第31話
ローゼンベルク家では早朝から慌ただしく人が行き交い、責任者達が指示を求めて私の部屋に集まるという失態を犯していた。
「お義姉様が衛兵に連れ去られた?」
聞けば、さくら自身によって専属の護衛を外し、別邸はいつもより手薄になっていたらしい。お陰で早朝から乗り込んできた王都の衛兵を止められる者はおらず、易々と私室まで入り込まれたそうだ。
「何をやってるのかしら、お義姉様は……衛士達はどうしていたの?」
「印璽入りの令状を見せられてはどうしようもなく……」
執事のウォードが通りの良い声で、情けない報告をしてくれる。
抵抗したものは拘束され、さくらが連れ去られるのを見届けた後、解放されたらしい。
全くもって役に立たない。けれど、今の衛士はずっと以前から侯爵家に勤めている者ばかり。私でさえ顔を見れば名前がわかる。悪名を負っているローゼンベルク家とはいえ、無体をさせてはいるわけではない。当主を護る忠義は間違いないもの。故に裏切りや密告といったありふれた手合いによるものではなさそうね。
「お嬢様、別邸の使用人から聞いた話ですが、昨晩、護衛の一人が怒りを撒き散らしながら去ったと言っておりました」
「その護衛の名前は?」
「ルーカスです」
「隊長じゃないの!」
だけど、おかしいわね。あのさくらが人を怒らせたままにする? それも自分の直属の部下を? すると、この騒ぎは自作かしら? だけど、あの隊長に令状を用意できるほどの伝手がある? それとも伝言を持って行ける王家の者……シャンティリー? いえ、昨日の今日であの子を利用する意味が思いつかない。それに会いたいと言えば、万難を排して向こうからやってくるのは間違いない。それならば、身を隠すべき理由が存在する?
さくら自身がこの事態を引き起こしたのではないとすると、ニールセン? 説教された程度で今更鞍替えとも思えない。何よりも悪手すぎる。主人公モドキが唆したか。陛下や王妃殿下にしても、友好的に呼び出せるはず。王太子殿下、王太子妃殿下なら、担がれればありえるか? だとしたら国務の貴族? 捕らえた理由と目的は何?
衛士達はグレース・ローゼンベルクの名前と印璽がある令状を見て慌てたのだろう。内容について記憶しているものはいないと言う。
いや、そもそも衛兵は何故本邸には来ず、直接別邸に向かった? 病床とはいえ、お父様は本邸にいるのに? さくらがそちらに住んでいることを知っている人物が案内したと考えるべきか?
複数の顔が思い浮かぶが、どれも根拠に乏しい。そもそもこれはさくらが仕組んだ事なのか、あの主人公モドキが企み始めたか、それとも他の者の暗躍があるのか。
「ルーカスを呼びなさい。逃げても拘束はせず、追うだけでいいわ。繋がりを確認しなければ、お義姉様を連れ戻しても、また攫われてしまうもの」
「はい」
「それから、お義姉様の直属の部下を全員呼んで」
「申し訳ありません。彼らはグレース様に三日間の謹慎を言い渡されているそうで、出仕は出来ないと……」
ウォードはこんなに役立たずだったかしら。私がグレースをしていた頃は「はい」としか答えなかった。今の私相手なら手を抜けると思われているのだったら、覚悟してもらうわよ。
「馬鹿な言い訳を受け入れてないで呼び出しなさい! 主人の生死が関わっているのよ! 今すぐ来なければ、お義姉様が戻ってくる前に全員解雇すると伝えなさい!」
◇◇◇
「え? 今から巡業ですか?」
早朝のお勤めを済ませて自室に戻ろうとした私を、大司教様が呼び止めた。
「三日前に鉱山で事故があったのは聞いているね? 近隣からも応援に行っているんだが、まだ完了の報告がない。すでにある程度は終わっていると思うが、様子を見てきて欲しい」
あらかた終わっているところに聖女を派遣する。それだけ見れば実績を奪ったように見えてしまう。だから巡業という形で、たまたま通りすがった事にする。いつものことですね。
初めから私に要請が来なかったのは評判が良くないから。今まで何度もエリ様の実績を私がしたことにしている。本人がそう望んでのことだったけれど、周りからどう見られているのか知れたもの。エリ様を聖女にする派閥はなりを潜めたものの、消え去ったわけでもない。
教会の本部としても、聖女を安易に外に出すより必要な場だけで良いと積極的には解消に乗りだそうとしない。私としても王都を離れるのは最小限で済むので悪評も悪くないと思っている。
