第37話

 七日ぶりに本邸に戻った私は、別邸に足を向ける前に使用人達に捕まり浴室に連れ込まれた。

 監獄の塔での手入れは最低限のもので、肌に合わせた化粧品もない。そのことに気づいたグレースは、任せっぱなしにして手入れを怠ったことを責め、全てが終わるまで本邸から外に出さないとまで言われてしまった。私の力では使用人から逃げられない。部下達も悪意で捕らえているわけではないので、手を出せずにいる。そこまでしなくともと思ってはいても、口には出せなかった。使用人達からはまるで可哀想な子供を見るようで、それほどまで酷いのかと諦め、されるままに委ねた。


 たっぷり二時間ほど磨き上げられた私は、いつも以上にぐったりとして執務室のソファーに座らされている。これからグレースとの対決だというのに、先手を打たれてしまった気分が拭えない。どこまで優位に持っていけるのか、少しばかり不安が残る。けれど避けられるものではない。


「さくら様」


 対面に座るグレースからは以前のような雰囲気が感じられる。侯爵家令嬢としての自分に戻ったようね。

 だと言うのに、出てきた言葉は私が思いもよらないものだった。


「お迎えが遅くなったこと、申し訳ありませんでした」

「え……?」

「王太子妃殿下に辿り着いたものの、確たる証拠と背景を突きつけられず、推測で動くことになりました。この度の不手際、誠に申し訳ありませんでした」


 何を言われたのかすぐには理解ができなかった。言葉通りに受け取るのなら、グレースは私に対して真摯に謝罪をしている。そのことを証明するように、僅かながら頭を下げている。その様子を目で見てさえ信じられなかった。

 置かれていたお茶を一口喉に流し込んで潤すけれど、まるで味を感じられない。

 再び喉が渇き始める。けれど、二口目を飲もうとは思わなかった。


「ありがとう、グレース。聞けば当日中に尻尾を掴み、翌日には人を動かせる準備が整っていた。三日間待たせたのは、私が部下に謹慎させたことが理由。あなたは十分に動いてくれたわ。謝罪するのはこちらの方よ」

「そう……なら、もう謝罪は必要ないわね。後手に回ったのは全てお義姉様のせいよ。ローゼンベルク家に泥を塗ったこと、しっかりと責任、取ってもらうわよ」

「そうね、その方が貴方らしいわ。安心して、あの塔を使ってまで王家が動いた理由、妃殿下の思惑、全てではないものの手がかりはあったわ。情報の擦り合わせをしましょう」


 ようやくいつものグレースが見られると、なぜだかホッとする。侯爵家のことはグレースに委ねることを前もって決めている。掌握に関しては早いか遅いかだけの違いでしかない。この世界の異物である私よりもよほど彼女の方が必要とされている。それが分かっただけでも、今回の拉致事件は得られたものがあったというもの。

 グレースが頷くのを見て、私も言葉を続ける。


「リアナとニールセンは侯爵家の乗っ取りを計画している。王家はそれを利用して侯爵家を取り込もうと考えているわ」


 シャルと対峙してから、ニールセンの行動が明確に変わった。それはあの日、リアナに唆されたと言ってもいい。そして派閥の中で従う者、そうでないものを分けた時に思い知ったのだろう。有力な貴族は誰一人として残っていなかったことに。そうなれば公爵家を維持するどころか、領地運営も危うい。

 先に情報を精査していたグレースはもう一つの懸念を口に出す。


「先日の狼藉、一度も招いたことのないリアナがどうして本邸についてあれだけ詳しいのか不思議に思っていたの。ニールが隠れていたのは家中かちゅうしか知らない覗き窓のある部屋。その隠し扉を見つけられたのよ。それだけで怪しいことこの上ない。その後に走り回ったのも含め、見取り図を得て、下見に来ていたことは疑いようもないわ。第三王子ニールセンにしてもそう。お父様不在なら新たに公爵家を認めるより、侯爵家を取り込む方が操れる。王城で囀る怪鳥貴族に唆されたわね」

