第31話 「見えざる手」

第31話 「見えざる手」


 何度も行ってきたシミュレーションに、パラメーターが変更されることはよくあった。

 シナリオが差し替えられ、登場人物が入れ替わり、名前や立ち位置が変わることも多々あった。


 直近では、キャラクターの職業が途中で変更され、エンディングが存在しないというバグすらもあった。


 ——そして、現在のシミュレーションは初期設定が変更された最初から狂っていた


◇◇◇


 学園の午後は、いつもと変わらぬ穏やかさを見せていた。

 優雅に歩く貴族令嬢たち、教室で勉学に励む者、窓際で静かに読書に耽る者。


 しかし、その中にひとつ、確かな違和感が存在していた。


「……ねぇ、エレナ。この間の集まり、すごく楽しかったわよね?」


 紅茶の香る喫茶店の片隅で、一人の令嬢が微笑みながら言った。

 しかし、向かいに座る友人は、ゆっくりと首を傾げた。


「……集まり? 何のこと?」

「え? あの……お茶会みたいなもの……だったような?」


 ロレーナ自身の眉がわずかに寄る。

 思い出せるはずの記憶が、どこか靄がかかったように曖昧だった。


 確かに何か大切な集まりがあった。

 けれど、それが何だったのか、どこで開かれたのか、誰が主催していたのか——まるで霧の中に消えてしまったかのように、思い出せない。

 しかし、それを口に出すなんて出来るはずがなかった。


「……コーデリア様の会のこと? さすが侯爵家よね。豪華だったけど、少し肩が凝っちゃったわ。ロレーナはどうだった?」

「え……楽しかった……よ?」


 エレナは少し申し訳なさそうに微笑み、カップを傾ける。

 ロレーナもまた、曖昧に頷いた。


「……そう、よね……」


 言いながら、彼女は背筋に冷たいものが這い上がるのを感じた。

 まるで、喉元まで出かかった言葉が、何者かにそっと摘み取られたかのように——


**********


(——対象データの整合性、確認完了)


 学園の情報処理空間において、補正プログラムの進行状況を監視。

 修正プロセスの優先順位——最上位:SAKURA_MIYOSHIバグによる影響排除。

 ——最適解:女郎蜘蛛の会に関する記憶の曖昧化。過去の一時的社交イベントとして再定義。

 補正プロトコル起動。

 イベント履歴の再構築開始。


(イベント記録の削除、進行中……完了)


 記録改変命令:催しの存在を単独イベントとして再定義

 追加命令:繰り返し履歴の抹消、主催者情報の消去

 記憶データ、照合——一致率98.6%。

 条件適用:該当イベントには「口外禁止」の規則が存在。

 該当規則の逆利用、適用開始。

 認識補正:「話してはいけないことは、記憶する必要がない」

 修正結果——令嬢たちの認識変化:

 ・「かつて一度だけ開催された社交イベント」として処理。

 ・主催者に関する記憶、曖昧化。

 ・会の詳細について尋ねられた際、「覚えていない」と回答する確率、92.4%。

 補正効果、想定範囲内。次の修正プロセスへ移行。


 対象データの変動分析、実行中……完了

 記憶補正の影響範囲、解析結果:

 完全消去成功:14名(12.9%)

 部分的記憶保持:18名(16.7%)——詳細を語ること不可

 修正適応不完全:76名(70.4%)

 原因推定(修正適応不完全対象):

 (A)補正適用前の認識強度が高かった → 34名

 (B)他のイベント記憶との連結強度が高い → 21名

 (C)影響を受けない要因(個体差) → 21名

 対応策:

 カテゴリー(A):追加修正の実行を検討

 カテゴリー(B):関連イベントの補正を優先処理へ

 カテゴリー(C):監視対象に設定、自然適応の進行を観測

 シミュレーション結果

 修正の進行速度:適用範囲の80%で正常化見込み。

 目標状態への回帰予測:4.2日後(学園時間)。


 プログラム、次の補正対象を識別。


 ——その修正は管理者の気づかぬうちに始まっていた。

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