第26話
会もたけなわ、誰もが楽しんでくれている。その実感を胸に、私の気持ちも弾むものだった。
けれど、残る二つのテーブルに向かおうとしたとき、それはひどく困惑したものに変わる。
「さくら様!」
現れたのは背中まで届く濃い青の髪の少女。彼女のことはよく知っている。だけど一度も招待はしたことはない。だって、彼女は、
「リアナ……さん? どうしてここに?」
「女郎蜘蛛の会があると聞いて、走ってきました!」
屈託のない顔をして、私の目の前までやってくるとカリーナの静止を振り切って飛びかかる。その姿を見た令嬢達が悲鳴をあげた。
「きゃああああああああっ!!」
癒しを受けたあとも、既に五十人ほどと
そんな私めがけ、元気な少女がぶつかってきてはひとたまりもなかった。
「あっ……!」
倒れ伏す私に馬乗りになるリアナが、慌てて飛び退いても起き上がる力が私にはない。
今日は生徒会で送別会イベントのはず。それに、どうしてエリではなく、リアナがいるの。いえ、事情を考えるのは後回しでいい。この状況は非常にまずい。勝手をさせてはいけない。なのに身体が言うことをきかないの!
「ご、ごめんなさい。私、ついいつもの癖で……えっと、今、治癒をしますね! 神に——」
「待ちなさい! 何をしようとしているの!?」
白い聖女の姿が目に入ると少し安心する。だけどミスティアだけでは止められない。だからお願い——
「えっと……ミスティアさん? 聖女の格好でどうして? あ、そうだ。さくら様が倒れたんです。一緒に介抱しましょう。手伝ってください」
「ふざけないでっ! あなたがグレース様を押し倒したのでしょう!」
「グレース様は疲れていらっしゃったのよ! どうして飛び込んできたりしたの!?」
「え? だって知らなかったから……?」
リアナは令嬢の張り上げる声に怯まず、暢気な言葉を続ける。この態度は卒業を前に最も気が抜けている状態。その隙を見て、グレースは賊に襲わせるイベントを起こすことを決める。まさかこれが
次の行動が定まらないまま、辺りがまた騒々しくなる。
粗野な声が門扉の方から聞こえくる、その方角から走ってくる金髪の男子生徒は——
どうしてあなたがあらわれるの
何かに力が吸われていくように、急に目が霞む。目を開いておく力も入らない、だったらせめて……
「リト……グレー……お願い……」
正気を失わないで
▽▽▽
さくらが目を閉じ、何かを伝えようとしたことはわかっていた。だけどその内容まではわからない。それでもさくらならきっとこう言うはず。「リトル・グレース、少し任せる」って。
本当に私と身体の奪い合いをした相手だって覚えてるのかしら。気を遣って、普段は別邸に籠もりっぱなし、
今はリアナに対してミスティアとカリーナが、ニールセンに対してシャンティリーが、アインザックやカルフェス、シルヴィスにはフェリシアと準備会が対峙してくれている。さくらが招待した令嬢達には何があっても問題に介入させないでと言った事を、皆が忠実に守っているのね。
運がいいことに、ニールは裏方に戻っているおかげで気づかれていない。
……あれ? 私が心配するのはニールだけ? ニールセンのこと全然気にしてなくない? これっぽっちも?
