第5話:秩序の守護者☑
見習い期間である半年の歳月が流れ、リリアは正式にオルドサーヴィスの一員となった。厳格な新人研修を経て、彼女は秩序行使業者としての職務に就いたのである。新調された制服は、まるで彼女のために仕立てられたかのように完璧に適合し、胸元に輝くオルドサーヴィスの紋章は、彼女の誇りと使命感を象徴するかのように煌めいていた。
過酷な訓練期間を回顧すると、リリアは自身の成長を痛感せざるを得なかった。日々繰り返された肉体訓練は、彼女の身体を鋼のように鍛え上げ、戦術講義は彼女の思考を研ぎ澄まし、実戦さながらの模擬戦闘は、彼女に実践的な知恵と冷静さをもたらした。さらに、オルドサーヴィスの構成員として必要最低限の教養と実学に関する教育も施され、これらの経験が複合的に作用し、現在の彼女の力の源となっていた。
この日、リリアに与えられた任務は、黄金の平原サテライトの心臓部とも言える中央市場の巡回であった。黄金の平原サテライトは、その名の通り、広大な黄金色の草原が広がる美しいサテライトである。その中心部に位置する中央市場は、サテライト全体の経済活動の中枢であり、同時に多様な文化が交錯する場所でもあった。
リリアは、足元の石畳を確かめながら、先輩であるワイルと共に市場内を進んでいった。石畳は長い年月を経て磨き上げられ、その表面は滑らかで、歩く者の足を優しく受け止めていた。市場は活気に満ち、多くの人々が行き交い、色とりどりの露店が立ち並んでいた。新鮮な果物や野菜、繊細な手工芸品、鮮やかな色彩の布地が所狭しと並べられ、売り手と買い手の間で盛んに取引が行われていた。その喧騒は、まるで生命力そのものが音となって響き渡るかのようだった。
巡回の最中、リリアの脳裏に幼少期の記憶が蘇った。この町で過ごした日々、友人や孤児院の教員たちとの温かな時間。彼女の足元には、サテライト特有の小さな黄金色の花々が風に揺れ、遠くには穏やかな青空が広がっていた。その景色は、彼女の心に深く刻まれた風景そのものだった。
「リリア、何か考え事でもしているのか?」隣を歩くワイルが、優しく声をかけた。
「ええ、少し昔のことを思い出していました。」リリアは微笑みながら答えた。その笑顔には、懐かしさと共に、現在の使命感が滲んでいた。
リリアの脳裏には、孤児院での生活が鮮明に蘇っていた。物心ついた時から孤児院にいた彼女は、両親の顔を知らない。院長も親については教えてくれなかったが、それを気にすることなく、リリアは孤児院を第二の家として愛していた。孤児院の仲間たちと共に過ごした日々は、彼女にとってかけがえのない宝物だった。そこでの経験が、今の彼女を形作っていることを、リリアは深く感じていた。
「私がここで生きているのは、このサテライトのおかげです」リリアはそう言いながら、周囲の景色を見渡した。その目には、感謝の念と共に、強い決意の色が宿っていた。「だから、秩序行使業者として働くことで、この場所に恩返しができると信じています」
ワイルはリリアの言葉に深く頷き、静かに彼女の肩を叩いた。「お前のその気持ちが、この場所を守っているんだよ」その言葉には、リリアへの信頼と期待が込められていた。
しかし、その瞬間、リリアはある違和感に気づいた。彼女の胸元に輝くオルドサーヴィスの紋章が、磁石のように周囲の視線を引き寄せていることに気づいたのだ。その視線の質は、単なる好奇心からくるものだけではなかった。中には明らかな敵意を含んだ鋭いまなざしも混じっており、リリアの心に不安の種を蒔いていった。
最初のうちは、自身の過敏な想像力がもたらす錯覚だと打ち消そうとしたリリアだったが、繰り返し感じる視線の重みは、その自己暗示を打ち砕くには十分すぎるほど現実的なものだった。彼女の内なる警戒心は、静かに、しかし確実に高まっていった。
「ワイル先輩、何か感じませんか?」リリアは声を潜めて尋ねた。彼女の目は市場の喧騒の中、鋭く動いていた。その眼差しは、かつての無邪気な少女のものとは明らかに異なり、訓練によって磨き上げられた洞察力を感じさせるものだった。