「アリシア妃殿下は今回の事でわざと王家は過失を作った。うまく取引に使いなさいと言っていたわ」

「まったく、いつの間に妃殿下に気に入られたのかしら。あの美貌の下には、酷く貴族らしいプライドを隠しているのよ。シャンティリーみたいに甘やかせば懐くような方じゃない。配慮するなんて信じられないわ。どうやって誑かしたのよ」


 これまでの私の所業から、そう取られても仕方がないのかも知れない。けれど、決してアリシアには接触も誘引もしたことがない。それどころかこれは彼女の性質を表している。私は「そうではないの」と言って殊更ゆっくりと言葉を続ける。


「王家は私の婚約を解消させ、オーガスタス王太子の側妃に検討しているそうよ」

「……だったら、侯爵家を取り込むには……」


 グレースは言葉に詰まり、そこから先は口にしなかった。なぜならそれは彼女が最も知る方法だったから。


「リアナを侯爵家の養子にして、ニールセンと結婚させる。長幼の序をもって継ぐ権利をとなるリアナとし、侯爵家との婚約は継続するものとするそうよ。私達の意見など聞かずにね」

「ふざけるんじゃないわよ! ローゼンベルク家をただ歴史があるだけの家だと思っているの!? どれだけ王家に尽くしてきたか……やり方こそ褒められたものじゃなかったけれど、それだけ獅子身中の虫を潰してきたのよ。それを今更おもちゃのように取り上げるつもり!?」


 同じ身体を持つだけに彼女の感情はよく分かる。ローゼンベルク家が永く侯爵家で居続けられたのは王家に尽くし、後ろ盾になってきたから。幾代もの王に仕え、不足があれば資金を出し、妨げとなる貴族を幾つも滅ぼした。その貢献は計り知れない。それでも国から操られまいとした歴代の当主達は王族を身内に受け入れなかった。王国二番目の地位を然りとし、それ故に他の貴族からは疎まれ続けた。しかし、グレースの母が死んだことで様相が変わる。第二子を望めなくなった当主は第三王子をグレースの伴侶と認め、公爵家を得る事を条件として婚約を認めた。母を失ったグレースと当主の仲は然程良くはなかったが、一族を継承する事は受け入れていた。だからこそ、第一子を侯爵家の当主にすると言う、我が子を失う条件をグレースは受け入れていた。


 そんなローゼンベルク家は王家にとって重荷になっていたのだろう。だからと言って当主が病床に着いたことを理由に勝手をすることが許されて良いはずがない。何より実子であるグレースは生存している。リトル・グレースを知っている者も増えつつある。方針を変えたとして、あと三年は欲しい。彼女が社交に出られるようになれば派閥の形成すら出来たのに、その準備に費やす時間さえない。

 二人きりの部屋の中をふぅと長く息を吐く音がする。


「平民に人気のある妃殿下はこれまで通り振る舞い、あなたが側妃に就くことで、言うことの聞かない貴族はほとんど居なくなる。妻や息子の嫁が慕う側妃を蔑ろにすることはできない。王太子を持ち上げたい王家としては万々歳。しかし妃殿下にしてみれば本当に力のある貴族は側妃の影響で協力することになる。それがどれだけ屈辱的なことか……私、今なら妃殿下と仲良くなれそうよ。そして、平地に波瀾を起こすリアナの台頭も許せない。王妃となってから揉め事の種になるのは目に見えているもの。彼女が動くわけだわ」

「直接言われた訳ではないのだけれど、それはもう酷く睨まれたものよ」


 最初に身の保証しておくべきだったと後悔するぐらいには、対峙するのに心構えが必要だった。これは決して彼女が悪い訳ではなく、都合良く利用しようとしている貴族達が問題。しかし実質的な力をまだ持っていないアリシアは風聞を利用するしかない。未だ今回の事件については公表されていないが、もし伝わるならこうだろう。「妃殿下は貴族に利用されそうになったグレース様を隠そうとした。本当に必要な事なら罪に問われる事も辞さない覚悟だと」

