第38話

 王家、王城に巣食う貴族の思惑を垣間見た私は、部下達に対し、別邸の警護を厳重にするよう手配し、私室の護衛は常に二人以上とした。そして今夜は特に誰も近付けないように厳命して部屋に閉じ籠もり、ルーカスから渡された一通の手紙を取り出した。


 それはグレースの名前と共に丸っこい字で「みよちんへ」とエリからの手紙。ルーカスはリアナに治癒されることは断ったが、この手紙だけはグレース宛だと聞かされ受け取っていた。


『グレース・ローゼンベルク様

 みよちんへ


 久しぶり、でいいのかな?

 時候の挨拶とか書けないんで、そのあたりはお許しくださいませ。

 何から書こうか迷ったんだけど、全部書くと長いから、今の状況を書きます。

 リアナは日本語の読み書きできないから、もしミミズがのたくったような文字があったら、リアナが落書きしたものだと思ってね。

 気づいていると思うけど、今の私はほとんど表に出ていません。この手紙もリアナが眠っている間に書いています。

 なんでこうなったのか、色々と思いつくけど、一番の原因はリアナに任せすぎたからだと思う。元々主人公として動くのだからって、オートモードみたいに眺めていたらいつの間にか身動きできなくなってた。でもシナリオも後半だし、残りは卒業パーティーでイベントがあるぐらい。シナリオが一区切りすれば、決まったイベントも無くなるし、自由になるかなって思っていたら、リアナが壊れたの。女郎蜘蛛の会スペシャルの噂を聞いて、我慢できず走り回ってた。参加したくても派閥の誰も招待された人はいなくて、ミスティアに会いに教会に行こうにも、周りから邪魔される。直接グレース様に会いに行こうにも攻略キャラ達が常に居て、ああしよう、こうしようとしつこくするものだから、耐えきれなかったのかな。あの子結構甘えん坊で打たれ弱いの。

 それで今、リアナはグレース様の、みよちんの妹になろうとしてる。理由はすごく邪なんだけど、甘えたいから。包容力のある姉のような、みよちんが欲しいの。だから——』


「叱ってあげてほしい、か」


 この手紙がいつごろ書かれたものかわからないけれど、内容から推測すると女郎蜘蛛の会に乱入してくる前のようね。

 その先の文面には、リアナがどうして私を慕うようになったかが書かれていた。なんのことはない、エリと偽って私の側にいたそうだ。どの出来事だったのかは書かれていなかったけれど、おおよそ想像はつく。

 他には攻略キャラ達の現状。それぞれが抱えていた闇の部分はリアナによって解きほぐされ、恋する執着する男達がそこにいるだけだった。日々を楽しむのはいい、力も振るう相手がいるのなら構わない。ただリアナと一緒に居たいと言うのは盲目にすぎる。当事者達には大事なことかもしれないが、目標を見失った彼らからは軽薄さばかりが目に余る。エリがどのような想いを持って彼らに接しているのか、そこまでは記されていなかった。


 手紙は何度読み返してみても、エリがどうしたいのか、卒業パーティーをどのようにやり過ごすつもりなのかは書かれていない。あの日から随分と時間が経っている。本音を言えば、私の目指すエンディングとどれほどの差異があるのかを知りたかった。

 ないものは仕方がない。だけど、エリ。


「私はそんなに優しくはないわよ」


◇◇◇


 卒業パーティー前日になって学園長から連絡があった。会って話がしたいそうだ。予定にはなかったのだけど、ちょうど良い機会だったので会場の下見を兼ねて挨拶に伺うことにした。


「優秀な成績を納めておるのに、名を残せぬとはなんとも歯がゆいの」

「学園長、これは私自身が望んだことです」


 私の後を引き継いだグレースは、授業に出席するようになった。しかし半年近く蟄居を言い訳に学園に現れず、如何な成績を残したところで教師が良しとするはずもなく、その救済措置も申請しなかった。そのため、学園の規則ではグレースが卒業することは認められないというもの。

 優秀な成績というのも当然だろう。グレースは卒業しないことを十分に理解して、手加減をしなかったからだ。学園からの評価において、グレースは時にニールセンを越え、最上位に就くこともあった。それでも彼の気を引くことは叶わなかった。


 私は惜しむ学園長に幾つか規則を確認して、必要な手続きを教えてもらった。そのお礼に、出来れば卒業パーティーに参加しない方が良いと、助言を残した。

 これまでにあった不穏な雰囲気を感じ取っていた学園長は、渋りながらも頷いてくれた。そして個人的に言葉を贈ると言い、一人だけの卒業式が執り行われ、私の短い学園生活は終わりを告げた。


「グレース様!?」


 飾り付けが行われている会場に少女の声が響くと、瞬く間に私の周りに人が集まって来た。口々に私の名前を呼び、涙を零す姿も見える。卒業の雰囲気はどの世界でも同じようなものなのかしらね。


「皆さん、御機嫌よう。だけど、手を止めさせてしまって申し訳ないわ」


 私の言葉に肯定も否定もあり、注意を引こうと言うのがありありとわかる。それなら手伝わせて欲しいと言うと、「させられません!」と異口同音が重なる。そして僅かな間を置いてそれは笑い声に変わる。


