第39話

 ゴトゴトと揺れる馬車の中では舌を噛まないよう、普段は口を開くことは少ない。それなのに、隣に並ぶ赤毛の子は揺れるタイミングがわかっているように苦も無く喋り続ける。それはこれから向かう先が楽しみだからではなく、私の機嫌を取るため。


「アディ、そんなに拗ねるんだったら、初めから設営側を選べば良かったじゃない」


 イヴリンは、まったく悪びれた様子もなく、昨日の話をしてくれた。最初はただの雑談だと思っていたし、いつものようにトラブルの付添いになるのかなぁと聞き流したくとも、流せない話に耳を傾けていた。それもグレース様の名前が出るまで。

 会場の準備中、突然グレース様が現れ、手伝おうとされた。それを寄って集って賛成したり断ったり、困らせたりして、笑い合って楽しく過ごしたそう。そして、イヴリンに至っては一人で話す時間が作れたらしい。グレース様が一人になることは多くない。女郎蜘蛛の会は常に複数の人がいた。だから先日の会合では一人ずつ抱き締められて満足していたはずだった。そのことでさえ物足りなく感じてしまうほどに……嫉妬してしまった。


「アディ、アドリエンヌ・フォルティア。いい加減に諦めなさい。あの方は誰か一人のものにならない。専属の侍女でさえ居ないのよ。妹御のリトル・グレース様は人を多く使ってくださるから、まだそっちの方が可能性はあるのに……それに、あなたと同じような子はいっぱいいるの、知ってるでしょ?」


 そこからはいつもの説教だった。グレース様は侯爵家の令嬢、そしてとても人気が高い。今までは学生の身分だったから社交には出られなかったけど、これからは引っ張りだこになるのは間違いない。お茶会の催しともなれば、どれほど競争率が高いことか。グレース様主催の女郎蜘蛛の会はもう開かれない。お茶会の約束はあっても、いつ催されるかわからない。位の低い子爵家では侯爵家の貴人をお茶会に招くことも烏滸がましい。

 だから彼女は言うのだ。


「フェルニア王国へ嫁がせれば良いのよ」


 元々クレメント家とフォルティア家はフェルニア王国の貴族。モンティニ公爵家アリシア様がエルドリア王国の王太子妃に迎えられた際、二つの家は帰属を変えた。外交官を通さずに両国の仲介をするためという建前であるが、所謂、足枷でもあり、密偵でもある。現状は両国に不和を招く要素はないが、国家間に永続的な友好関係は無い。子か孫か、それとも曾孫の世代には状況が変わって統一されるかもしれない。結果、どちらが上に立っても二つの家は役目として滅ぼされる。それ故に、フェルニア王国では直言が許される立場を得ている。だからこそ、元の母国に頼ればグレース様は迎え入れられるだろう。外国であるフェルニア王国で頼るべき貴族がいなければ、私が側付きになれる可能性も高まる。

 婚約者であるニールセン殿下はもはやグレース様を顧みない。その事に気付いていない者は皆無。グレース様は他国に嫁ぐべきだ。イヴリンは私にそう囁く。その身が傷付く貶められることなく、栄華を保つにはそれしか方法がない。他国から望まれれば、その待遇は最上級で迎えられる。文句無しじゃないの、と。

 イヴリンが話す機会を得て、グレース様をフェルニア王国に誘ったが、やんわりと断られたそうだ。そして私にもグレース様を誘うように指示をする。それはアリシア妃殿下からの依頼命令でもあった。

 私は彼女の言葉に、喉まで出かかっていた言葉を辛うじて飲み込むことができた。


 馬車から降り、会場に向かう道には人集りができていた。両脇には高さの併せられた鉢植えが間断なく並び、この時期に満開になるように育てられた色とりどりの花が目を楽しませてくれる。その奥にはいつもは厳かな講堂が、この日ばかりは豪奢に飾り付けがされていた。その華やかな道を在校生の自分達が歩いていいのだろうかと、多くが足を止めてしまっていた。