そんな理由もあって、最近の私は治癒をするのではなく支援に出向くことが多くなっている。その殆どは子供達の遊び相手や老人の話を聞くといった、慰安目的だ。そのことに不満を覚えたことはない。なにより本当に人手が足りなくて困っているのを見れば、手を差し伸べたくなる。さくら様ならきっと「できる人がやればいいのよ」と言って、自分から進んで行うのでしょうね。もっとも高い位をもつ、貴族の御息女の姿で。
「何を笑っている?」
「いいえ、子供相手ばかりで良いのかなと思いまして」
「親の大怪我を見て自失する子もいるだろう。遊び気分では困るぞ」
「はい、承知しております。それで、予定は決まっているのでしょうか?」
少し前まであった、常に緊張していた様子はどうした、と言われても今は派閥のことを考える必要もないし、聖女のお勤めも苦にはならない。なにより、さくら様が戻ってきてくださったのだもの。
巡業が終わったら、さくら様に会いに行って、ご報告しましょう。きっといろんなお話ができるはず。
鉱山までなら一日ほどの距離。いつもなら数日で戻ってこられるのだけど……
「十日間!? 戻ってくるのは卒業式の前日ではないですか!」
◇◇◇
客を執務室まで通さず、ロビーだけで対応するのは珍しい。如何な父でも腹に据えかねる事もあるのかと、少しばかり感心した。
使いの男は声を荒げるでもなく、淡々と用件を伝え、何やら手紙を渡していたようだった。
「シュトラウス伯爵、返答は如何に?」
「熟考させていただく、先方にはそのようにお伝えいただきたい」
男は柱の陰にいた私と目が合うと、人の良さそうな笑みを浮かべて父に向き直った。
「縁があると良いですな」
使いの男が館を出ていくまで強硬な態度を変えず、姿が見えなくなって父はようやく息を吐く。
「おはようございます。不機嫌なお父様は珍しいですね」
「おはよう、カリーナ。起きていたのか。今日は予定がない日だと言っていなかったか?」
「ええ、今日は予定がありません。ですが、こんな早朝の来客とあれば、返事が早く欲しいのではないかと。それが私に関わることなら用意をしておくに越したことはないのではありませんか?」
父のため息は、さっきの使いの男に対するものよりもさらに大きいものだった。
「いつからそんなに優秀になったんだろうな。グレース様に見込まれるわけだ」
「その言い方は失礼ではありませんか? 親であれば、娘の成長を喜ぶべきでしょう。それとも、無知のまま嫁げば幸せになれるとでも思いましたか?」
今日の父はどこかおかしい。いつもなら気にするなと笑い飛ばしたり、賢くなったなと煙に巻くのに、その元気さがない。ひどく疲れているように見える。
「全くその通りだよ。シュトラウス家は代々男ばかりで、ようやく生まれた娘がお前だ。幾らでも金を用意して良い相手を見つけたかった。それなのに、成長すればするほどリーベルトよりも賢く、胆力がある。よほどお前の方を後継者にしたくなったほどだ」
「お兄様にはナターリャお義姉様がいらっしゃるから平気でしょう。お兄様を支えられるのに十分な知識をお持ちだと聞いています。だからこそ、お母様も受け入れて領地で――」
「ナターリャは出て行った」
「え……? お義姉様が……どうして……?」
「今のところは帰省ということにしているがな。システィーナとは一緒にいられないそうだ」
母システィーナは男爵家の娘で、上位貴族に嫁ぐために男性優位の教育を受けてきた。それ故に女は子供を産み育てるのが本来の役割だと考えている。そんな心構えをしている母が、向上心のあるお義姉様を受け入れたのは兄を高みに引き上げてくれると思ったから。しかし、お義姉様は秀でた成果を上げてしまい、そのことが母の気に障った。もちろん兄は成果を喜んでいるのだが、そのことも母を苛立たせた。そして領地のことは兄に任せ、早く子供を産むようにとしつこく言うようになった。もちろんお義姉様も貴族の娘、役割は理解している。なにより夫婦仲は良好だと聞いている。けれど、子供が出来るのはそう簡単ではない。やがて二人は相容れない存在になってしまったそうだ。
「お母様……なんてことを……」
「リーベルトはナターリャを護ろうとしたが、時間が欲しいと言うので、実家に帰らせたそうだ」
「では、まだ離縁はしていないのですね」
「ああ、だがナターリャが望めばリーベルトは受け入れるだろう」