ワイルは何も答えず、意味深な表情を浮かべただけだった。その瞳の奥には、何かを知っているという確信めいたものが宿っていたが、その唇は固く閉ざされたままだった。釈然としない思いが胸中を駆け巡る中、リリアは自らに言い聞かせた。今は任務中だと。そういうこともあるだろうと、無理やり自身を納得させようとした。しかし、その自己暗示は薄っぺらく、心の奥底で渦巻く不安を完全に打ち消すには至らなかった。
なぜ、こんなにも冷たい目で見られるのだろう?とリリアは内心で問いかけた。その疑問はすぐには解けないまま、彼女の心に重くのしかかっていた。幼少期の記憶と現在の現実が交錯し、リリアの心は次第に複雑な感情で満たされていく。それでも、彼女はこの地を守りたいという思いを強く抱き続けた。
リリアは一歩一歩、確かな足取りで前進しながら、自らの使命を再確認する。私はこの場所を守るために生きている。そして、どんなに困難が待ち受けていようとも、私はこのサテライトのために戦い続ける。その決意は、彼女の全身から滲み出ているかのようだった。
「ワイル先輩、これまでに重大事件は発生したことはあるのですか?」リリアは突如として疑問を抱き、問いかけた。その声には、単なる好奇心を超えた、何かを見抜こうとする意思が感じられた。
ワイルは一瞬の沈黙の後、言葉を選びながら答えた。「些細な諍いなら日常茶飯事だが、重大事件となると話は別だな」彼の声には、長年の経験が滲み出ていた。「ここ数年、特筆すべき重大事件はない。だが、最後に起こった重大事件といえば…」
彼の目が遠くを見つめるように虚空に向けられた。リリアはその視線を追いながら、彼が過去を回想する瞬間を感じ取った。その瞬間、空気が張り詰めるのを感じた。
「あれはオルドサーヴィスが運営する風俗街に、黄金の平原から特務捜査班が立ち入ったときのことだったな」とワイルは静かに話し始めた。その声には、過去の出来事を語る重みが感じられた。「特務捜査班は、風俗街に違法薬物が流通していると難癖をつけてきた。だが、オルドサーヴィスもそこまで堕ちちゃいない。第一、そんなものが蔓延して嬢が働けなくなったら、大損害だ。風俗街はオルドサーヴィスの金のなる木なんだから、どう考えてもありえないんだ」
ワイルは少し苦笑いを浮かべながら続けた。「要するに、特務捜査班はそんなことを承知の上で、風俗街での影響力を欲したんだろうよ。あの時は双方かなりの損害を出して、結局は捜査班が手を引いたが、もうあんなことはこりごりだね」
彼の声には、過去の苦い経験が滲み出ていた。リリアはその言葉の背後にある複雑な感情を感じ取りながら、静かに頷いた。しかし、彼女の心の中では、新たな疑問と不安が渦巻き始めていた。
風俗街の経営主体がオルドサーヴィスであったことを知らなかったリリアは静かに衝撃を受けながら、ワイルの言葉に耳を傾けていた。この街の裏側で何が行われているのか、全く知らなかった。彼女の心は次第に重くなる。その事実は、オルドサーヴィスや黄金の平原の繁栄の裏に隠された暗部を象徴しているように思えた。
リリアの心の中で、理想と現実の狭間で揺れ動く感情が激しくぶつかり合っていた。彼女が信じてきた正義と、今目の当たりにしている現実。その矛盾に、彼女は深い葛藤を感じていた。しかし、そんな中でも、この地を守りたいという思いは消えることはなかった。
市場の喧騒が遠のき、リリアの耳には自身の鼓動だけが響いていた。彼女の前には、これまで見えなかった世界の一面が広がっていた。それは美しくもあり、同時に残酷でもあった。リリアは、この新たな現実を受け入れつつ、自分の役割を再定義しなければならないことを悟った。
夕暮れの光が市場に差し込み、人々の影を長く伸ばしていく。リリアは深く息を吐き、決意を新たにした。彼女の目には、複雑な感情と共に、強い意志の光が宿っていた。この地を、そしてここに生きる人々を守るために、彼女はこれからも歩み続けるのだ。たとえ道が険しくとも、たとえ理想と現実の狭間で苦悩することになろうとも。
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