 随分と危ない橋を渡るのだと思っていたのだけど、意図を告げれば協力者になると想定しての行動だったのね。


「あなたが妃殿下の御子を気にしていたのは、そのことに気づいていたから?」

「いいえ。卒業パーティーに来るという不自然さが気になっただけよ」

「そうでしょうね。でもそうなると、薄灯蛾の集いでの会話は不味かったわね。側妃になると知られれば、きっと王子を産むことを望まれるわよ。皆にはあなたの本性はバレていないのだから」

「……迂闊だったわ。あの場では状況を知りたかっただけ。今となっては後悔するしかないわ」


 もし、あの場で全て知っている者が居れば、私は次世代の王位を狙っていると思われてしまう。そんなことになれば、正妃であるアリシアはとても許せることではないだろう。だからこそ焦ったのかもしれない。


「話が漏れていると考えた方が良さそうね」

「構わないわ。本当に大事な話はあなたにしかしていないもの」

「まったく……そういうところよ、さくら」


 よくわからない納得のされ方をしたけれど、意思の疎通には問題がないと押し切られ、話を続けることになった。


◇◇◇


「ルーカス。ご苦労だったわね」

「はっ! グレース様もご無事なようで何よりです!」


 私のことはミヒャエルから聞いているらしく、お互いに無事を確認し合うと、その元気そうな様子に少し安心ができた。それにしても鉄格子越しに話しかけるのはなんだか不思議な気分ね。少し前までは私もそちら側だったのよと言いたくなる。だけど、そんな気遣いはルーカスには不要ね。私とは違って彼がここに入っているのは自分の意志なのだから。

 私が笑みを見せると、緊張していた様子も解れる。


「それで、どれだけの傷を負わせたの?」

「恐らく、顎は砕いたと思うのですが、向こうには癒し手がおりましたから、大したことはないでしょう」


 いい大人が悪びれもせず、まるで悪戯を成功させたように口元に笑みを浮かべる。よほど満足したのね。

 盗賊を抑えていたルーカスは、最も活躍したとして評価を得る立場だった。なのにここにいる理由、それはアインザックを殴って大怪我をさせたからに他ならない。

 リアナ達を襲おうとした盗賊はルーカスに足止めを食らい、騒ぎ立てているうちに逆に強襲を受けた。しかし、すぐさま兵士が駆けつけ、彼らの出番は短い時間で終わってしまう。そのことに不満を覚えたアインザックはルーカスを「グレースの犬」と呼んだ。そして注意を引きつけると「どこにでも首を突っ込む雌犬」とグレースを侮蔑した。その言葉はルーカスを激怒させる。彼は挑発に乗りながらも武器を振るう振りをして、拳で顎を打ち抜いた。

 当然その場は全ての兵士達に目撃されている。挑発したところも、先に攻撃したことも、そして倒されたことも。


 今回私が来ることになったのは、ルーカスの身元保証人でもあり、彼の身の保全のためでもある。もはや未来のないアインザックとはいえ、貴族の子供に手をあげたのだから報復の恐れがある。

 そしてグレースはルーカスのために動かなかったのではなく、動けなかったが正しい。王都に戻ってからも、そのまま解放されてしまえば侯爵家に迷惑がかかるからと、自ら牢屋に入ったそうだ。グレースからはネチネチと嫌味を言われたけれど、今日はこのあたりで許してあげると解放され、ようやくルーカスを迎えに来ることができた。

 本人の状態は自警団と共に現れたミスティアに癒やされたと聞いている。大きな怪我はなくいつでも復帰できるそうだ。

 数度言葉を交わし、雰囲気が変わったことを感じ取ったルーカスは姿勢を正す。


「ルーカス、これまで良く働いてくれたわ。十分な報酬を用意します。それらを得て領に戻るか、再び私に使われるか選びなさい」

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