「明日はもう卒業パーティーでしょう。当日は忙しくて会えないかもしれないから挨拶に来たの。これまで楽しく過ごすことができたのは皆のおかげ。準備してくださるあなた達には、感謝しているわ」


 会場の設営に関わっている生徒達は主に裏方だ。一部は明日の給仕も行う。ここにいる生徒達は自主的に参加した者達ばかり。卒業を祝う気持ちを自ら行動にしてくれた。そのことにもう一度感謝を告げると、照れたような笑みを浮かべ、泣き顔を見せる子はもういなかった。

 その後、何度も私の手伝いは断られてしまい、遂には様子を見るぐらいならと在校生の責任者、コーデリア・シャルマントからの許可をもらうことが出来た。ただ、声を掛けると作業が止まってしまうので見るだけと、強く念を押されてしまったのだけど。


「グレース様」


 少し歩いていると、私が一人になったのを見計らうように少女が話しかけてきた。特徴のある赤毛の女の子、名前は——


「イヴリン、どうかしたかしら?」

「えっ!? どうして名前を……?」

「一度でも紹介された子は覚えるようにしているの。先日の会合では会えなかったでしょう。だから気になっていたのよ」


 イヴリン・クレメントの相方にアドリエンヌ・フォルティアがいる。彼女は物腰が柔らかく、それでいて面倒見が良い姉役だった。最初の女郎蜘蛛の会でも、その説明になんの疑いも持たないほど、二人の仲は良かった。

 しかし、先日の会ではアドリエンヌしか姿を現さなかった。そのことを彼女に問い質すことはしなかったけれど、私の記憶ではいつも一緒だっただけに違和感の一つだった。

 イヴリンは頭の後ろを掻き、気まずそうに笑みを浮かべる。その様子はとても教育を受けた令嬢には見えない。


「あはは……覚えられてると思ってなかったので……えーと、ご無沙汰をしております! イヴリン・クレメントです。御相談があります。よろしければ、お時間いただけないでしょうか!」


 あなたの素性がそうさせるのでしょうね。背筋を伸ばし足を揃えて挨拶する姿はまるで騎士のよう。


「ええ、構わないわ」


 だって、私もあなたに会いに来たのよ。


◇◇◇


 卒業パーティーの当日。

 予想通り、ニールセンからは一度も連絡はなく、贈り物もない。おまけに何も言ってこない。すっかり婚約者がいると言う事を忘れているようね。逆にこちらが心配してしまいそうよ。


「お義姉様。その格好はあまりにも地味ではありませんか」

「もうこれで良くないかしら? 私が主役ではないのよ ?」


 ベージュを基本色としたイブニングドレス。色合いからふっくらとして見え、貧弱な体形を目立たせない。シルエットもダンスの練習着をアレンジしたもので、壁の花になるにはぴったりだと思う。

 しかし、リトル・グレースにはお気に召さなかったようで、腕を組んで仁王立ちをする。


「良い訳がないでしょう! 侯爵家の令嬢が選ぶドレスではないわ!」


 私を叱責したあと、グレースはアリアを呼びつけ、直ぐに別のドレスを持ってくるように指示する。

 アリアは教会に連れて行く前に「便利そうね」と言う理由でグレースに召し上げられた。断らせようとしたのだが、同じ年頃の少女に「一緒に勉強しましょう」と言われ、アリアは喜んで受け入れてしまった。


「まったく、エスコートしてくれる相手が居ないんだから、もっとわがままになりなさいよ」

「そうは言ってもね、質素堅実を旨とする私に派手さを求められても困るわ」

「そういうところは自分勝手なんだから。おかげで新しい服も手配が難くなっていたのよ」


 幼い頃から、グレースは大金を使うことを理解していた。彼女に与えられた衣服代だけでもかなり大きな金額になる。今更後悔しても遅いのだけど、貴族なら職人を育てるためにもっとお金を使うべきだったかしらね。

 コンコンコンとドアがノックされて、アリアと複数の使用人が荷物を抱えてグレースの部屋に入って来た。今日の私はグレースの言いなり。シンプルなドレスで部屋に来るように言われたのに、理不尽に怒られても言い返さない。本当ならグレースは卒業することができたのだから。代わりに私の下拵えは彼女に任せると約束した。

 アリアと使用人達が並べていくドレスの中に、見たことのないドレスが一着ある。私の趣味ではないし、注文した記憶もない。しかし似合わないかと言われれば、間違いなく似合うと答えられえる。


「グレース、これは……」

「ええ、お義姉様のために私が作らせたの。今日の役どころには必要なドレスでしょう?」


 これをオーダーしたのは私が捕らわれていた頃。やるべき事はそれこそ山のようにあったでしょうに……だけど、今の彼女は礼を必要としていない。私が為すべきことをしてようやく礼を返せるというもの。

 そのドレスを手に取って大きな姿見の前で見比べる。


「これを着た私はまるで悪女のようね」

「精一杯悪ぶってきなさい」


 よかった。侯爵家のお姫様から許可を得たわ。

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