第9話 うらやましいです

 秋野さんの目の色が変わった。きっと、ここからが本番だっていう意味なんだろうな。その目を見て、僕も自然と背筋を伸ばしていた。隣に立つ沙知もごくりと喉を鳴らしている。


「ふふ。そうはいっても、今日はもうこんな時間ですからね。続きはまた今度にしましょう」


 秋野さんは穏やかに笑ってそう言った。たしかに言われて窓の外を見てみると、もうすっかりオレンジ色に染まっていた。カラスまで「かあかあ」とのんきに鳴いている。


「今日はわざわざ来てくださって、ありがとうございます。もうじき完全下校のチャイムが鳴るはずなので、お二人はもう帰ってください。私も図書室の戸締りをしてからすぐに帰ります」


「そうね。今日はもうこんな時間になっちゃったし。帰りましょう、理玖」


 沙知もそう言っているので、僕はそれに頷いてカバンを背負った。


「……あっ」


 沙知も帰る支度をするためにカバンを手に取っていた、その時。


 秋野さんは短く声を漏らした。


「秋野さん? どうかしたの?」


「ありません。鍵が」


 沙知が尋ねると、秋野さんはそれだけ言った。って、ええ!? このほんのちょっとの時間に、図書室の鍵がなくなったって言うの!?


 僕はびっくりして、沙知と仲良く目を見合わせてから「ええっ!?」と叫んじゃった。慌てて口を押さえて、でもやっぱり人は僕たち以外にはいなかったのでほっと胸をなでおろす。


「私が図書室に来たときは、たしかにここにおいてあったんです。この目でしっかりと見ました。それなのに、ちょっと目を離した隙になくなっている……。やっぱり、本当にいるんでしょうか」


「い、いるって、何がよ……?」


 沙知が声を震わせて秋野さんに尋ねた。何がって、聞かなくてもわかってるんだろうに。どうして聞いちゃうんだ、沙知……。


「それはもちろん、決まってるじゃないですか。ゆうれ……」


「ああああああああ!!!! な、なんて言ってるのかしら!? 私にはさっぱり分からないわ。ええ、そうまるで英語みたいに聞こえるもの! ゴメンナサイ、ワターシハ、エイゴワカリマセーン。 っそ、そんなことより早く帰りましょう! 何か出たら怖いわ!!」


 沙知は耳を両手でふさいで、目をぎゅっとつむって、早口でまくし立てた。途中カタコトでしゃべっているあたり、本当に幽霊を怖がっているんだと思う。沙知ったら、大げさだなあ……。


「はぁ、分かりました。鍵はないですが、司書の山崎先生に報告だけして今日は帰りましょう」


 秋野さんは仕方がなさそうにうなずいて、自分も帰る支度を始めた。隣で沙知が、ほっと息をついたようだった。




「ねえねえ、秋野さんのこと、美鈴ちゃんって呼んでもいいかしら?」


 三人で職員室に向かう途中、沙知が秋野さんに尋ねた。秋野さんは少しびっくりしたように「えっ」と声を漏らす。もしかして、名前で呼び合うのに慣れていなかったりするのかな。


「は、はい。私は全然かまいませんよ」


「もうっ、かたいわよ? 私たち同い年なんだし、敬語なんて使わなくていいのに」


「そっ……そんなこと急に言われても、すぐには、直せないです……」


 秋野さんはすっかり沙知のペースにのまれているみたいだった。たしかに沙知は人とすぐに仲良くなるんだよね。


 小学校のころから、新しいクラスになってもすぐ誰とでも仲良くなるような子だった。僕にはない特技だから、うらやましいなってちょっぴり思ってる。本人にはこんなこと言えないけどね。


「すぐには、っていうことは、時間をかけて敬語じゃなくなるってことよね?」


「ええっ。えっと、まあ、はい。努力します……」


「ふふふっ。ありがとう、美鈴ちゃん!」


 沙知は秋野さんににこっと笑いかけた後に、何かを思いついたみたいな顔をした。


「図書室の事件を解決し終わったあとも、美鈴ちゃんのクラスに遊びに行っていいかしら?」


「は、はい。それはもちろんです。……私、まだ新しいクラスになじめていなくて。友達も少なくて。だから綾森さんみたいな人がうらやましいです」


 秋野さんは少し寂しそうな顔をしながらそんなことを言う。僕も彼女と似たようなタイプだから、その気持ちすごくわかるなぁ……。


「綾森さんじゃなくって、沙知、ね? 私たち、もう友達なんだから。それに私は、憧れられるような人でもないの」


「え?」


「ふふ。まあそれはいいわ。あ、理玖! あなたも美鈴ちゃんのこと、『秋野さん』だなんて呼ばずに名前で呼びなさいよね? それに美鈴ちゃんも、私たちのこと名前で呼んでちょうだい! 仲良くなるコツは、名前で呼び合うこと!」


 僕も秋野さんもびっくりして、お互いに顔を見合わせる。「巻き込まれちゃったね」なんて顔を二人でしながら笑いあった。


「そうだな。じゃあ美鈴、って呼んでもいいかな」


「は、はい! それじゃあ私は、理玖くん、と呼びます……!」


「えへへ、これでよしっ! 綾森探偵団、ここに結成よ!」


「お~! って、え?」


「え? って、え??」


 僕は沙知のセリフに思わず「お~!」なんて返しちゃったけど……。綾森探偵団って、なんだ……?


 沙知は僕の「え?」に「え??」と返して首を傾げたりしている。


「探偵団って……?」


 秋野さん……じゃなかった、美鈴が沙知にそう尋ねた。すると沙知は満足げにこう言ったんだ。


「私と、理玖と、美鈴ちゃんの三人で結成された探偵団よ! 結成記念日は今日ね!」


 にこりと満面の笑みを浮かべる沙知。美鈴は「えっ……?」と本当に驚きを隠せないでいる。


「わ、私も探偵団に……?」


 おそるおそる、という感じで美鈴が声を小さく出すと、沙知のほうも「何言ってるの?」みたいな顔で


「あったりまえじゃない! 美鈴ちゃんも、我が探偵団のメンバーよ! だって、一緒に図書室の謎を解決するんだもの。助け合う仲間よ!」


「え、ええええええええええええええええ!?!?!?!?!?」


 美鈴の甲高い叫び声を追いかけるみたいに、校内に完全下校のチャイムが響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る