第33話
翌日の夕方になって、メイリアと名乗るアリアの母が侍女に就いた。
聞いてみればなんのことはない、はしゃぎ過ぎたアリアは階段から足を踏み外して左足を捻挫したらしい。さすがに怪我をした足で最上階まで登れるはずもなく、家の中で落ち込み、昨日は来られなかったという。
「グレース様。お仕えする前に、その格好の理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
私の言葉が止まったことから、今度はメイリアから質問を受けた。
今の私は古代ローマ人のトーガの如くシーツを身に纏っている。貴族の女性がする格好ではないけれど、背に腹は変えられない。
「服が無いのよ。聞いていないかしら?」
「アリアからはグレース様は全裸かもしれないので、驚いては駄目と言われましたが……」
「夜着と下着はそこよ。着替えがないのなら、せめて新しいシーツを用意するように伝えてもらえるかしら?」
メイリアもアリアの母親ね。感情を隠すのが下手過ぎるわ。肩がぷるぷる震えて堪えているのが丸わかりよ。ここにいるのが私でよかったわね。
「わかりました。お食事の準備の前に、湯浴みをお手伝いさせていただいてよろしいでしょうか?」
「任せるわ」
メイリアは何も確認することもなく、テキパキとバスタブに湯を張っていく。これほど慣れている様子では、アリアの前にこの塔で世話係をしていたのでしょうね。
準備が整ったことが伝えられると、トーガを一枚のシーツに戻し、下着代わりにしていた布巾も外して生まれたままの姿になる。
「……」
「どうかしたかしら?」
「いえ、その……とてもお綺麗だと思いまして」
「アリアも同じ事を言ってくれたわ」
「はい。それと、肌を見せることに、気後れがないのですね」
「当たり前でしょう。身体の手入れをしてくれると言うのに、身を縮ませていてはどうやって洗うのよ。傅かれるものは、常に見られる覚悟が必要なの。あなたの娘はしっかり見ておけばよかったと言っていたけれど、あれほど正直なのもどうかと思うわ。私にも羞恥がないわけではなくてよ」
今度はクスリと笑って、私の手を取り湯船まで導いてくれた。湯の中では久しぶりに人に身体を洗われ、力を抜いたままでいられる。髪を梳いてもらっていると、自然に呼吸が漏れる。その様子を見てとったのか、アリアが私のことをどう話していたのかを語ってくれた。
「高飛車なお嬢様で、世間知らず、でも優しくて面白いお貴族様だと言っておりました。何よりお綺麗な方だと。私もそう思います」
「勝手なことばかりね。今の私が何かできるわけでもなし、好きに言いなさい」
それで話は終わり……にはならず、メイリアは聞かれもしないのにアリアの事を話し始める。湯に浮かべられ、されるままになっている私には拒みようがない。仕方がないので、そのまま耳を傾けることにした。メイリアの語るアリアが今よりももっと子供だった頃、冒険だと言って近所を走り回り手を焼かされたこと、少し成長したら森に入って迷子になったこと、家事を覚えさせようとすると、外に働きに出てしまったこと、最近は知り合ったお貴族様みたいになりたいと言い始め、それっぽい仕草を真似ては兄弟に笑われて喧嘩したりと、家の中が大変なのだそうだ。
メイリアの長話ですっかりのぼせてしまった私は、
「メイリア、これは?」
「アリアの結婚式用に仕立てた物でございます。あの子がこれを持って行くようにと」
首まであるワンピースはデザインこそありふれたものだけど、質の良い生地が使われ、職人の刺繍以外にも力の加減が不揃いな縫い目が見える。その縫い目に指を這わせると、勝手な妄想が湧き上がる。オーダーしただけの服よりもよほど価値があるわ。
「そう、大変なものを借りたものね。衣装を用意しているということは、アリアには決まった相手がいるの?」
