第32話
どこで失敗したのだろう。
王族向けに用意された監獄の塔でごろりとベッドに寝転がりながら、そんなことを考えている。
女郎蜘蛛の会を催した翌日、早朝に乗り込んできた王都の衛兵に、貴族典範に反していると告知され、着替えすら許されず夜着のまま拘束された。護衛は解いたばかりで、新しく任命する前でもあり、我が家の兵士達は抵抗らしい抵抗ができなかった。しかし、この告知に身に覚えのあるものはなく、裁判があるにしろ説明はあるはずと、私は楽観的に思いこんでいた。それなのに、気づいてみれば誰にも会わされず、私の身は監獄の塔の最上階にある。興味を引いてもラプンツェルみたいに髪は長くないのよ。
塔全体の高さは三〇メートルぐらいある。案内された最上階の手前には二人が並べるほどの踊り場しかなく、その先には除き窓のある扉があるだけ。中に入れば間仕切りはなく、身を隠す場所はない。窓は高い場所にあり、鉄格子が嵌め込まれているものの、明るく光が差し込むようになっている。
最上階にはこの一部屋しかなく、その代わり大きさは本邸の私室二つ分はありそうだ。中には誂えの良さそうなベッドと執務机、壁には本が収められた書棚。中央には三人が座れる程度のソファーとローテーブル、お茶会に使われる丸いテーブルと椅子。部屋の隅には小さめのバスタブ、あとは匂いの篭もらないようになっているトイレがあるだけ。もう一度言うけれど、どこにも間仕切りはなく、身を隠す場所がないのよ。
ここまで連れてきた衛兵からは、一方的に監獄での待遇について説明されるだけで確認さえなかった。さらには牢獄ではなく、身を隠すための場所であると念を押された。
この塔を守護する兵士は入口とひとつ下のフロアに配置されているそうだ。食事は昼と夕の二回。専属の侍女が運んでくるが、口を開くことはない。用事があれば伝えれば良いそうだけど、まだ顔すら見せていない。そして罪状も事情も知らされぬまま、私は一人にされる。
塔を登るには階段だけしかなく、休みなく六階も登らされれば、体力のないグレースの身体は疲労を訴え始めていた。息を落ち着けたのがつい先程、食事も摂る前だったので身体がエネルギーを欲していることだけは理解できる。食事はまだ運ばれてこないが、先に頭を動かすことにした。
「ここを使わせるだけの権力を持った誰が、何のために閉じ込めたのか」
殺人事件でもあれば、犯人に仕立て上げられた私はハウダニットを求めるのだけど、ここでは衛兵を動かすことのできる人脈といったところかしらね。
貴族典範に反しているとは告げられたが、何をしたのかまでは説明がなかった。つまり理由は何でも良かったのだろう。
「私を自由にさせたくなかった者がいるということね」
それだけのことがわかると、
誰も見ていないことを確認すると、身に纏っていた夜着と下着全て脱いでソファーに掛け、全裸のままベッドに潜り込んだ。
◇◇◇
「きゃあっ!?」
嘘つきね、口を開いてるじゃない。
幼い悲鳴が私を目覚めさせた。上半身を起こそうとした私に、もう一度悲鳴を浴びせかけると「起きないでください!」と慌てた声を上げる。その声が部屋に響き終える前に、階下から兵士達が駆け上がってくる足音が聞こえてくる。すると今度は「男性は来ちゃ駄目です!」と絶叫が響く。
兵士の説得は無事に終わったらしく、鉄靴の音が聞こえなくなった。それでも少女は何度も入口を振り返りながらソファーまで辿り着くと、丁寧に夜着を折り畳む。そしてベッドから上半身を起こした私に、集めた夜着を手渡そうとした。
こんなところに配属されているのに、貴族女性との接し方は知らないのかしら? 頭を下げて私を見ないようにしているのだろうけど、色々とチグハグね。最初は言葉をかけるものよ。
「汚れているものを、私に着ろと命じるの?」
ビクリと肩を震わせ、おずおずと身体を起こして私に全身を見せる。歳の頃は十二か十三、リトル・グレースよりも少し背があるかしら。肩口で切り揃えられた亜麻色の髪を持ち、幼い顔つきの中にある鳶色の目が、好奇心旺盛だと言わんばかりに見開いている。
その少女は顔を真っ赤に染めると、金魚のように口をぱくぱくとさせながら、声を発した。
「あ、あたらしい、おきがえ、おもちする、まで、ごようしゃ、ください」
随分と緊張している様子で、息を吸い、棒読みを繰り返して一文を言い終える。少女はそれ以上息を吸うことができなくなったのか、大きく息を吐いて、吐きすぎて咳き込んでいた。今度は慌てて口をふさごうとして、私の夜着に顔を埋める。何をしたのかすぐに気づくと、途端に顔を青くして大きく頭を下げ、まるで捧げ物のように私に夜着を差し出した。なんだか面白い子ね。
ベッドから降りると小さく息を吐く音が聞こえる。けれど、私は夜着には手を触れず、そのままソファーまで歩いて行って座り、「着せてくれるかしら?」と声をかけた。
僅かな躊躇いののち、少女は頭を下げたまま、一歩二歩と近づき、私の元まであと数歩としたころ。目の前で足を組み替えて見せると、少女は震える声で「お許しください」と言った。