そうなってしまえば、シュトラウス家は潰えるのと同じことだ。
そんな時に現れる使いの者が無関係とは考えにくい。耳聡い貴族がこの機会を見逃すはずはないだろう。
「さっきの使いの男は、私に縁談を望む貴族、もしくはその上位者からですね」
「その通りだ。先細りすることがわかっている我が家から、唯一の果実を奪おうとする。不機嫌にもなろうものだ」
◇◇◇
よんどころない事情で休暇をもらった私は、久し振りに実家に戻ることにした。自室は以前のままだったが、既に王宮の個室に慣れてしまい。どことなく他人の部屋にも感じられる。妙な居心地の悪さを感じた私は、少し離れた場所にある、弟の部屋で帰りを待つことにした。
「ライテリック・ロレンツィオ! 今までどこへ行っていたの!?」
「えーと、姉様? 僕の部屋で何をしてたんですか? それと、何をそんなに怒ってるんです? そもそも家にいないのは姉――」
「黙りなさい! 昨日は大変だったんです!」
ふぅ、小一時間ほどかかったけれど、ようやく言いたいこと全部口に出してスッキリした。代わりにライトはぐったりしているけれど、あの場に現れなかったのが悪い。現れたら現れたで問題だったわね。
それでも話題が話題だけにライトも回復が早い。
「つまり、さくら様がまた信者を増やしたということですね」
「ええそうよ。今回は五十人ほど増えたんじゃないかしら。もはや貴族の令嬢で……いえ、婦人はあの方の本名を知っているか否かで立場が変わるわ」
「相変わらず本人はただのお茶会のつもりなんですか?」
「さすがに今回は趣が違っていたわ。一人一人抱き締めるなんて、よほど感極まったのでしょうね。そういえば、あなた。ニール様の事を知っていたんでしょう? どうして黙っていたの? 危うくシャル様に絞め殺されるところだったわよ」
さくら様の前では機嫌良く取り繕っていたのに、馬車に入ってからは大変だった。ライトが知っていて、姉の私が知らなかったはずがないでしょうと問い詰められ、リトル・グレース様から奪い返す方法を考えなさいと無茶ぶりをする。終いにはニール様なら結婚できると言い始め、無位無冠の平民とは一緒になれないと説得して、涙を流させてしまった。もう散々よ。代わりに、今日の予定は全てキャンセルすると言われて一日の休暇となったのは、良かったのかそうでないのか。
そんな愛らしい王女殿下のことはさておき、少し男っぽさが見え隠れするようになった弟が、頬をふくらませる。
「僕も最初は知らされてなかったんですよ。仮面で顔を隠してましたし。リアナさんとニールセン殿下の様子を見てから、顔を隠すのをやめ、ガラリと雰囲気が変わってようやく気付いたんです。そういえば姉様こそ、さくら様が最初に会った人物だと聞きましたよ! どうして教えてくれなかったんですか! リトル・グレース様がグレース様と対決したのは話題になってました。僕、あの現場の近くに居たのに!」
顔を見合わせて苦笑することになったのは、どちらにもさくら様が秘密にしておくように言ったから。本当に、私達姉弟を弄ぶのが上手いんだから。
最優先でさくら様の情報を共有した後は、きな臭い話が耳に飛び込んでくる。
「エリ様のお願いで、岩窟を根城にする盗賊を確認してきました。本来のシナリオであればその賊がリアナさんを襲うそうです」
◇◇◇
テーブルの上に、放置され湯気の立たなくなったカップを見つける。それは随分と前に私が頼んで用意してもらったもの。温かいうちはまろやかな味も、冷めれば苦みを増す。侍女を呼びつけて新しく用意させても良かったが、今は人を近くに置きたくはない。何かする度に比べられる気がする。ぬるくなったお茶を喉に流し込むと、ひどく渇いていたことに気付かされた。
そんなことにも気付かず、物思いに耽ってしまったのも、彼女が原因だ。ここ数年は大人しくしていたのに、再び戻ってしまった。それも以前より力をつけて。
隊長から移送が完了したと報告を受け取った時には早まった真似をしたと思いも過ぎる。けれど、もう後戻りはできない。
報告書の束をまとめて暖炉に焚べ、黒くなる様を眺めている。
やがて誰に聞かせるわけでもないのに、口が勝手に開く。
「グレース・ローゼンベルク、あなたはいてはいけないのよ」
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