「イヴ? 随分と派手だけど、これじゃ卒業生が目立たないんじゃない?」

「こんなの昨日帰るまではなかった。きっとコーデリア様の仕業ね。を抑制したかったんじゃない?」


 卒業パーティーの総責任者コーデリア様。シャルマント侯爵家の令嬢にして、私達三回生の総代、そして新たな生徒会長でもある。グレース様の一派が特別成績優秀者として上位を総なめして以来、成績を誇る女生徒が増えた。中でも一つ下の学年では彼女が単独の一位。当然生徒会にも勧誘され、これまで下支えに尽力した。それは言うまでもなく、勝手な行動を取り続けた彼等を側で見続けてきたということ。本来二年で代替わりする会長職を、催事を成功させたことを理由に三年にも渡り専有した。僅かにでもあった実績は、先代や彼女の支え、そしてあの方の助力があってのもの。その実態を知るのは生徒会だけではない。そして最後の引き継ぎでさえ、途中で切り上げ、女郎蜘蛛の会に乱入したことで彼等の評価は決定的になった。 

 引き継ぎの場に居たコーデリア様前回参加者の怒りはどれほどのものだったのか、想像するだけでも恐ろしい。


「卒業生を待たせるつもりですか? 早く配置に着きなさい」


 コーデリア様の一声でばたばたと生徒達が動き始める。珍しい花に魅入っていた女生徒は後ろ髪を引かれるように何度も振り返り、終わったら持たせると約束されてようやく前を向いて進んで行った。


「ほら、やっぱりね」

「コーデリア様も侯爵家の御令嬢だもの」


 飾り付けのセンスで人を引き込み、翻弄する手口は私では到底及ばない。あの女生徒はこれから一年間扱き使われることだろう。


「だから不思議に思ってたんだよね」

「何がよ?」

「同じ爵位の御令嬢なのに、グレース様はどうして蟄居を受け入れたり、あの人達から距離を置いただけで何もしなかったのかなって」


 女郎蜘蛛の会が始まる前から、グレース様は有名だった。なにしろ、第三王子の婚約者なのに側に付く彼女を護りこそすれ、人前で咎めることをしなかった。身内だけで行われるお茶会では叱責があったそうだけど、それも数回といった程度。どうして直接排除という手段を取らなかったのか。侯爵家から見れば子爵家なんて、爵位の剥奪すら可能なほど根回しはできただろうに、今もって考えが及ばなかった。


「それが分かっていたら、あの四人の中に入れていたわ」

「だから、諦めなさいって……」

「話を振ったのはイヴじゃない」


 グレース様の側に立てるのは、常に学年主席でもある聖女ミスティア様、秘書のようなカリーナ様、王女殿下の侍女になったフェリシア様、そして義妹となられたリトル・グレース様だけ。女郎蜘蛛の会では準備会のメンバーが並んでいたこともあったけれど、ごく短い期間だった。彼女達の中ではどんな話があったのか、妄想が膨らむばかり。私達が帰された後も、最上級生だけで会が続けられたと聞く。その場も秘密とされ話は溢れてこない。全くもって密偵失格。唯一知らされた秘密といえば、あの方の名が——


「そこの二人! イヴリン! アドリエンヌ! やる事がないのなら、手伝わせてあげる。こちらに来なさい!」

「げっ!? 早く来たのに、意味がなくない!?」

「流行を見学するのは開場してからね」


 ぐずぐずしていると、再びコーデリア様から声が飛び、無作法にならないよう慌てて駆けて行った。


◇◇◇


「ご卒業おめでとうございます」

「ありがとう存じます。出迎えてくださって嬉しいわ」

「ありがとう。残る君達も励んでくれたまえ」

「はい! この度は、ご卒業おめでとうございます!」


 受付に回された私達は何度目かになる挨拶して、卒業生の胸にコサージュを付けていく。男性には薄い黄色、女性には薄いピンクの花が贈られる。受付に来る二人組は殆どが約束を交わした者、そして身内である場合が多い。祝いたいのは生徒達ばかりではないのだ。入場の順番として子爵家から始まり、次に伯爵家となる。同じ爵位でも後から現れる方が有力者であるらしく、ここでも勉強になる。

 ただし、私達の担当は子爵まで。それ以上は爵位が上の生徒が応接する。私達では上位の貴族方には相応しくないという理由からだ。それが嘘であることは知っている。受付では名前を確認し、挨拶を交わし、ドレスやスーツにコサージュを着ける役。最も気を遣うため、本来なら自ら務めたいと思う方が稀。けれど、今日ばかりは違う。誰があの方の胸に付けるのかを競い、最初に私達を外した。だけど因果応報、彼女達は後から現れたコーデリア様に最後は私なのねと言い切られて、頷くしかなかった。

