第27話

 薄暗いスクリーンに映像が映されている。それはまるで昔のフィルム映画のように無音で、チリチリという映写機の音だけが耳に残りつづける。映像の中では鎖で繋がれた少女が馬車に引かれ、ゆっくりと街の大通りを連行されている。彼女は裸足のまま歩かされ、石を投げつけられ、人々から罵倒を受ける。

 私の記憶にこんな映画は存在しない。そもそもフィルム映画は知識で知っているだけで、実物なんて見たことがないもの。何故なら私はずっと病室にいたのだから。

 不意にスクリーンの中の少女が振り向いた。その顔は傷つき、疲れているものの、気高さはまだ残っている。その瞳の強さは——


「……グレース!」

「さくら様!」


 目が覚めて真っ先に顔を見るのは、いつもミスティアね。おかげで彼女の匂いに包まれると、落ち着くようになってしまった。そして、ごめんなさいと何度も口にされて、ようやく私がリアナに押し倒されたことを思い出した。


「ここは……グレースの寝室ね。ミスティア、私が倒れたあとに何があったの?」


 倒れた右半身は少し強張ってはいるものの、痛みはない。ドレスは脱がされておらず、地面を擦った跡は肩が見えるほど裂けていた。

 いつまでも返事のないミスティアを見ると、もじもじとしてなにやら言いづらそうにしている。その理由はなんだろうか。


「本当に、グレースではないのか……?」

「……カタリナ」


 聞き覚えのある声に目を向けると、壁際に何人もの見慣れた顔ぶれが並ぶ。カタリナ、エミリア、セリーヌ、マリアンナ、ジュリエット、ガブリエラ、レオノーラ。準備会の四人と、グレースの取り巻きだった三人。

 浮かぶ表情は、困惑、驚愕、畏れ、不安、茫然、といったところかしら。特別扱いを望まないと言った三人がいるのは、答え合わせをしたかったのでしょうね。

 誰も続く言葉がないことを見て、彼女達がどのように受け取ったのかを知ると、私は覚悟を決めた。


「ええ、私はグレース・ローゼンベルクではないわ」

「貴様は何者だ!? グレースをどこにやった!?」

「私の名前はさくら。グレースは……今はリトル・グレースの中にいるわ。私と身体を交換したの」

「それを信用しろというのか!? 人だぞ! まるで服を交換したように言うな!」

「では、どうしろと? この身体はグレース・ローゼンベルクで、わたしはグレースではない。グレース・ラヴァレン・ローゼンベルクの中には誰がいると?」

「本当なのか……なんということだ……貴様は魔女か、悪魔の類か!?」


 睨みつける彼女からはしっかりとした怒りが感じられる。その場から動かないのは、畏れかそれとも懐疑か。

 もし全てに理解した彼女が武器を持っていたのなら、きっと私の首をひと刺しするのでしょうね。普通に暮らしている人々から見れば、恐ろしいことを言っているもの。

 それならばと、ミスティアを呼んだ。


「扉を開けて。入りたい人には入ってもらって構わないわ」

「いいんですか?」

「ええ、でも怖がる人に無理をさせては駄目よ。私は悪魔の類だそうだから」

「そうですね。さくら様は、神様より優しい悪魔です」


 きっと悪魔というのは信じさせるために優しくするんだと思う。それはこれまで私がしてきたこと。


◇◇◇


 少し待たされると、部屋の中は人でいっぱいになった。寝室だけで三十人ほど、隣の小浴室や侍女の小部屋にも入りきらず、廊下にも並んでいるそう。

 ベッドのすぐ側まで来ていた小柄な少女が二人、寄り添いながら心配そうな顔を向けてくれる。


「グレース様、辛かったらお手を握りましょうか?」

「ありがとう、ロザリンド、クラリス。それじゃ、手を握ってくださるかしら。でもこれからとても怖い話をします。我慢できなかったら手を離してもいいですからね」

「はい! グレース様が怖かったら、わたしが守って差し上げます!」

「そう、ロザリンドは勇敢ね」

「わ、わたしも!」

「クラリスは優しいのね」


 軽く二人の頭を撫でたあと、ベッドに手を乗せると、すぐにロザリンドがぎゅっと握ってくれる。その小さな手を護るようにクラリスが重ねる。まだ幼い二人の体温がとても心地よかった。


