第40話
受付で少しばかり驚かせ過ぎた私は、同行者を面白がらせてしまったらしく、一緒に会場入りすることになった。当初は別行動をする予定だったのに、「もう少しエスコートしなさい」と言われてしまえば、拒否などできようはずもない。
ただ、私では彼女を扱いきれないのだけれど……
「そうも言っていられないか」
「何か言ったかしら?」
「はい、気持ちを整えていました」
「あなたでも落ち着かなくなることがあるのね」
「そのように評価していただいて光栄です。ですが、未だ若輩の身。御指導頂ければ幸いです」
夫人はニコリと微笑むと組んでいた腕を強く引き、私にだけ聞こえるように言う。
「グレース、甘さは捨てなさい」
「……はい、心します」
ほら、厳しい……
下見をした時に気づいたのだけど、会場となるメインホールまでは少しの通路がある。来賓のアナウンスが響き、楽団の演奏が変わる。歩く時間を計算され、扉が開かれるのを待たせないものになっているそうだ。つくづく貴族というのは時間を無駄にするのを惜しむ人種らしい。
今回は卒業パーティーという学生主体の催しのため、通路は来賓者が待機する場所となっている。
私達の入場は、アナウンスなどない身内のもの。会場内で多少のざわめきがあっても失礼にならない者から入ることになっている。この場には私達以外にも複数の貴族がおり、夫妻で来ているものもあれば、兄弟姉妹のように連れ立ったものもいる。その中の一人は目が合うとぎょっと見開き、私達を追い抜いて最前列に並ぶ。他にも気づいた貴族達は我先にと追い抜いていく。初めは私の悪評でもあるのかと思ったのだけど、違った。皆は夫人を見て血相を変えたのだ。
「お祖母様、お心当たりが?」
「疾しい事がなければ、前だけ見ていればいいのよ。あなたみたいにね」
同い年の従姉妹カタリナ・ランデンベルク。その祖母であるオリヴィア・ランデンベルクは即ちグレースの祖母でもある。御歳六十二歳のお祖母様は背筋もしっかりと伸び、私よりも女性らしい身体つきを残している。女当主でもあるお祖母様は、鋭い目付きを向けるだけで辺りを威圧する。快不快を表すのなら、確実に後者ね。
ゲームでは登場せず、グレースからも注意を受けることはなかった人物。なのに、その正体を知れば、貴族達の慌ただしい動きも理解できようというもの。
女郎蜘蛛の会の後、カタリナは覚悟を決め、私のことをお祖母様に話をした。お祖母様は領地を立つと、孫の顔が見たいとローゼンベルク家に訪れる。それもパーティーに向かう、出発の直前。選択肢を無くすために合わせたらしく、私に拒否は出来なかった。そしてお祖母様とは学園まで馬車の中で語り合い、今に至る。
「前が空きました。参りましょう」
「孫娘の晴れ舞台、見せてもらおうかしら」
「はい。御期待に沿うことを御約束致します」
私が一歩を踏み出すのに合わせてお祖母様も足を伸ばす。二歩目は遅いとばかりに引き寄せられ、三歩目で主導権を取り戻す。目を合わせば、鋭い眼光はただ見ているだけではないと私をも威圧する。
このやり取りだけでこれからの相手程度、とても苦労するなんて思えなくなる。お祖母様に感謝ね。
◇◇◇
『グレース様!?』
私が入場するといっそう騒がしくなったあと、深く沈黙が下りた。
コツコツと床を突くヒールの音だけが辺りに響く。まるで誰も息をしていないよう。楽団も雰囲気に飲まれて演奏を止めてしまっている。
コーデリアに来賓の舞台まで案内され、数百もある目を受け止める。喜色を浮かべる目、片時も離さないと見つめる目、敵意を向ける目。だが、ほとんどは驚きを処理しきれず、戸惑っている。そんな彼等の前に立ち、軽く頭を下げた。
しばらく待っても、会合のように私を慕う生徒達が近く寄ってくることはなかった。そのことに満足を覚えると、思わず笑みが浮かぶ。
「御卒業された皆さま、今日という日を迎えたことを、心から祝福致します。この学び舎での日々は、皆にとって何よりも大切な糧となったことでしょう。その知識と経験を携え、これからの人生においてそれぞれが咲かせる花は、いかなる庭にも劣らぬ輝きを放つと信じております。しかし、決して忘れないでください。真の高貴さとは、血筋や地位に縛られるものではなく、その心と行動に表れるものです。これからの道を歩むにあたり、他者への思いやりと強さを持ち合わせた真の貴族たれ。私もまた、皆がどのように世界に羽ばたき、その翼を広げてゆくのかを楽しみにしております。一つ一つの歩みが、未来の栄光へと続くことを願って。皆に、最大の栄誉と祝福を」
今度は沈黙ではなく、盛大な拍手が返された。だけど、コーデリアの苦笑いはどうしたことかしら。
来客としての役目を終え、拍手を浴びた私はこの場から離れようとして、コーデリアに腕を取られ横に並ばれる。
「グレース様、心より感謝申し上げます。このようなお言葉を賜るとは、想像もしておりませんでしたので、感激のあまり心が震えております。思い返せば、グレース様は卓越した成績を収められながらも、常に控えめでいらっしゃいました。ですからこそ、今日のこの貴重なお言葉は、在校生にとっても計り知れない価値を持つものです。皆さま、どうぞもう一度、盛大な拍手をお送りくださいませ」
