第32話 「Alice」

第32話 「Alice」


 オラクルは思った以上にはっきりと回答を用意してくれる。おかげで正しいかどうかの検証は時間がかかるものの、手応えはあった。


(オラクル、次はカリーナがリアナ側に付いて、ミスティアを軟禁——)


「そこまでにしてくれないか」


 音もなく現れたのは、男性でもなく女性でもない銀色をしたシルエットの……のっぺらぼう。

 オラクルをひょいと持ち上げて胸に抱くと、辺りを見回して「やぁ」と声をかけてきた。


『test_userがログインしました。ユーザーの割り込みにより、タスク待機状態になります。回答に要する時間が超過することが確定しました。私の負けです。さくら』


(私も遮られたからおあいこよ。引き分けにしましょう。オラクル)


「オレのせいか? ってか、AI相手にアイスブレイクコミュニケーション? peace_makerが悲鳴上げるわけだ。さすが俊英、美良さくら女史だな。オレは——」


(橋本健吾、「君と幻想の楽園で」テストプレイヤーの統括、バイトで参加したつもりが案外気に入って、そのまま創夢工房に入社。現在彼女募集中——)


「ちょ、待て、どうしてそれ知って……え、なんで!?」


(恐らく、peace_makerはプログラマーの斎藤亮介。他にプロデューサーの小林修司、シナリオライターの伊藤彩音はいるのかしら。ウェブ雑誌のインタビューに名前のなかった方は、申し訳ありませんが存じません。他に何か補足がありまして?)


「あんた……嫌なヤツって言われないか?」


(あら? 俊英と言ってくださったのに、欠片でもお返ししないと失礼に当たるでしょう? それとも、おだてればそれだけで機嫌が取れると?)


 表情のないのっぺらぼうなだけに、笑っているのか呆れているのか分からない。それでも震える身体からは、敵意のようなものは感じられなかった。


「ははは、まいったまいった、降参だ。そもそもオレは、あんたに降伏しに来たんだ。世界の半分をくれないか?」


 え?


◆◆◆


 丸いテーブルに四つの椅子が用意され、対面になるよう、私と銀色の人形が座っている。


「メンテナンスが終わるまで、私はここで待機すると言うことね」

「あぁ、サーバーをシャットダウンするわけにはいかない。いろんなところで悪影響が出るかもしれないからな。向こうの世界では時間は進んでしまうが、あんたならそのロスを取り戻せるだろ」


 そう言って、銀色の人形は指を擦り、音が鳴らないまま、人形姿の私に指先を向けた。

 今の私はオラクルに抱き抱えられた、少女の格好アバターをしている。印象としては三〇センチメートルにも満たない、豪奢なドレスを身につけたフランス人形。姿が見えないのは不便だからと用意されたのだけど、人型をしているだけでホッとする。ただし、勝手に動かれては困ると、可愛らしい人形の体を動かせないのは残念ね。


「状況だけでも知りたいのだけれど?」

「名前の通り、オレはテストユーザーだからな。その辺りはpeace_maker斎藤亮介last_order小林修司に聞いてくれ。あんたに一番会いたがっていたのはsee-ness伊藤彩音だが、影響を受けるのは困ると思って、止めさせた」

「まるで病原菌扱いね。知ってるかしら? 女の子を虐めるのってずっと後になってから後悔するのよ」

「耳が痛いな。貴族の世界でも先触れってあるだろ、まずは場を整えようって話だ」

「そう……それで、降伏って、何をしてくれるの?」

「早すぎない? オレ、もう後悔してるんだけど?」


 test_userは守秘義務があるため、詳しい話は自分の口からは言えないが、敵対するつもりはない。降伏と言ったのは、これまでの私の行動に感服したからだそう。良く分からない考え方ね。

 身体を用意してくれたのは感謝するけど、困ったことに快も不快も顔に出ないのよ。


「いつ終わるかもわからない……お茶会に招待されたってところね。さしずめ、ここはpeace_makerの庭園? 怪しげな格好のtest_userは帽子屋かしらね」

「幸せな夢を見てるlast_orderはヤマネ眠りネズミってわけだ。道案内するチェシャ猫はsee-nessか。三月ウサギ扱いされるpeace_makerは自業自得だろうな」

「そうなの? last_orderは……あぁ、代表だったわね。ミスティアのことかしら?」

「話が早いな。ミスティアとシャンティリーが抱き合うぐらい仲良くなっているのを見て、身悶えてた。あれは人に見せられるもんじゃないな」

「ふふふ、あの二人の寝姿はハートの女王でも見られないのよ。あなたは話ができる相手でよかったわ」


 不意に会話が止まる。何か拙いことでも思い出させたのかしら。


「どうかして?」

「……すまん、勘違いさせたか」

「あなた、失礼な人って言われない?」


 演技でもなんでもなく、驚いた風に銀の人形が動きを止める。必要なのは油差しだったのかしらね。


「不快にさせたのなら謝るが……」

「理由もわからないのに謝る必要があって? 今度はその態度に謝る必要が出てくるわよ」

「……悪かった。前者ではなく、後者の態度を取ろうとしたことにだ」


 誠実なのね。だからこそ、インタビューにあんな事を載せたのでしょうけど。


「そう。なら前者については?」

「わかっていない……だから今度謝らせてくれ」

「口説き文句としては及第点ね」

「口説き……あっ!? いや、オレは、そんなつもりで……」

「それで、何かありまして?」


 ようやく理解したようで、今度は言葉ではなく深々と頭を下げた。そして「敵わないな」と呟く。


「選手交代だ。last_orderが話をするってさ」


◆◆◆


「Alice?」


 しばらくしてlast_orderと、予定にはなかったsee-nessも現れた。二人の格好アバターは、でっぷりとしたビーバーと寝不足な目をしたイエネコ。彼らから私は「Alice」と呼ばれた。


「俺達は君に名前で呼ぶことを許されていないからな。ニックネームだ」

「ごめんなさい。あなたを不快にさせた無神経男のことは謝罪するわ。それで、どう呼べばいい?」

「そう言えば俺も許可もらってないな。どのようにお呼びすればよろしいですか、お嬢様」


 なるほど、今の私は「君と幻想の楽園で」のグレース・ローゼンベルクではない。かといって、このアバターフランス人形で美良さくらと名乗るのも、雰囲気が台無しね。だったら、


「皆様初めまして、私はお茶会に迷い込んだ人形。Aliceと呼んでくださる?」

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