「最初に、私は名前をさくらと言います。グレース・ローゼンベルクではありません」

「え……でも、グレース様ですよね?」

「そうね、私はずっとグレースを演じていたの。学園に入学して一年と少しの間。それから時間を置いて、先月から再び。私は二度に亘り、グレース・ローゼンベルクの身体を奪って乗り移った」


 ぎゅっと握られる力が強くなる。悲鳴をあげるほどではないけれど、それだけ怖がらせてしまったことに心が痛む。


「元々の私はこことは別の場所にいました。意識を失い、気づいたらグレースの身体に宿っていた。身体に入り込んだ私を、グレースは何度も拒絶し、遂には追い出した。そして二度目は私がグレースを追い出して、別の身体に彼女を封じた。本当のグレース・ローゼンベルクはグレース・ラヴァレン・ローゼンベルク。あのちいさな身体にいるわ」


 考えてみれば、今の彼女から感情をぶつけられたことはあったけれど、どう思っているのかは聞いたことがないわね。悪態はなんだか照れ隠しのようだし、ゆっくり話し合う時間ができれば良いのだけれど。


「待ってくれ! 一年と少しの間、演じていたと言っていたな。具体的にはいつまでだ、その間に何をした!」


 今となっては少し懐かしいわね。


「入学式を終えて、少し経った頃。グレースとリアナが、廊下でぶつかった事を憶えているかしら?」

「あ、ああ、結構な騒ぎになったからな……そこからグレースに宿ったということか?」

「ええ。それから一年ほどはずっと私がグレースを演じていたの。追い出されたのは図書館でニールセン殿下とグレースが衝突したときね」

「まさか、女郎蜘蛛の会は……」

「全て私が女主人をしていたわ。グレースは同じことをするのを嫌がったようで、あの喫茶店には一度も立ち寄らなかったそうよ。派閥の拠点に選んだのも図書館の一室、そこは彼女らしくないと思ったわ」

「ああ、私もそう……じゃない! 先を話せ!」

「派閥に関してはグレースとカリーナが運営していたから詳しいことはわからない。どうやってあれだけの規模に育て上げたのか、本当に感心するわ。だけど、私が戻ってきてからは解体させた。将来に期待していた人がいれば申し訳ないことをしてしまったわ」

「…………」

「そうして柵を全て外した私は、最後となる女郎蜘蛛の会を企画した。結果はこの通りね」


 話し終えても誰も口を開かない。握られていた手も汗が伝わるだけで、力は抜けきってしまっていた。

 そうね、信じられないことばかりでしょうね。

 私自身が経験しているというのに、時折他人事のように思うもの。

 それにしても、私とグレースの関係は結局なんと言えばいいのでしょうね。友達でもなければライバルでもないし、仲間とも敵対も微妙に違う。強いて言えば運命共同体かしらね。


『待ちなさい!』


 窓の外からシャルの声が届く。まだ終わっていない? リアナの性格なら……違う、どうしてすぐに思い出さなかったの。私はニールセンを見て気を失った。後半のリアナが一人で行動するはずがないじゃない。


「ミスティア、全員来ているのね?」

「ライテリック様を除いて全員です」

「そう、わかったわ。皆さん、話はここまでです。私は逃げたりしません。言いたいことがあれば終わってから全て聞きます。そこを……ロザリンド?」


 ぎゅっと握られる力が強くなる。振りほどけないほどじゃない、だけどそんなことはできなかった。


「グレース様、行っちゃだめ。外は怖い人ばかりいるの……」

「ありがとう、ロザリンド。まだグレースと呼んでくれるのね。でも私が原因で始まったことなら、自分で終わらせないといけないの」

「でも、王女様がいるのに、グレース様が行かなくても……」

「そうね、シャンティリー殿下はとっても賢くて強くて立派に見えるわ。だけどね、彼女はここにいる誰よりも歳下なの。あなた達と同じぐらいかしらね」

「あ……」

「彼女は絶対に逃げない。王女様が弱いところを見せたら支えてくれる貴族に申し訳ないから。でも、本当は甘えん坊の女の子なのよ?」

「ご、ごめんなさい。わたし……」

「いいのよ、誰だって怖いことはあるもの。私も震えてばかり。ロザリンド、弱い私の背中を押してくれるかしら?」


 握られていた手がゆっくりと離れ、震えながらその手を拳にして目を瞑る。ロザリンドが自分の頭を叩こうとするのを両手で受け止めた。


「グ、グレース様!?」

「ロザリンドはやっぱり勇敢ね。おかげで力をもらえたわ、ありがとう。クラリスにはロザリンドを任せるわね」


 もう一度頭を撫でてから、ベッドを降りた。もう誰も引き止める声はない。人の壁で出来た道が開かれ、その真ん中を歩いて行く。彼女達は私を見ているようで、遠い何かを求めているような気がする。ハリボテの私ではなく、理想のグレースを求めているのね。