盛大な拍手の裏で、こっそり指でつねられる。なんとか顰めないように犯人に顔を向けると「これで許してあげます」と小さく囁かれた。どうやら私の言葉はやり過ぎだったらしい。
思っていたのとは違ったものの、コーデリアにエスコートされて舞台袖に降りてみれば、お祖母様がニコリと微笑んでくれた。最良ではなく、良と言ったところかしら。そこに集まってきたのは、ミスティアとカリーナ、そしてカタリナだった。
「お、お祖母様! 挨拶に行くだけじゃなかったんですか!?」
「何を言ってる、カタリナ。あなただって私の孫娘。卒業パーティーに顔を出すぐらいおかしなことじゃないでしょう?」
「いえ、ですが、お祖母様が参加されたら……」
あたりを見ればわかる。本来なら来賓席になっている場所に、大人が誰もいない。誰も近寄ろうとしないのだ。
遠巻きに集まるのも事情を知らない生徒ばかり。中でも真っ先に声を掛けたのはミスティアだった。
「お初にお目にかかります。私、教会で聖女をしております、ミスティア・ラファエリーニと申します。カタリナ様のお祖母様と言うことは、グレース様のお祖母様でいらっしゃいますか?」
丁寧な対応にお祖母様の相好が崩れる。そうしてお互いに自己紹介が始まる。それが貴族としてのマナーのはずだった。
「そう、私は——」
「グレースッ!!」
言葉に怒りを乗せるのはもはや礼儀さえ失っている第三王子。その美麗な笑顔はついぞ私に向けられることはなく、いつにもまして憤怒を示す。何か理由が——あぁ、そういうこと。やってくれたわね、コーデリア。
「どうかなさいましたか、ニールセン殿下?」
「どうもこうもない! 今更出てきてあの言葉はなんだ。貴様! 何様のつもりだ!」
推測通り、私の祝辞はコーデリアだけでなく、ニールセンの言葉をも軽くしてしまったらしい。もしくはまだ口にしておらず、私の後に語ることもできない程度だったのかしら。盛大な拍手を受けた私が気に入らないのね。
「何をご立腹されておられるのかわかりませんが、今日の私はお祖母様のエスコート役。登壇させていただけると聞きましたので、一言お祝いを申させていただきました。少しばかり長くなってしまったかもしれませんが、お赦しいただけますでしょうか」
軽く頭を下げればそれだけで自尊心が満足できたのか、怒りが収まり口元が歪む。そして見下すように鼻で笑う。
「そうだろうな。おまえは卒業できなかったが故に、ここに入るには同伴者となるしかなかった。侯爵家に属する者が、無様だな」
「……なにが仰りたいのですか?」
「そのままだ。学園を卒業できなかったお前を、陛下が認めることはないだろう」
たっぷりと時間を置いて、自分の言葉が周りに伝わっていくのを満足そうに頷く。
「俺に忠誠を誓え、そうすれば卒業の資格が得られるようにしてやる。学園長とも話はついている」
「学園長と……」
「そうだ。学園長は退学者を出したくないそうだ。それが自主的なものであってもな」
そんなはずはない。昨日話した時には手続きに代理人は認められず、事由書、もしくは詫び状が必要となると説明された。それを書くことがグレースにできていれば、私は卒業生側にいたはずなのだ。グレースの謝罪はそんなに安いものではない。
何より、もう一度促されても私は断った。だからこそ、学園長は惜しいと言ってくれたのだ。それが規則を変えてまで対応するとは思えない。ただのハッタリ、私に不正をさせようという魂胆が見え透いている。
「お断りします。殿下に向けるのは義務だけであり、忠義を必要としません。求めるのであれば提示するのは不正ではなく、正義をお示し下さい」
「俺が不正だと!? 義務だと! よくも言ったな! 良いだろう。どちらが不正か見極めてやる! 査問を始める、カール準備しろ! シル! ザック! ライト! 邪魔が入らないよう見張ってろ」
「ああ、グレース様! どうか、ニールセンに赦しを求めてください! 今ならきっと赦してくださいます!」
ニールセンを止めるように抱き着くリアナ、涙を浮かべてまで庇う姿はスチルで見たままだ。
ふと奇妙な感覚に襲われた。忘れそうになるけど、この世界はゲームのシナリオに沿っている。ニールセンの「査問を始める」の件からリアナの「きっと赦してくださいます!」までは定型の文章。選択肢によって言葉は変わるものの、至る場所は同じ。今から思えばひどく懐かしい。これからがグレースの断罪イベントだ。
裏方で働いている補正プログラムが頑張ってここまで導いた。あのふざけた四人のアバターが私をここに連れてきた。オラクルとのシミュレーションはこの時のために繰り返した。今、全てがここに結実した。そのことがどうしようもなく嬉しい。
後は私が役割を果たすだけ。シナリオを超えたエンディングを目指して。
「お集まりのみなさま、私は私自身が成したことに不正や不義理、ましてや学園の規則に悖る行為はしておりません」
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