あははは。じゃあ、私、好きにしていいんだ。
「ニールセン殿下」
▽▽▽
さくら様の悪い予感は、最悪な形で実現してしまった。
リアナは何を言われても自分のしたことは関係がない、勝手になったことだと、まるで理解を放棄している。
無自覚の悪というのは悍ましい。私がライバルキャラだからそう感じ取ってしまうのか、これほどまで彼女が醜悪だと思わなかった。
ミスティアが対峙しているおかげで勝手な治癒はされていないが、綺麗な顔に大きく広がる擦り傷が痛々しい。疲労困憊のさくら様に治癒をすれば体力が尽きる。場合によっては長く目が覚めなくなるかもしれない。そんな基礎的なこと、少し教会で学んだ私でさえ知っていることだ。エリ様であれば知っていることもリアナは記憶していない。なんてチグハグな……
さくら様の指示通り、ミスティアは涙を浮かべながらも癒しを行おうとはしていない。さくら様は自分に何かあっても最後でいい。周りの安全が確認できてからと厳命した。招待した令嬢達を何事よりも優先して欲しいと願ったからだ。
リアナは既にさくら様に興味を失いつつあるのか、会場を見渡し何かを探す様子を見せる。その間にミスティアはさくら様を本邸に運び込もうと近くの令嬢に声をかけた。
しかし私はミスティアの声に動かず、別の声に意識を向けてしまっていた。
「ニールセン殿下。リアナ様が侯爵家当主代行に対し傷害を起こしました。邸宅を警護している近衛隊長をお呼びください」
「リアナがそんなことをするはずがないだろう。勝手に決めつける貴様は何者だ」
まるで知らないという態度の王子に、私だけでなく周りも呆れてしまっている。グレース・ラヴァレン・ローゼンベルク様の名前は既に貴族名簿に追加が発布され、次に発行される名簿には正式に記載されたものが全ての貴族家に配られる。貴族に一名追加されるだけで権利関係に影響がある。それを真っ先に知らされるのは王城であり、王家だ。手続き漏れの多い地方の貴族ではない、彼女が属するのは最大規模の侯爵家。知っていることは当たり前だと思っていた。
「……御存知ないとは……これは失礼致しました。私、名をグレース・ラヴァレン・ローゼンベルクと申します。現在、侯爵家においての当主代行代理と言えましょう」
「聞いたことがない。ローゼンベルクにはそこのグレースしか娘がいなかったはずだ。貴族の名を騙れば犯罪だぞ。貴様こそ捕縛の対象だろう。望み通り呼んでやる」
「お兄様、いい加減になさいませ! 彼女は正式に養子となったローゼンベルク家の次女です。責務さえも蔑ろにしておられるのですか!?」
「なんだ、シャンティリー。正装とは珍しいな。ここで何している?」
「受け答えもまともにできないとは……本当にリトル・グレース様の言うとおりですね」
「たぶん、王女殿下の想像以上ですよ」
「俺を無視するか。いいから答えろ!」
ほとんどの参加者はさくら様の姿を隠すように集まり、ミスティアの指示に従って本邸へと移動を始めている。王子と王女殿下の対峙が気になるものが会場に残り、わずか数人だけが彼女の行動を見ていたに過ぎない。
「あっ!」
そして、その目的に気付くも、上げた声はあまりにも遅すぎた。
「あ! ニールセンだ! そっくり! ニールセンがもう一人いたよ!」
「なんだと!?」
リアナが指し示す先は建物の影、ニール様は騒々しい様子を気にしてしまったんだろう。
「ザック! 捕まえろ! ここで何をしていたか吐かせる。女共は言うことを聞かなそうだからな」
「おう! お前のムカつく顔、一度殴ってみたかったんだ。代わりがいてよかったな!」
「そんなことをしてもリアナの気は引けないぞ」
「やってみなきゃわからないだろ!」
「やめて! ニール、逃げ……」
グレース様は最後まで言葉を口にできなかった。気を取られている間に、シルヴィスが後ろから口を塞ぎ、拘束したからだ。
「グレース様を離しなさい! 婦女子に手を上げるなど、それでも神官ですか!?」
「シャンティリー殿下。この娘は未だ正体を明かしておりません。貴族邸にて不審者を捕らえただけのこと。咎められることはありません」
「なんてこと……いったい、何が起こってると言うの……」
ニール様はグレース様が拘束されたのを見て、自ら姿を表した。そして言葉通りアインザックがその秀美な顔を殴りつけた。わずかに残った令嬢の悲鳴が上がる。それをまるで褒美を得たかのように下品な笑い声で返すと、胸倉を掴みもう一度殴ろうとする。
「ザック! それ以上すると怒るよ!」
「ちっ! 相変わらず優しすぎるだろ、うちの聖女様は。感謝するんだな不審者よぅ」
掴んだ胸を押し放されると、ニール様はふらつきながら数歩後ろに下がり、堪えきれず膝を突いてしまう。
