部屋の隅々まで青白い光を投げかけ、その中でリリアの緑の瞳だけが、宝石のように輝いていた。彼女の視線は天井に向けられ、そこに映し出されるのは、今日知った衝撃的な事実の数々だった。


オルドサーヴィスという組織。それは単なる治安維持組織ではなく、黄金の平原サテライトの闇を牛耳る存在であった。風俗街の経営、孤児院の運営、そしてサテライト統治機構との対立。これらの事実は、リリアの中で長年培われてきた理想と、冷酷な現実との間に深い溝を作り出していた。


「町の人々の中には、私たちのことをよく思っていない人もいる」


ワイルの言葉が、彼女の心に重く響く。リリアは目を閉じ、深い溜息をついた。その吐息には、彼女の心の奥底に潜む複雑な感情が込められていた。


幼少期、オルドサーヴィスの偉い人たちが孤児院を視察に訪れる度に、リリアは憧れの眼差しを向けていた。彼らの堂々とした姿、威厳に満ちた表情。あの頃の彼女は、オルドサーヴィスに入れば、町の人々から慕われ、頼りにされる存在になれると信じていた。しかし、現実は彼女の期待とは大きくかけ離れていた。


リリアは、ゆっくりと体を起こし、窓辺に歩み寄った。月明かりに照らされた黄金の平原サテライトの街並みが、彼女の目の前に広がる。整然と並ぶ建物群、静かに流れる川、そして風俗街の鮮やかな光。この光景は、表面的な平和と繁栄を象徴しているようでいて、その裏には複雑な事情が潜んでいることを、リリアは痛感していた。


「それもそうよね」と、リリアは自分に言い聞かせるように呟いた。


オルドサーヴィスの運営する大規模な孤児院。その維持には莫大な資金が必要だ。街の警備や護衛だけでは、とてもまかないきれるものではない。裏で行われている様々な活動が、その資金源となっているのは明らかだった。


リリアの思考は、自然と孤児院での日々へと遡った。オルドサーヴィスの視察があるたびに感じた誇りと期待。彼女は、いつか自分もあの偉い人たちのように堂々とし、この町の希望となる日を夢見ていた。その記憶は、今も鮮明に彼女の心に刻まれている。


しかし、今やその夢は、現実の厳しさの前に霞んでいた。偉い人たちの背後に潜む闇と、彼らが背負う重荷。それらを理解し始めた今、リリアの視点は大きく変わりつつあった。


彼女は再び宿舎の一室に戻り、薄暗い天井を見上げた。オルドサーヴィスが持つ二面性。その中で、自分はどう生きるべきなのか。孤児院での思い出が胸に去来する中、リリアは自分自身の道を必死に模索していた。


「信じるもののために、どう行動すべきか――」


この問いが、リリアの心の中で絶え間なく反響していた。しかし、まだ答えは見つからない。彼女の心は、理想と現実の狭間で揺れ動いていた。


翌朝、オルドサーヴィス本部の廊下を歩くリリアの足取りは、昨夜の思索の重みを反映するかのように、少し重かった。重厚な石造りの壁に囲まれた廊下は、組織の長い歴史と威厳を物語っているようだった。


そんな中、リリアの耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。それは孤児院院長ダルシアの声だった。リリアは一瞬躊躇したが、ワイルから聞いた話の真相を確かめるべく、意を決して声の主に近づいた。


「ダルシア様、少しお時間をいただけますでしょうか」


リリアの声は、できる限り平静を装っていたが、その緑の瞳には緊張の色が滲んでいた。


ダルシアは一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに微笑みを浮かべた。「リリア、どうしたのだ?何か困ったことでもあるのか?」


リリアは一歩前に進み、真摯な眼差しでダルシアと向き合った。「ダルシア様、オルドサーヴィスとサテライト統治機構との対立について教えてください」


ダルシアの彫りの深い顔に、わずかな驚きが浮かんだ。しかし、リリアの真剣な眼差しを見て、彼は理解を示すように頷いた。


「リリア、君には見込みがある」ダルシアは優しく微笑んだ。「オルドサーヴィスの運営には、正義をなす折れない心と理想が必要だ。しかし、時には非情な決断を下すこともある。その意味で、絶対的な正義とは言えない組織だろう」


リリアは真剣にダルシアの言葭葉に耳を傾けた。彼女の心には、オルドサーヴィスの厳しさと理想の両面が映し出されていた。


「確かに、オルドサーヴィスはサテライト統治機構と小競り合いを起こしたことがある。統治機構にとってオルドサーヴィスは目障りな存在だ。しかし、統治機構の潔癖なやり方では、この黄金の平原サテライトの治安を十分に維持することはできない」


リリアは息を呑んだ。彼女の心は不安と期待で揺れ動いていた。


ダルシアは重々しい口調で語り続けた。「まず、オルドサーヴィスが孤児院を運営しているのは、純粋な慈善のためではない。いくつかの目的があるのだ」


リリアは黙して聞き入った。


「第一の目的は、君のような優れた武力を持つ者を選別することだ。我々は優秀な才能を持つ子供たちを見出し、育成している。そして、彼らは将来、オルドサーヴィスの重要な役割を担うことになる」


リリアは静かに頷いた。彼女自身もその一例であった。


「第二の目的は、風俗街で稼げる子供たちを見出すことだ。風俗街部門の幹部たちは容姿や才能を評価し、風俗街での働き手として育成する。そして、その結果得られる利益を組織の運営に充てているのだ」


リリアはその言葉に心を痛めた。孤児院にいた頃、あの子は養子として貰われていったと説明を受けたことがある。その中の少なくとも一部は風俗街へと向かったのだろう。もしかすると、全てかもしれない。かつての仲間たちの顔が脳裏に浮かび、彼らの運命に思いを馳せた。


「第三の目的は、風俗街での行為によって生まれた子供たちを養育することだ。彼らは孤児院に引き取られ、育てられる。そして、成長すれば再び同じサイクルに組み込まれるのだ」


ダルシアの言葉には冷徹な現実が含まれていた。リリアはその全てを受け止めながら、深い溜息をついた。


「黄金の平原はサテライトのほぼ全域で高低差が少なく、外部から侵攻があったときに非常に守りにくい地形をしている。だからこそ周囲を圧倒できるだけの実力が必要となる。オルドサーヴィスがこのサイクルを回すことによってのみ、研ぎ澄まされた精鋭部隊が醸成される。力を有しているが故に外圧に屈さずにいられる。これが、オルドサーヴィスと、ここ黄金の平原サテライトの真の姿だ」ダルシアは静かに締めくくった。


リリアはその場に立ち尽くした。彼女が信じてきた秩序、その裏に隠された暗い真実。内なる葛藤と向き合う中で、リリアの心には新たな決意が芽生え始めていた。この現実を受け入れつつ、自分なりの正義を貫く道を見出さなければならない。それが、彼女に課された試練であり、同時に使命でもあった。


黄金の平原サテライトの空には、夜明けの光が射し始めていた。新たな一日の始まりと共に、リリアの心にも、未来への希望が静かに灯り始めていたのだった。

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