第26話 「王女の卓」

第26話 「王女の卓」


 カチャカチャと音を立てて新しく用意されたソーサーが配られる。丁寧に運んでいるつもりなのだろうけれど、小さな指でテーブルにそっと載せるには少しばかり力が足りない。一組のソーサー、カップの向きを揃えると、侍女服の少女はニコリと微笑んで次の席に移動する。そしてまた、同じ配膳を繰り返す。その様子をマリアンナとセリーヌは懐かしいものを見るように眺め、カタリナとエミリアは顔を青くして強張らせる。


「ありがとう、シャル。休んでいいわ。隣に座る?」

「はい、お義姉様!」


 その返事が合図になったように、もう一人の侍女が空いたカップに紅茶を注ぎはじめる。その丁寧な仕事に子爵令嬢の二人は感心し、ありがとうと声を掛ける。侍女は微笑み、軽く頭を下げるだけ。そして、カタリナのカップには半分ほどしか紅茶が注がれなかった。


「心も仕事も狭量ね、フェリシア」

「ランデンベルク伯爵家では、御令嬢自ら指導されるのですね。おおらかなグレース様を見習ってはいかが?」


 そうね。出されるものに一度でも注文を付けた記憶はないわ。満足したというより、そういうものだと思っているから。考えてみると、私自身はこの世界で貴族の教育は受けていないのよ。でも、どうしてかしら、そうすればいいと言うことはわかるのよ。


「フェリシア、冷めたお茶を私のテーブルに出すつもり?」

「申し訳ありません、グレース様」


 私には肩ほどまで頭を下げて謝意を表すと、カタリナのカップに少しだけ注ぎ足し、エミリアのカップへと移る。その姿を見て、シャンティリーはクスクスと笑う声を隠しきれていなかった。


「淑女の皆さま、女郎蜘蛛の会へようこそお越しくださいました。ここで身に付けた物はお好きにお持ち帰りいただいて結構です。ですが一つだけ御約束があります。この場あったことはここだけの秘密。何人なんぴとにも語られませぬよう、お気を付け下さい。それでは、外の世界を忘れ、ごゆるりとお楽しみください」


 私の口上が終わると、カタリナは儀礼的に一口を飲み込み、すぐにソーサーに戻すと、フェリシアを攫い、右奥のソファーへと連れて行く。まあ、まあ、はしたないこと。

 そうして残された少女達の興味は一つに絞られる。


「グレース様、そちらの可愛らしい御子様について、御紹介いただけないでしょうか」

「私も気になってました!」

「グ、グレース様、あの方は——」

「シャルは可愛いものね。私の手の中に隠しきれなかったわ。一人で御挨拶、出来るわね?」

「はい、お義姉様」


 シャルは椅子からぴょんと降り立つと、マリアンナ達に侍女服でカーテシーを見せる。


「皆さま、ようこそ女郎蜘蛛の会へ。わたくし、シャルと申します。本日は皆さまとお近づきになりたく、参加させていただきました。ぜひお友達になってください!」

「シャルは私が預かっている御子。事情があって家名は明かせないけれど、仲良くして下さると嬉しいわ」

「はい! シャル様、私はマリアンナと言います、こっちは友達のセリーヌちゃん。何かお好きな遊びとかありますか?」

「もう、マリったら……シャル様、セリーヌです。一緒にお話しましょう」

「マリアンナ様、セリーヌ様、どうぞよろしくお願いします!」

「エミリア、あなたも挨拶なさい」

「は、はい! シャル様、エミリアと申します。御一緒させていただいても……よろしいのでしょうか?」

「ありがとうございます! では、エミリア様もあちらへ行きましょう!」

「えっ!? お、御手を!? わ、わたくし——」


 今日は珍しく左右のソファーが埋まったのね。最初のテーブルには私一人が着いているだけ。たまにはそういう日があってもいい——


「グレース!!」

「カタリナ、はしゃぎすぎよ。歳下の子達に見せる姿ではなくてよ」

「かまわない。ここでのことは、秘密なんだろ。それより、シャ——あの方が、どうしてここに居るんだ! フェリシアも機嫌が良すぎて気持ち悪い!」

「そう。皆、この会を楽しんでいるようで、なによりね」


◇◇◇


「さくら様、今回はどうでしたか?」

「残念だけど、彼女たちは違うわね」


 無邪気なマリアンナ・アルコル、真面目なセリーヌ・フィオレン、偏った趣味のエミリア・モンティーニ、そして騎士を目指すカタリナ・ランデンベルク。彼女達は真っ直ぐすぎる。いえ、歪んでいるかもしれないけれど、見ている先までは歪んでいない。あの様子では友人関係も励まし高め合う、善きものなのでしょうね。


「そもそも、グレース様に対して、害意を持つほどの令嬢がいるのですか? リアナ様は順調に批難や嫉妬を集めておりますが……」


 カリーナの言うとおり、学園内に私に敵する存在は見つからず、反対にリアナの逆ハーレムは嫉妬を集めている。そもそも物語として、虐めるだけの令嬢が悪行がバレたからと学園全体から批難を受けるというのがあり得ないのよ。けれど、


そうなっているの」


 卒業パーティ、その場で答辞を述べる代わりに行われる断罪。ニールセン達が敵意を向けるのは構わない。私が問題にしているのは、ニールセンの暴言を信じ、賛同を促す人物がいる。おそらくは女生徒、一般の男子生徒では圧に欠ける。


「取り巻きをしていた方たちでは……」

「真っ先に呼んだ彼女たちね。あの謝罪と涙が嘘だというのなら、私の負けでいいわ」


 リアナを虐めた実行犯。女郎蜘蛛の会では最初に彼女たちを招待した。妬む以外、他に理由があったのかと聞いてみると、私に構って欲しかったと縋られた。

 エリ、そしてフェリシアと協力することで秘密が増えると考えた私は、取り巻きは不要と追い出してしまった。本当は周りに目を向ける余裕がなかったのかもしれない。そこは反省すべき点だった。

 お詫びに彼女たちにはグレースの私物を持たせることにした。それを断絶だと受け取られたときはさすがに慌てたけどね。

 そんな彼女たちも最後は憑き物が落ちたように朗らかな笑顔を浮かべ、胸を張って退席した。

 おかげで女郎蜘蛛の会は名前の印象とは裏腹に、私に甘やかされる会だと認識されている。


 そんな会合に敵意をもつ人物が参加するわけがない、故に招待を断った人物の交友関係を探り、敵意がないことを再確認しているようなもの。たまにツンツンしている子もいるけれど、目を合わせれば可愛らしい嫉妬を教えてくれる。


「そろそろ会も休止かしらね」


 これまでに招いたのは百八人、学園の全生徒のおよそ三分の一。彼女達に連なる友人関係は目を瞑れる程度のもの。残りの令嬢はまだそれなりいる。ただ最後の一人まで招くと断罪の前に追い詰めてしまうかもしれない。

 結局、最も強い感情を持っていたのは取り巻きだった彼女たちだけど……あのまま続けたとして、断罪に加担するほど、嫉妬を募らせるのかしら?

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