「おりません。衣装を用意して気持ちを高まらせてやれば、気になる相手を意識するだろうと思っていたのですが……」
「そう……メイリア、衣服の礼は必ずします。望むのなら、家族と領地に来てもらっても構わないわ」
「グレース様は御領地持ちの貴族様だったのですか?」
驚くメイリアから、次第に畏れが感じられる。宮廷貴族よりも領地を持つ貴族は権力が大きい。平民から貴族はどう見えているのかしらね。
考えてみれば、グレースは王都では有名過ぎて自己紹介をしたことがない。悪名は無名に勝るを地で行くもので、貴族は知っているのが当たり前だった。
「そうね、あなた達には名乗りをしていなかったわね」
ほどよく身体も落ち着き、数歩進んで衣服の着心地を確認すると、振り返ってメイリアに向き合う。平民に見せる儀礼は定められていないのが残念なところね。
僅かに足を引き、裾を持ち上げるように摘むと、ワンピースにはなかった細かなドレープを作り上げる。そのまま頭を下げすぎないようゆっくり姿勢を落とす。本来は目上の者に対して行う最上位のカーテシー。
「私はローゼンベルク侯爵家が長女、グレース。およそ三百万の民を抱える領主の娘よ」
「こ、侯爵家のお姫様……」
「その呼び名は領民以外には許していないわ。私を支えたいと願うのなら、民となりなさい」
恭しく頭を下げると、緊張したままのメイリアは言葉少なに給仕をし、翌日また来ることを告げて退出した。
◇◇◇
「平民って、遠慮がないのかしら?」
朝食がないはずの監獄に、メイリアが「焼き立てのパン」をお持ちしましたと現れた。それどころか、兵士に背負われたアリアを置き、衣服の代金として礼儀作法を躾けて欲しいとお願いされた。
「服はまた買えば良いですが、平民では躾にお金を出せませんので」
言いたいことはわかるのだけど、お金で時間を買うのが貴族なのに、お金が無いなら時間を使えとは、なんとも本末転倒な話だ。娘の将来を案ずる親ならではだろうか。アリアにしてもよほど楽しいことがあるとばかりに笑みを満面に張り付けている。
正直なところ断りたかったが、どうしても引き下がらなかったアリアと、背中を押すメイリアの二人がかりで押し切られ、この塔にいる間だけ侍女として受け入れることにした。アリアはこの先も私に仕えたいとまで言い出したが、それはメイリアが止めた。身に付くかわからない、未だ教育の足りない娘を心配してのことだった。
「とは言っても、その痛々しいのは見ていられないわね」
「座っているだけなら大丈夫です!」
「どこの従者が座ったまま教えを受けるのよ。自分と言うのは無しよ」
お調子者を目だけで嗜める。上げかけた腕をさっと隠すと、姿勢を正して真面目ぶる。メイリアが手を焼くと言うのもよくわかるわ。
元気な分だけ扱いやすいけれど、これって貴族令嬢のすることじゃないのよ。
「アリア、聖女の治癒を受けたことはあって?」
「ありません! 元気だけが取り柄ですから!」
「そうでしょうね……まあいいわ。手を出しなさい、確かめてみましょう」
私の指示に疑問を口にすることもなく、出した両手に重ねるように自分の手を乗せる。
アリアにはいいと言うまで口を閉じさせ、私は大きく深呼吸をする。自身の鳩尾に力を込め、意識を集中させる。それは体内にある力を目覚めさせる合図。やがてその力は胸を通り、両手にまで行き渡ると解放の言葉で顕現する。
『優しき光よ、この者に癒しを与えたまえ
痛みを和らげ、穏やかな力で包み、安らぎを齎したまえ
神の恵みが、この身に届かんことを』
ふわと仄かに光が手に宿り、アリアの腕にまで伝わっていく。それが肘のあたりまで届いたと思うと、呆気なく霧散した。手応えは何もなく、酷い疲労感だけが身体に残る。
やはり私には治癒の力は無いわね。
「!? グ……っ!」
「もういいわよ。だけど、大きな声は出さないように」
「グレース様! 今のは何ですか!? すごく温かい光がすぅっと入ってきて消えたんですけど!!」
