第36話

 監獄の塔から出るのは意外と簡単なものだった。守護する兵士達は、身分の高い貴族が事情を話せない理由でこの塔に身を隠すものと知っている。それ故に迎えがあれば出て行っても良いそうだ。ならば鉄格子の意味はどういうことかと聞けば、以前にこっそり抜け出した令嬢がトラブルに巻き込まれたので、対策として用意された落書きに書いてあった通りだそうだ。部屋の音は響かないようになっているため、覗き窓のある扉に入れ替え、高さのある窓には鉄格子、遂には隠れられないように間仕切りもなくした。階下には兵士、専属に侍女も用意する。そこまでしてようやく行動を把握することができたらしい。

 そんなお転婆はどこの令嬢だろうかと首を捻っていると、兵士長がある人物だと教えてくれた。そう言えば最上階は王族が使われると説明があったのを忘れていた。血は争えないと言うのはこう言うことね。

 最後にもう一つ、どうして監獄の塔等と名付けられているのか尋ねると、近隣にはその名を出しておけば兵士が警護している塔には近寄らないからだと言う。そして——


「色々と楽しく過ごさせてもらったわ。それから、私の護衛が騒がせてしまったこと、謝罪するわ」

「いいえ、こちらも先達以上の話を残していただき感謝しております!」


 兵士長からは聞き捨てならないことを言われた気がしたけれど、ここだけの話とのこと。伝説を残した私には、先達の事を知る権利があるのだそうだ。嫌な伝統ね。


「グレース様、今度は何をしでかしたんです?」

「黙りなさい、テリー。今日までここで見聞きしたことを誰かに聞いたり話したりしたら、侯爵家から追放するわ。他の貴族にも、兵士にも就けなくしてあげるから、覚悟して口にしなさい」

「はっ! 二度と口にしません!」


 兵士長はあの出来事を言っているのだろうけど、さすがに部下には知られたくはない。だと言うのに、するりと兵士長の横に並んだテリーは親しげに肩を組み、私に背を見せる。


「いやぁ、怖い怖い。普段はあんなに怒る主人じゃないんだけどね。さすがにあんなことしちゃねぇ。兵士長さんは役得だったね」

「いや、私はあの方の――」

「テリー!」

「自分はグレース様は怖くないって説明してるだけですよ。何か聞こえましたか?」


 物は言いようね。真面目な顔をしているのに、口元が緩んでいるじゃない。そっちがそのつもりなら、遠慮はいらないわね。


「そう……グレゴリー、出発の用意を。頼りになるのはあなただけよ」

「光栄ですな。テリーの馬はどうしますか?」

「替え馬に使っていいわ。休みなく戻れば昼には本邸に戻れるでしょう」

「畏まりました」

「えっ!? まだアリアちゃん来てないですよ? 置いて行くんですか?」


 どうやらアリアとメイリアが来ていないことを理由に、私をからかうだけの時間があると思ったようね。時間を早めたことに焦ったようだけど、テリーの意見は一考に値しない。


「問題ありません。昨夕、メイリアには話をしてあります。それにあなたはここに残るのでしょう? 末永くお幸せに」


 どうしても私に相手をしてもらいたいテリーは、アリアに対してまるで口説くように熱心に声をかけていた。初めのうちは真面目に対応していたアリアも次第に好意を隠さなくなり、遂にはテリーの味方をし始める。その事は分かりきっていたので、「テリーの相手はアリアに任せる」と、彼女に芽生えた恋心を利用してしまった。おかげで私は落書きにあった謎解きに集中でき、アリアも楽しく話ができてWIN―WIN。食事が運ばれる頃には仕事を忘れているとメイリアに叱られていたけれど。