 私は歩む足を止めず、エミリアを呼んだ。


「モンタルボ伯爵令嬢ロザリンド。それからラフォレスト伯爵令嬢クラリス。この二人はあなたの招待ね。彼女達は未だ学園の生徒ではないわ。職権乱用したあなたには罰を与えます」

「はい、申し訳ありません……」

「シャルと同じ年頃の令嬢を用意したのでしょうけれど、気を回しすぎよ」

「気づかれていましたか」


 当たり前よ。ほとんどの女生徒は記憶にあるもの。

 ただ、謝って許して済むと思っているのなら、心構えが足りていない。

 彼女は自分で選んだものしか視界に入れようとしないのよ。


「紹介するのなら、王女殿下に嫌われる覚悟をもちなさい」


◇◇◇


 追いかけてきたミスティアからストールを渡され、ドレスが破れていることを思い出させてくれた。さすがに異性の前で露出があるのは気まずいものね。初めのドレスのままだったら半裸になっていたところよ。着替えて正解だったわ。

 令嬢達には屋外に出ないようエミリアに言いつけると、私自身は気合を入れなおす。


「シャンティリー殿下! 後は私が……」


 会場に戻った私が見たものは、ニールセン以外の男達が地面に頭を打ち付けている姿だった。


「あら? グレース様、お加減はよろしくて?」

「はい、おかげさまで。王女殿下、これはどういう……?」

「身の程を知ったのでしょう。力でどうこうできる女子供と馬鹿にするから痛い目に遭うのですわ」


 頷いてみたものの、状況がさっぱりわからない。だけどこちら側の被害ははっきりしている。ニールが殴られた。治療にはミスティアが当たってくれているけれど、腹立たしい気持ちが溢れそうになる。


「ごめんなさい、ニール。私が迂闊だったわ」

「本当よ! 誰よりも貧弱なんだから、先に自分をなんとかなさい!」


 声をかけたニールよりも先に、グレースが不満そうな顔を隠そうともせず私に文句を言う。だけどその言葉は自分自身を知っているだけに諸刃ね。

 ニールは本当に今のグレースを気に入っているようで、彼女に向ける笑みは心から浮かべているように思える。


「ありがとう存じます、グレース様。私は殴られましたが、このぐらいは平気です。それから、リトル・グレース様は活躍の場を全部シャンティリー……様に取られてしまって、拗ねているだけです。どうかお許しを」

「あら、そうだったの? 私はてっきりグレースが暴れてしまって、それに巻き込まれたのかと思ったわ。よく我慢したのね、リトル・グレース」

「二人して子供扱いするんじゃないわよ!」


 つまり、シャルが頑張って全員を制圧したというところかしら。すごいわね、王女殿下。ロザリンドの見立て通りじゃない。

 でも、任せっぱなしにはできないわね。


「王女殿下、引き継いでもよろしいでしょうか?」

「ええ、侯爵家の責任者が出てきたのですもの、お任せするわ」

「ありがとう存じます」


 さて、ニールセンは茫然として、立ち尽くしているだけ、アインザックは頭を地面に突き……謝罪かしらね。シルヴィスはいつものあの土下座ね。そしてカルフェスは胡座をかいて自失状態。不在なのはカリーナとフェリシア、そしてリアナ。元凶はどこへ行ったの?

 いいわ、まずは目立つ相手からよ。


「ニールセン殿下、なぜこのようなことをなさったのですか? 聡明だった殿下とは思えない不法侵入。なぜ彼女を止めなかったのですか?」

「グレースか、俺、は……」


 言葉を吐き出していくうちに、少し目に力が戻る。しかし最後まで言い終えることはできなかった。それは遠くから駆けてくる音と声に阻まれたから。

 とても嬉しそうに私を見つけて、弾むような大きな声を向ける。


「あ! さくら様、元気になられたんですね! よかった! 私も女郎蜘蛛の会に参加します!」


 こんなのは知らない。なんなの、この主人公化け物は!?

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