第34話

 私が監獄の塔に連れて来られて四日目。専属の侍女が二人になった。そのうちの一人、アリアはほぼ付きっきりだ。囚人なら見張られるのはその通りなのだろうけど、匿われている前提でここにいるのに、その対応はどうなのかしら。

 今もベッドから降りようとするだけで、掃除をしていた手を止めてアリアが寄ってくる。


「グレース様!」

「ソファーに移動するだけよ。三冊ほど本を持ってきてくれるかしら」

「はい! わかりました!」


 当初はアリアに躾をするはずだったのだけれど、下積みが何もないので、見張りも兼ねて私の行動を把握することと命じた。その甲斐もあって、話し掛けられることはなく、比較的静かな時間が過ごせている。一週間もすればこの部屋の中でのことは把握ができるでしょうね。ただ私にはそこまで時間はないのだけれど。

 アリアから受け取った本の中に落書きを見つける。そこには外に出られず退屈だと書かれ、脱走の手段や監視が緩む時間などが詳細に記入してある。どうやら以前にここに居たのは少しばかり幼い人物だったようだ。思わぬお宝を見つけてしまったことに、少しだけほっこりとした。


◇◇◇


 昼食を終えてしばらくすると、塔の外が騒がしくなった。窓は高い位置にあるため、外を見ることもできない。メイリアは下に向かったばかりだし、アリアに様子を見に行かせるのは少し酷かしら?


「グレース様……」

「塔の周りが騒がしくなることは良くあるの?」

「いいえ! 私がここで働くようになって、変わったことはグレース様が来られたぐらいです。普通の人は近寄れません!」


 それなら、普通でない人が来ているわけね。


「アリア、私の夜着を用意してくれる?」

「え? また驚かせるんですか?」


 この子、トラウマになってないかしら?


「あなたの服が傷つけられないようによ」


◇◇◇


「グレース様、お迎えが遅くなり申し訳御座いません!」


 跪いて謝罪を示すのは六人の男達。ミヒャエル、カインズ、ライエル、エリック、テリー、そしてグレゴリー。不在なのはナイアンとソーンね。


「ひっ!?」


 男達が顔を上げると、後ろから可愛い悲鳴が上がる。そこには酷く殴られたような跡があったからだ。


「先に説明しなさい。ミヒャエル、その顔はどうしたの? ここの兵士と揉めたのかしら?」


 どう見ても尋常な様子ではない。流血こそ拭われているものの、目の周りは青黒く、頬には新しい切り傷のようなものさえある。それが一人二人ではなく、全員となると不安が過る。


「はい、グレース様。自分達で制裁しました。お気遣いいただかなくても結構です」


 そう言って、ミヒャエルは滔々と語る。

 呆れた。彼らは私が拐かされた責任を負うため、早朝から殴り合ったそうだ。どうして初日ではなかったのかと聞くと、三日間の謹慎があったため、全員が集まったのが今日だからと答えた。変なところで真面目過ぎよ。ナイアンとソーンも殴り合い制裁には参加したが、侯爵家に残って連絡役をするために顔は避けて身体はボロボロなのだそうだ。


「誰がそこまでしろと言ったのよ。そんな姿だから兵士に警戒されたんでしょう」


 衣装や装備こそ侯爵家のもの、それでも酷い顔の男達が目を血走らせて向かってくれば、ここの兵士とて守護の任がある。易々と許可を出すことはなかっただろう。本当に私の注意を聞けているのかしら?

 背中に隠れてしまったアリアに耳打ちすると、大きく目を見開いていた後に、こくこくと頷いてくれた。


「ミヒャエル、前に出なさい」

「はっ! しかし、御身は……」


 夜着を選んだのは失敗だったわね。使者がくれば交渉に、知り合いが来れば同情を買おうとしたのだけど、まさか最初が部下達だとは思わなかったのよ。でも、本来なら褒めてあげるべきところよね。


「ミヒャエル」

「し、失礼いたします!」


 ミヒャエルは一歩前に出て、直視しないよう再び跪く。まだ少し距離があるところにアリアが間に入り、ミヒャエルの頬に手を当てる。覚悟を決めてくれた彼女の背中に手を当て、アリアの力を呼び起こす。


『優しき光よ、この者に癒しを与えたまえ

 痛みを和らげ、穏やかな力で包み、安らぎを齎したまえ

 神の恵みが、この身に届かんことを』


 アリアの祈りが通じたことは手に宿る光が教えてくれる。みるみるうちにミヒャエルの傷が小さくなり、腫れていた箇所も治まり消えていく、そうして元の整った顔に戻った。私の方はズルリと力が抜けるような錯覚を起こすも、効果のない癒しを試すよりもよほど疲労は少ない。昨日から治癒の祈りを使い始めたばかりで、アリアには負担をかけるけれど、私の部下のために受け入れてくれた。あとで何か褒美をあげなくてはね。