「グ、グレース様! 冗談じゃないですか。置いていかないでください!」

「約束を守れない男は嫌いなの。それに言葉を違える貴族は信用を失うのよ」

「そ、そんな……」


 グレゴリーに手を引かれ馬車に乗り込むと、中には半分ほどが私の服で埋まっていた。少しエリックを使いすぎたかしら。

 馬車に近付こうとして辛うじて足を止めるテリーにこう告げる。


「これが最後の許しだと思いなさい。アリアと話をつけてくること。馬は残してあげるわ」


 少し離れたところに、頭を下げる女性と手を振りながら駆けてくる少女の姿がある。何事かを叫んでいるようだけど、届く前に風に掻き消される。


「グレゴリー、途中でエリックと合流します。経路は確認できていますね?」

「勿論です」

「よろしい。では兵士長、もうここに来ることはないでしょう。くれぐれも無駄話は慎むようお願いしておきます」

「はっ! 御方の御無事な帰路を祈っております!」


 やや強張った兵士長に微笑んで返すと、馬車を進めさせる。やがて耳に届いてしまったアリアの声は憂き音のようにも感じられた。


◇◇◇


 一時間ほど馬車に揺られ、木々に覆われた泉に辿り着く。そこは前もってエリックが安全を確保した合流地点。エリック以外にも私の到着を待っていた部下達の顔が見える。けれど、その表情はどれも警戒したもの。自由を得た私を喜んでいるようには見えなかった。

 奥の方からジャリと地面を踏む音が聞こえる。音の発生源に目を向けると、そちらにはもう一台、私の乗ってきたものとは違う馬車があった。その周りを囲む兵士達の顔には見覚えがある。

 足音を立てた人物は真っ直ぐこちらに向かってこようとする。やや距離が近づくと、その人物はほっそりとした、それでいて女性らしい身体つきだとわかる。身に纏うのは街を飛び交う商人達が好む若草色の外套。そのフードの奥には美しい目鼻立ち、そして小さな口。そこにあるのは正に傾国の美女、そのかんばせがあった。


「アリシア・ヴァンデルベルク妃殿下……」

「ええ、御機嫌よう、グレース・ローゼンベルク」


 声をかけられた、それだけなのに纏う雰囲気に圧される。まるで頭を下げるべきは私であると言わんばかりだ。けれど、この場でそんなことは出来ない。私を王都から離れさせた、その元凶が目の前にいるのよ。


「御機嫌よう、妃殿下。まさかこのような場所でお会いするとは思ってもみませんでした。もしや、お出迎えでしょうか」

「さすが賢妃と名高いグレースね。その通りよ。あなたがどんな顔をして現れるかを愉しみにしていたの。お付き合いいただけるかしら?」

「ええ、もちろん。この場で? それとも場所を変えますか?」

「私の馬車へおいでなさい。狭いですが、音は漏れませんから」


 そう言って、返事も待たず、もと来た道を戻り馬車へと入って行った。

 これまでの状況、出迎え、密室への誘い。どれもが怪しく見えて仕方がない。


「グレース様、周りにいる兵士は、もしかして……」

「私を拐かした実行部隊ね。衛兵の装備ではなくなっているけれど、見覚えのある顔があるわ」


 ミヒャエルが小声で話しかけるのに答えて返す。彼らの装備が違うことは色々と想像がつけられるけれど、まず間違いない。この短時間で配置換えされたと考えるより、元から兵士だったのではないかしら。どちらにしろ、子飼いなのは変わらないのでしょうけれど。

 両脇を部下達に護られながら馬車に着くと、ミヒャエルを呼んだ。


「私直属の部下であることに誇りを持ちなさい」


◇◇◇


 アリシア妃殿下の乗る馬車を見送っている私の側にミヒャエルが並ぶ。


「行かせて宜しかったのですか?」

「相手は王太子妃殿下よ。当主代行を名乗っているとは言え、無位の令嬢が相手できる方ではないわ。でも、十分な補償は取り付けた。目的もわかったし、敵対する必要はないのよ」


 集まってきた部下達はそれだけでは納得してなさそうね。


「皆、よく我慢したわね。誰か一人ぐらい殴り合っているんじゃないかって、心配したのよ?」

「さすがに王太子妃殿下の兵士に手を出そうとは思いません。ただただ、職務に忠実かどうかを見ていただけです」

「随分と撤収が速かったものね。もう追いつけなさそうよ」


 彼らはアリシアと話が終わって、数分もしないうちにこの場を離れて行った。公務の時間をずらして王城を抜け出してきたらしく、急いで戻らないといけないとは言っていたものの、その慌ただしさはさすがに心胆を寒からしめるものがあったと想像できる。