 交代の前にカリーナ様とミスティア様が現れ、私達はお二人にコサージュを贈ることができた。同時に会場への案内役に任され、受付の役目も終える。お二人はそれぞれ待ち合わせたわけではなかったけれど、途中で一緒になったそうだ。グレース様が来られるのが楽しみねと言われたので、私も待ち遠しいことを伝えさせていただいた。


 いつしか伯爵家の卒業生が途切れ、彼等が現れた。ニールセン殿下と、その腕を取るリアナを先頭とした小集団。後ろにはカルフェス様、シルヴィス様、最後尾にはアインザック様が並ぶ。主従を考えれば来場の順番としては正しいもの。けれどその威容はこれまでになく厳格な雰囲気を纏わせていた。男性四人は同じように作られた青色の衣装を纏い、リアナだけは艶のある白いドレスに大きな青いブローチを身に着ける。これは結婚式か、それとも爵位授与式のつもりか。今まで見せてきた姿とは全く異なるその振る舞いを見せられて、コーデリア様は肩を震わせていた。


「ニールセン殿下、ご卒業おめでとうございます」

「ああ、コーデリアか。今日はよろしく頼む」

「はい。他の方々も、ご卒業おめでとうございます」


 顔に笑みを貼り付けたままのコーデリア様は殿下の前から動こうとせず、リアナのコサージュは私が着けることになった。他の男子生徒達には、このためだけに用意されていた男子生徒が着けている。本来なら女生徒の役割だったけれど、生徒会での女性を寄せ付けない振る舞いを知っているが故にそのように指示になった。


「結局、グレース様は何もしてこなかったね」

「今更何かあっても遅い。リアナは何も心配することはないさ」

「ありがとう、ニールセン。皆も今日はよろしくね」

「勿論です」

「問題ありませんよ」

「何があっても護る、安心しろ、リアナ」


 人が聞いているというのに、まるでここには自分達以外誰もいないかのように振る舞うさまは、奇妙を通り越して恐怖を感じる。イヴリンが言う、グレース様が彼等と距離を置いた理由は正にこれではないだろうか。

 今も周りからは王家の者に向けるものではない視線に晒されている。なのに全く気付くそぶりがない。いえ、気付いてさえ無視をしている。それは人を支配することしか考えていないような、そんな未来さえ思い浮かぶ。

 彼等が会場に向かうと盛大な拍手で迎え入れられる。この国では王子であり、派閥の生徒達が媚を売っているからだ。


「……まだ来ないわね」


 注意を引き戻すようにコーデリア様が呟いた。誰のことを言っているのか名前を出さなくてもわかる。私達が待っているのはただ一人しかいない。だけど、このパーティーは強制ではない。よほどの理由があれば参加しないこともありえる。そして、その理由には幾つも思い浮かぶものがある。


 準備に駆り出されている生徒も殆どが会場に入り、間もなく来賓の方々が訪れる時間。

 待ち人は来たらず、それでもいつの間にか受付を手伝っていた。少し息を抜いた頃、それは突然現れたように見えた。後から思えば鉢植えの陰にいたのだと気付けても、あの場にいた私にはまるで人ではない者が降臨したのではないかと錯覚をした。

 その姿が少しずつ近づいてくる。幾度も夢想し、憧れた姿を目に入れても、どうしてもその姿を本人だとは思えなかった。

 コツコツと石畳に音を立てさせ、もどかしい時間が過ぎると、はっきりと顔が見えてくる。

 誰かが「グレース様」と呟いた。やはり見間違いなどではなかった。

 身に纏うのは鮮烈な印象を持たせる、艶のある深い赤色。今は着る人も少なくなったクラシカルなゴシックドレス。裾にはふんだんにフリルが造り込まれ、黒に見えるほどの濃緑が造形を引き締めている。胸元には立体的な薔薇があしらわれ、手首や足元にあるレースの刺繍が華やかに見せる。そして、小さくても存在感のあるボタンは陽を浴び、一つ一つが赤く輝いていた。

 いつもは赤味がある御髪も、今ばかりは鮮やかな金色に見え、穏やかな笑みを浮かべていた瞳は研ぎ澄まされた刃物のように鋭く光る。

 その顔にある小さな唇が薄く開かれると、思いもしなかった言葉が紡がれる。


「御機嫌よう、皆さま。私の席はあるのかしら?」

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