少女の名前はアリア、いつもは兵士の世話係として一階で下働きをしているそうだ。今日は急遽最上階の世話をするために呼び出された。貴族の女性と接する機会のなかったアリアは断ろうとしたものの、喋らなくていいからと念押しされてしぶしぶ引き受けたらしい。最初だから失礼をしないように静かに入室しようとしたけれど、ソファーに下着が見えて悲鳴を上げてしまい、駆けつけようとした兵士には着替えの最中なので、来ないように説得した。貴族様のお姿を見てはいけないと思い、頭を下げて接しようとしたものの、どうして良いかわからず、パニックになってしまったようね。
ごめんなさい、意図したこととは言え、泣かせるつもりはなかったのよ。
私が下着を身に着けてるところをチラチラと上目遣いで見ながら、頭を垂れている。やがて夜着まで身に纏うと「もういいわよ」と許可を出した。
「……とっても綺麗です」
「そう、ありがとう」
元々グレースは美人だ。そうでなければ王子の婚約者に選定されることも、維持することもできない。ただ同年代の女性よりもやや物足りないだけなのだ。なのに、アリアは肌が綺麗、髪が綺麗、顔が綺麗と良い所ばかりを言い重ねてくれる。チラチラと見ていたのも、お腹のくびれや真っ白な肌に驚いていたそうだ。終いには怒られないのならしっかり見れば良かったと言う。とても正直な少女だった。
「そうね、湯浴みの時間には手伝ってもらおうかしら」
「はい! 布巾の御用意もありますから、必ず来られます!」
服の手配はできるのかと聞けば、本当はわからないまま答えてしまったらしく、申し訳ありませんと頭を下げた。アリアはあまりにもペコペコとするものだから、叱らない限り頭を下げなくて良いと下がらせ、食事に集中させてもらった。出されたものは高級品ではなかったけれど、量が多くグレースの身体では半分も食べられなかった。それを見て「もっと食べないと身体が持ちません」と言い出したり、真剣な顔つきで「だからあんなに細くて綺麗な体に……」と、なかなかに忙しい。
アリアの家庭はごく一般的な平民らしく、両親と子供が三人。彼女は真ん中で兄と弟がいるらしい。稼ぎ頭の父親が少し前まで寝込んでいたために、働き始めたばかりの兄だけでは収入が不安ということで、アリアも外で働き出した。一年も経つ頃には父親も目覚めたけれど、働くのが楽しくなっていたアリアはそのまま兵士の世話係を続けているのだそうだ。
ここで私が彼女や家族に謝っても、自己満足にしかならない。けれど、謝意を表すぐらいは構わないだろう。
「アリア、もしあなたが望まずこの役割を変えられそうになったら、こう言いなさい。「グレース・ローゼンベルクはアリアが侍ることを許す」と。それでも仕事を辞めさせられたら、教会の聖女を頼りなさい。本当なら貴族の家を紹介したいところなのだけど、平民が戸を叩くのは勇気がいることでしょう」
「グレース様、普通の平民は聖女様に気軽に声なんて掛けられませんよ?」
「そうかしら? 彼女は孤児院にも良く顔を出すし、子供の受けは良いのよ?」
「え? あの聖女様が?」
話が噛み合わない。よくよく聞いてみると、どうやらアリアが知る聖女とはリアナの事らしい。時折男性を連れて孤児院に顔を出すが、子供と戯れていても男達がじっと見ているので
アリアにはもう一度、ふわふわ髪の少女の神官を見たことはないかと聞くと「あのお姉ちゃんかー」と随分と砕けた感じで話し始める。聞けば気安すぎてミスティアは聖女扱いされてない。私からしても、彼女を聖女扱いしたのは数える程度しかない。ちょっと反省が必要ね。
そのふわふわでそそっかしい、すぐに涙目になるのが聖女ミスティアだと念を押して納得させると、感じ入ったように私を見る目が変わる。
「グレース様って、もしかして凄く偉い人なんですか?」
「ここはどういうところか知ってるのよね?」
「はい、貴族の方がお使いになられます。理由までは聞かされませんけど」
平民に聞かせる話でもないし、もっと言えば兵士にも伝わっていないかもしれない。ここには私を知るものはいない、正しく隔離ね。運ばれた馬車には内外に分厚いカーテンがされ、外も見られず場所もはっきりと知らされない。ゲームの設定では郊外にある監獄の塔という言葉があるだけで、作中には出てこない。それを再利用したのかしらね。
「そうね、機会があれば王都のローゼンベルク家においでなさい。時間ぐらいは作ってあげられてよ」
「えっ! 王都から来られたんですか!? いいなぁ、行ってみたい!」
「ふふふ、だったらここから出ないと、家に呼べないわね」
「大丈夫です! きっとグレース様がここに連れてこられたのって、誤解や間違いだと思うんです! すぐに出られますよ! それまで健康は私がしっかり見ますし、安心してください!」
「あなたに任せて、太ってしまっては困るわ。だからほどほどにね、アリア」
「はい!」
元気よく返事をして、大げさに頭を下げて出ていったアリアは、湯浴みの時間にも、夕食の時間にも顔を出さなかった。
食事を持ち込んだ兵士にアリアはどうしたのかと聞いても、鉄兜の奥からは何も返事がない。
「……大丈夫、ここはあのゲームの世界。人死はトゥルーエンドだけよ……」
その日のベッドでは、情報が更に絶たれたことよりも、アリアのことで頭がいっぱいだった。
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君と幻想の楽園で 〜悪役な私と、主人公な親友〜 西哲@tie2 @tie2
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