 そのぐらいの成果で我慢しなさいとは言えなかった。彼らは自分のこと以上に私を心配してくれたのだから。

 少しばかり観察という名の自慢話を聞かされていると、遠くから馬が一頭近づいてくるのが見えた。随分と時間がかかったようね。


◇◇◇


 王都にたどり着いても特に呼び止められることもなく、身分を明かすと簡単に中に入ることができた。本当に意味があったか分からない拉致だけど、アリシアにとっては必要な選択だったらしい。私も意味があったか分からない選択をしたわ。


「グレース様! 王都ってすっごく大きいです! ここって何が名物なんですか?」

「お城じゃないかしら?」

「お城! 行ってみたいです!」


 平民が城に立ち入ることがあるのは、よほどの大罪人か大英雄ね。リアナやミスティアがいる以上、聖女扱いされることはないでしょう。だったら頑張らないと駄目ね。


「機会があればいいわね。アリア、そろそろ大人しくなさい」

「はーい」


 馬車の窓にかかるレースのカーテンを元に戻したあと、ちょこんと座り直す。今度は私の顔を見てニコニコしっぱなし。何がそんなに楽しいのかしら。


「グレース様は約束を守ってくださいました!」

「一度、本邸に連れて行くだけよ。その後は放り出すもの」

「はい! 後は頑張ります!」


 厄介なことになった。合流地点にやってきた馬にはテリー以外にもアリアが乗せられていた。そしてあろうことか、アリアを王都に連れて行きたいと言い出した。そのアリアからはテリーと結婚すると一方的に言い始める。それを聞いて良く怒鳴らなかったと自分を褒めてあげたい気分よ。あまりの無鉄砲さに説教して泣かせてしまったのだけど、悪いとは思っていない。それすらもテリーの企みで、アリアは家に戻るのか、それとも人に仕えるのかを覚悟させたかったらしい。ここにいるという事は後者になったわけだけど、私は雇わないし責任も負わないと言って、教会に預けさせることにした。それを良いように解釈したものだから、さっき泣いた烏がもう笑う。仕方がないから、ミスティアに弟子入りでもさせればいいんじゃないかしらね。


 あとの火種のことはいい。今は目の前にある火薬庫をなんとかしないといけないのよ。


「おかえりなさい、お義姉様」

「ただいま帰ったわ、グレース。これまで御苦労だったわね」


 頭を下げて挨拶をするリトル・グレースは刺々しさを隠そうともしない。その態度を見ても使用人達は顔色を変えない。そこまで掌握が進んでいる。そして、ちいさな身体で見上げ、言葉は見下すように語りかけた。


「どうせ学園を卒業できないのだから、そのままでいれば良かったのよ」

「卒業はできなくても、やるべきことは残っているわ」


 グレースが学園を卒業できない理由。それは私が半年近く蟄居し、必要な授業を受けなかったから。長く欠席することは成績に秀でた政治家見習いや研究者には良くあること。免除の措置を取ることもできたのだけど、グレースは頭を下げることを良しとしなかった。そのため、学園には在籍が可能でも卒業の資格は得られなくなる。ただ、資格がないからといって貴族として格が落ちるわけでもない。その例がアリシア。彼女のように高位貴族王族に嫁げば地位は約束されたもの。だからこそ、横並びになるアリシアは私に危機感を持った。そしてグレースもそのままで良しとはしない。派閥を育て、手土産としてニールセンに差し出すことで正妻になろうとした。貴族として判断できるのであれば、表面は取り繕っても手を取っただろう。だがすでに貴族的な思考を放棄してしまったニールセンに意図は届かなかった。

 リトル・グレースは「相変わらずね」と言い、ウォードを呼んだ。


「お義姉様を捕まえなさい」

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