第29話

 さすがに百余人を泊めるだけの寝具などなく、客間を使っても二十人が精一杯。元の世界の修学旅行みたいに雑魚寝ならダンスホールがあるけど、貴族の令嬢を床に寝かせるなんてできるわけもなく。「次のお茶会にご招待するわ」とその場を逃げることにした。

 それでも、容易に時間の作れなくなる最上級生だけは夕食を共にすることになり、それ以外の三分の二程からは質問攻めを受けた。

 残りの三分の一最上級生はグレースを可愛い可愛いと持ち上げるものだから、「そんなに私のことを好きだったのなら、前の身体の時に態度で示しなさいよ!」と口元を緩めながら怒っていた。


 朝から始まった女郎蜘蛛の会も、昼を過ぎる頃になると退席する者も出てくる。その最初の一人はシャンティリー王女殿下となった。


「皆様、本日は本当に楽しく、有意義な時間を過ごさせていただき、心から感謝申し上げます。私はまだ公務には携わることはできませんが、これからも自分にできることを精一杯努めてまいります。またお会いできる日がありましたら、その時には再び『シャル』と親しく呼んでいただけるような関係を築いていければと願っております。名残惜しいですが、この素晴らしい場を提供してくださったローゼンベルク家のさくら様、グレース様、そしてご列席の皆様に改めて感謝を申し上げ、これにてお暇させていただきます。ありがとうございました」


 言葉が掻き消されるほどの盛大な拍手が打ち合わされる。その中には涙ぐんでいる子もいた。エミリアが連れてきたロザリンドとクラリスの二人だ。彼女達はあの出来事のすぐあと、懸命にシャルに謝り、感謝を告げていた。始めはきょとんとしていたシャルも、同じ年頃の二人に慕われていると知ると、お姉さんのように振る舞い、彼女達を受け入れていた。二人はシャルの後を付いて回り、小さな王女と小さな従者の巡回はそれぞれのテーブルで饗され、フェリシアはそのフォローに徹していた。

 涙を浮かべる彼女達を見つけると、シャルは二人を呼び「また会いましょうね」と抱き締めた。


 シャルを見送るのは主催でもある私の仕事でもある。カタリナとエミリアに会場を任せてシャルを応接室に招いた。同時に入室を許可したのは、リトル・グレース、カリーナ、ミスティア、フェリシア、そしてニール。

 彼女の前で、私は片膝を立て頭を下げる。


「シャンティリー王女殿下、本日は私の我儘にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。略儀で失礼いたしますが、感謝を申し上げます」

「お義姉様……? いえ、さくら様。こちらこそ楽しませていただきました。先程の私の言葉に嘘はありませんよ」

「ありがとう存じます。ですが、もう一つ御身にお詫びをしなければならないことがあります」

「お詫び?」


 首を傾げるシャルと向き合ったまま、リトル・グレースと、ニールを側に呼んだ。


◇◇◇


 本日の最難関イベント――シャルとニールを引き合わせ、おまけにその場にリトル・グレースも居合わせたらどうなるか――は無事に終了した。

 エミリアに言ったように、今回ばかりは嫌われる覚悟してたんだけど、心の広い王女殿下で助かったわ。ニコニコと笑みを浮かべて、また会いに来ますねと言われたけど、あれはきっとグレースに対抗してよね。


 会場に戻った私は、二人の泣き虫を慰め、エミリアにもう罰はないと告げた。なのに、絶望した顔をするのはどうしてかしら?


 下級生達を見送り、準備会のセリーヌとマリアンナもここまで。今日まで手伝ってくれた褒美に望むものがあればと聞けば、また手伝いに使ってくださいと答えられた。学園祭みたいなノリだったのかしらね。私の場合はグレースが学園のイベントは全て済ませており、リプレイもないこの世界では見ることもできないのが、少々残念だった。


「アリシア妃殿下が卒業パーティーに参加される?」


 淑女の集まりにしては騒々しく終わった夕食の後、サロンに三十人ほどが居残っている。未だ帰ろうとする素振りすらない彼女達に呆れていると、一人の令嬢からそんな話を聞いた。


「はい。まだ決まったわけではないようですが、妃殿下は学園には通われておらず、雰囲気でも味わってはどうかと打診があったそうです」

「でも私、シャルからは何も聞いていないわ」

「その……シャル殿下が原因のようです」


 アリシア・ヴァンデルベルク王太子妃殿下。王太子であるオーガスタス殿下の正妃で、人当たりも良く民の受けもいい。隣国フェルニア王国からの輿入れがあったパレードでも頗る付きの美女がやってきたと評判で、早々に王子が生まれるのではと、下世話な噂が立つほどだった。実際のところは、将来王弟、王妹となるニールセンとシャンティリーの先行きが決まるまでは慌てる必要もないと適度に過ごされている。何より、現王はまだ御健在なのだから、波風を立たせない方針なのだろう。

 妃殿下には、自由の効く今のうちに学園の卒業パーティーに参加し、若い世代に顔を広めておくべきではないかと、そういう話だった。ニールセンが卒業するのに合わせれば、他の会合よりも参加しやすいという理由もある。