「グレース様……これは……いえ、その少女は?」

「アリアよ。ここで私の世話をしてくれているわ。それよりも、何か言うことはないのかしら?」

「はっ! グレース様、アリア様、癒しをいただきありがとうございました」

「えっ! あ、はい! ど、どういたしまして……?」


 頭を下げられた先が自分だと知ってあたふたとするも、頬を染めて嬉しそうにする。聖女にもなれる素質献身はありそうね。


「ミヒャエル、下がりなさい。アリアはまだ治癒に慣れていないの。カインズ、前に出なさい」

「はいっ!」


 その後はまるで流れ作業のようにアリアの前で跪き、癒しの祈りを受けて礼を述べる。そうして次々と行われ五人目。


「テリー――」

「自分は是非とも麗しのお嬢様に癒していただきたいです!」

「馬鹿なことを言っていないで、頭を下げなさい」

「ちぇ、相変わらず厳しくてお優しい。今は夜着を近くで見れただけで満足します」


 いま最も近くに来てほしくない相手。洗濯されて匂いなどないはずだけど、あちこちに身体のラインが強調される。女性ならともかく、男性のねっとりとした視線が肌を粟立たせる。


「アリア、疲れたでしょう。手を抜いても構わないわ」

「えっと……それってどうやればいいんですか?」

「そうね、神官に習うべきことよね。それじゃ、テリーはなしにしましょう。次、グレ――」

「じょ、冗談です。グレース様、アリア様、どうか癒しをお与えください」

「グレース様?」

「いいわよ。アリアの好きになさい」


 アリアの立位にはフラつきが見える。疲れているのは目に見えるほどなのに、彼女は頑張ってくれている。軽口で気を紛らわそうとしたのだろうけど、場所が悪すぎたわね。

 テリーの治癒を終えたあとは、厄介なグレゴリーが残る。


「グレゴリー、断ることは許しません」

「どのような罰がありますか?」

「罰はないわ。それで十分でしょう」

「……アリア様、施しをいただきたく存じます」

「は、はい」


 グレゴリーは私に手間を掛けさせることを厭う。だから今回も断ることは予想していた。それは真っ先に罰という言葉が出てきたことで証明される。その罰にしてもそうだ。何かを与えれば受け入れる。だから与えない。他の五人が怪我もなく十全に動けるのに、自分だけは怪我人扱いをされる。それだけで彼には十分な罰になるのだから。


「テリー、アリアをベッドに運びなさい。丁重にね」

「グ、グレース様。わたしはまだ大丈夫……ひゃっ!?」

「アリアお嬢様、我が主の言うことは絶対です。今はお休みください」

「あ、ありがとう……ございます。テリーさん」


 横抱きにされ、頬を染めながら答えるアリアは年頃の少女らしく見える。見慣れていなければ当然の反応ね。テリーは顔だけは良いもの。グレースに対しては「俺に惚れてくれないのが良い」と、意味不明な懐き方をする。ニールセンがいたのに、他に見向きするわけがないでしょう。

 

 されるがままになっているアリアはベッドに寝かしつけられるとすぐに眠りに落ちた。いきなり六人もの治癒を行うのは慣れた神官でも躊躇うほどなのよ。


「グレース様、あの少女は聖女様ですか?」

「ただの平民よ。それより、状況を説明して。リトル・グレースは落ち着いて差配してる?」


 彼女が最初にしたことは、ニールの安全確保だった。ニール自身には武芸も身につけているものの、多勢には及ばない。今は兵士の一人として練兵場に預け、移動の際には護衛として同行させるらしい。

 グレース自身には誰かから接触があったということもなく、人手を使って情報収集に当たらせている。その結果わかったことは、


「ミスティアは巡業、カリーナは自領、フェリシアは行方不明? 何がどうなってるの?」

「リトル・グレース様は王都の衛兵に不審な馬車の使用を問い詰めたところ、この場所にグレース様が幽閉されていることを探り当てました。そして我らに護衛に就くように言われ、参じた次第です」


 今は分かっていることが箇条書きに伝えられるだけ。まだ繋がりまでは分からない。

 だけどさすがはグレースね。私だったら令状が偽造だったと問い詰めたでしょうけど、それは時間稼ぎとのトレードオフ。確実に目にしたもので追い詰めた。

 そして私をここへ運ばせたのは――


「アリシア妃殿下が……」


 王太子妃殿下からの指示であれば、衛兵も公務として執行できる。それ故にたどり着けたとも言える。

 妃殿下とはすれ違って挨拶する程度で、感情を交わすほど会話をした記憶はない。グレースの頃になにかあったのかしら?

 薄灯蛾の集いでは妃殿下が卒業パーティーに参加されると噂になっていた。表向きは顔見せだけど、その理由がニールセンの処罰に関わることは明白。ならば、余計な行動をさせないために私を抑制しようとした? 前もって協力を打診しないのは、公平であることを示すため?


「わからないわね。妃殿下の立場を悪くするようにしか思えないのだけど……」

「グレース様、リトル・グレース様より伝言があります」

「なにかしら? いえ、小言を聞かされそうね」


 少し考えて許可を出すと、想像したものよりも酷いものだった。


「『お義姉様は足元が疎かすぎます。罰として、暫くは不自由を満喫してください。当面は私が侯爵家を仕切りますので御安心を』とのことです」


 グレースによる乗っ取りじゃないの。まぁ元々私が乗っ取ったのだから、取り戻された言うのが正しい表現かしら。内情を知る者以外からは、風当たりがきつそうね。穏便に継承権を譲るって話はどうするのよ。


「もう一つあります。これは我らが出立の直前に伝えられましたので、状況が変わっている可能性があります」


 居住いを正すように床に突く足に力を入れ、顔を上げる。


『ルーカスが兵士に捕まった。お義姉様には戻って来ないように伝えなさい!』

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