「アリア、騒がないで。今のは聖女の治癒を真似たものよ。私には力が足りないからすぐに消えてしまうの。少しでも才能があれば身体に行き渡らせられるのよ」
「すごい! そんなことまで知ってるなんて、グレース様本当にすごいです!」
もう手を離してもいいのだけれど、アリアは掴んだまま興奮して上に下にと振り回す。これで足が動けばダンスもできたのにね。
手を引くとスルリと抜けて我が身に戻る。そんなに残念そうな顔をしないの。
次はアリアの番だと言うと、驚きの声を上げる。
「え? わたし?」
「そうよ、試すと言ったでしょう。治癒とは元々自分自身の回復する力を使うもの。さっきのは私がその力を呼び起こして回復を助けるためのものなのよ。私の言葉は覚えてる?」
「えっと、『優しき光よ、』」
「そう、自分に向けるものだから、『優しき光よ、この身に癒しを与えたまえ』」
「『優しき光よ、この身に癒しを与えたまえ』」
驚き、辿々しかった言葉遣いは、邪念を払った真摯なものに変わる。
「続きなさい。『痛みを和らげ、穏やかな力で包み、安らぎを齎したまえ』」
「『痛みを和らげ、穏やかな力で包み、安らぎを齎したまえ』」
「もう少し続くわ。『神の恵みが、この身に届かんことを』」
「『神の恵みが、この身に届かんことを』」
言い終えると同時にアリアの両手が光り始める。それは私のような微かなものではなく、しっかりと目に残るもの。何も指示をしていないのに、アリアは両手を組んで目を瞑る。その姿は
時間にして短かった、それでも惚けているアリアは意識を取り戻さない。
「アリア」
「!? グレース様! 足が痛くありません!」
私の声と言うよりも、捻挫の痛みがなくなったことに驚いたのね。アリアらしいわ。
育ち盛りの子供は治癒の効きも良く、元気が取り柄なら下地は十分。病人にはこの
ピョンピョンと飛び回っても違和感がないのだろう。室内を走り回り、気がつくと私の隣に立っていた。
「よかったわね。聖女は無理でも神官ぐらいにはなれるかもしれないわよ」
「神官様!? わたしが!?」
「ええ、そうよ。あなたはまだ幼い。勉強をすることでいろんな道が開かれるわ。特にその力は貴重なもの。伸ばしたいと思うのなら、教会の門を叩くのね」
言葉を間違えなかったとしても、一度の祈りで成功させるだけの才能がある。「よく頑張ったわね」と頭を撫でたあと、限界を迎えた私はベッドに倒れ込んだ。
力のない者が治癒の祈りを使おうとするとその身を削ることになる。神官になりたがるのは献身と犠牲を厭わない者、そしてあまり裕福ではない家の者が多い。貴族は身を犠牲にせずとも、医師や神官を呼べばいいからだ。ミスティアのように聖女になりたがる令嬢は珍しい。私も特別な力がないか一度は確かめようとしたけれど、主人公や聖女のような他人に影響を与えられるものはなく、翌日までゆっくりと寝られた程度だった。
しばらく休めば元に戻ると説明してベッドに潜り込んだのだけど、アリアは私から離れなかった。彼女は真摯に祈りの言葉を紡ぐけれど、何も起こることはなかった。
「アリアには祈りの言葉を教えただけ。治癒が働いたのは私の力がアリアの身体に移ったから使えたの。その力を呼び起こす方法は教えられないわ。指導者がいなければこうなるもの」
教えないと言った私に批難めいた言葉も出さず、甲斐甲斐しく汗を拭き食事を運ぶ。
残念ながら、教会に興味をもたせることは失敗したものの、最初にあった熱意は下がったような気がする。成人もしていない子供には選択肢はいくらでもあるものね。そのことに気付かせることができたのなら成功だと思いたいわ。
翌日、目が醒めてからは楽観的な考えは霧散した。
「グレース様! おはようございます! 今日からよろしくお願いいたします!」
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