 そのきっかけともなったのがシャンティリーの精力的な自習と、交流。彼女は学園に入学もしていないのに貴族令嬢との繋がりがあると知られており、その筆頭とも言えるローゼンベルク家の才女、グレース、グレース・ラヴァレンと並び立つと評判になるほど。勉強では特に外交について質問が多いらしく、自ら他国へ赴くつもりかと心配されているそうだ。

 それによってアリシア妃が埋もれる訳ではないが、隣国との交易で利益を得ている貴族や商人からはもっと王国で受け入れられているという、評判が欲しいらしい。


「今まで聞いたこともなかった自治領からの留学生がグレース様と対等に言葉を交わし、その結果、特に気に入られて義妹に迎え入れられました。これを聞いただけでもベルシア自治領に期待を寄せようというものです」

「それだけではありません。先日から聖女ミスティアが身に着けているネックレス。それを用意したのがリトル・グレース様。つまりベルシア自治領の政治が浸透してきていると危機感を持ったのでしょう」

「さくら様、本日着けていただきました、このネックレスも宝石はベルシア産だと伺いました。家に帰った下級生達はこの会については話をしないでしょう。ですがその場で着けられたネックレス。あの感動を話さずにはいられないと思います!」


 つまり、全て私が原因だった。いや、そうなる予定なのだそうだ。

 戯れに「あなたも家族に話すの?」と聞いてみたところ、全員が賛同を示した。


「そうなのね……私、シャルにも見栄えの良いのを贈ったのよ。二級品程度だと思うのだけど……」

「それはもう、特級品になっていることでしょう」

「記念品になればと用意しただけなのよ? 市場を乱すつもりなんて欠片もないのだけれど……」

「そんなの、さくらが気にすることはないわ! そもそも、宝石の価値なんて職人ではなく商人が決めているだけ。おまけに買うのは貴族よ。その価値を貴族が決めたって良いじゃない。ベルシア自治領の産物はこのグレース・ラヴァレン・ローゼンベルクが決めてあげるわ!」

「きゃーっ! グレース様!」


 私の膝の上に陣取り、胸を張るグレースは自信満々に、黄色い声をあげる――元は同じ年頃の――令嬢に応える。

 それにしても奇妙な光景だった。自分の身体を奪い合い、負けたというのにどうして懐くのか、グレースの気持ちが分からなかった。本人は事あるごとに嫌がらせをアピールするのに、私には甘えているように見える。その結果、正体不明の私が令嬢達に受け入れられている。優しいさくら様と、小さいけどツンツンしているグレース様と棲み分けができて愛でられるのだそうだ。

 一度、「怖くはないの?」と聞いてみたところ、


「女郎蜘蛛の会、女主人であるグレース様を慕っているのです。最初から最後までさくら様であるなら、私達が怯えるものは何もありません」

「今から思えば、グレース様が私達を甘やかせてくれる事自体がおかしなことだったのです」

「ロザリンドとクラリス、二人の接し方を見れば悪しき方と断ずることこそ、難しいですわ」

「グレース様が本心から嫌っているようなら、私も避けたかもしれません。ですがお二人はまるで姉妹のようではありませんか。私の妹なぞ、もっともっと我がままで……シャル殿下と同級になって不敬を働かないかよほど心配になりました」


 とまぁ、この御令嬢方の純真さこそ、少しばかり心配になるぐらい。でも、その信頼はありがたいものだった。


「話は戻るのだけど、アリシア妃殿下はまだ御懐妊ではないのよね?」

「そのような話は聞いておりません。グレース様こそ、王城に参られるのではないのですか?」

「この身体に戻ってからまだ一度も登城していないの。ですので、お耳の早い方のお話が聞きたかったのです」

「そういうことでしたら――」


 口々に話される言葉全てを聞き取ることはできなかったけれど、カリーナとカタリナがフォローしてくれる。エミリアにはロザリンドとクラリスを送り届ける役を命じ――残りたいと涙を流しながらも――帰したのだから、カタリナも残る必要はないのだけれど、付添いたいと言われて許可を出した。

 ただ、彼女も憑き物が落ちたみたいに穏やかに接してくるのよね。前のように気さくに話しかけてもこなくなった。代わりにリトル・グレースには強気で接するの、なんだか取られてしまったようで物寂しい。

 それはさておき、さすがは貴族の御令嬢。人の噂話の数がものすごい。これで良く私の正体が気づかれていなかったと、ちょっと自信になるほど。アクセサリーを変えたら誰の真似をしたと答えがあり、ため息一つで懸想の相手まで知れる。中にはこの場にいる令嬢についての話もあり、ここも女郎蜘蛛の会だから良いでしょうと、公開処刑にあった者までいる。そんな彼女達も普段なら政治について話をしない。それらは男性の領域だから。けれど、私の正体、そして乱入してきたリアナ達を見てしまえば、口が軽くなってしまったよう。


「ニールセン殿下は廃嫡されるかもしれません」

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