「ごめんね、痛かったよね。ザックったらすぐに乱暴するんだから。私が痛みを取って……」
リアナはすぐに駆け寄ると、さっきと同じように治癒を行おうとして、手が振り払われた。
「施しは、必要、ありません」
そのまま立ち上がると、ニールセン王子の元へと歩き始める。そして目の前まで辿り着くと、拘束されているグレース様に微笑んで王子に向き直った。
「私はお前の影武者だ。何故必要で、どうして隠されていたか、その程度考える力は残っているだろう。それがわかったら、グレース様を解放しろ。捕縛するなら私だけで十分のはずだ」
「……気持ちが悪い。まるで鏡を見ているみたいだ。だが、気に入らないな。俺の影武者だと? そんな話は聞いたことがない。何故ローゼンベルク家にいる、グレースは何を企んだ? 言え!」
「お兄様は本当に……」
「お前は本当にニールセン・ヴァンデルベルクなのか? 何故今の言葉だけで理解できない。私はお前の身代わりになるために用意された。お前を失いたくないと、グレース様が望まれたからだ!」
「ちっ! 賢しいな。大方、相手してやらなかったから、下男を寝所に招いただけだろう。絆されたか? 嘘も大概にするんだな!」
パンッ!!と甲高い音が響く。あの朗らかなシャンティリー殿下がニールセン王子の頬を張った。兄妹仲は良いと噂されていただけに、目にしてさえ信じられない。
シャンティリー殿下は振り切った手の震えも治らないまま、声を張りあげる。
「どれだけ人を愚弄すれば気が済むのです! 恥を知りなさい!!」
「妹だからと——」
「ニールセン、兄妹喧嘩なんて悲しいわ。それにその人もグレース様のお手つきなんだったら、もういらない」
「……そうか。リアナが言うんだったら仕方がないな。だが、不審者二人は連れて行く」
「ここは侯爵家だぞ! 王子だからと勝手してもいいものか!」
「どこにその当主がいる? 詐称する者だけで、本人はいないではないか。不在であるなら上に立つものが判断するべきだろう。その程度、下男には理解できないか? カール! 遊んでないで衛兵を呼んでこい」
「遊んでいたわけじゃない、説教をしていただけさ」
カルフェスが振り向こうとする、そこに「待ちなさい!」と声がかかった。
「上に立つ者と言うのであれば、未来のないお兄様は権力を振るう資格はありません。これより私が仕切ります」
「シャンティリー! おまえ、何を言ってるのかわかっているのか!?」
「もちろん理解しております。権威権力を振るうにはそれなりの資格が必要と言うことです。ご説明いたしましょうか?」
全ての耳目を集め、誰も動き出さないのを確認すると、王女殿下はようやく口を開いた。
「お兄様。本来庇護を受けるべきお兄様が、ペットを放し飼いにしてその当主に爪を立てた。それがどう言うことかお分かりですか?」
「リアナをペットだと?」
「あら、現状を正しく把握しておられるのですね。その
くすくすと余裕のある笑みを浮かべ「これは余談でしたね」と聞こえるように言う。
「お兄様に下賜される爵位は公爵。公爵家ともなれば、それはもう莫大な税金を納める必要があります。数年は統治を優先するため、免除されるでしょう。その後は誰に頼るつもりです? 学園にいる間に、どれだけ優秀な人材を集めましたか? 集めたところで、活躍する場がなければ同じことですが。私は呼べば声が届く程度の男爵領が、お兄様にはお似合いだと考えます。それも、貴族で居られればですけれど」
「……何が言いたい」
「そこの神官が拘束している彼女、グレース・ラヴァレン・ローゼンベルク様はベルシア自治領からの留学生。王国が迎え入れた保護すべき対象、といえばご理解いただけますか?」
「なんだと!? だったら、どうしてローゼンベルクを名乗ってる!」
ようやく話を飲み込めたのか、それともその問題だけは気付けたのか、王子は途端に狼狽始めた。
「お義姉……グレース様がその優秀さゆえに、直々に養子に迎え入れたのですよ。本当にグレース様はお手が早いのです。彼女は王国籍を得ておりますが、同時にベルシア貴族の娘でもあります。それを不審者として捕らえた神官はどのような言い訳が認められるのでしょうね。お兄様は詐称などと言っておりましたが、証拠があるのですか? 王国の貴族相手なら勝手が許されると思いましたか? 私、ある人に叱られてから調べました。現在グレース様は彼女を迎え入れるため、ベルシア自治領に対して多額の融資を提供しております。それを基に、これから始まる交易と利益の供与で、侯爵家に齎される富は計り知れないものとなるでしょう。そこに楔を打つことができたのです、お手柄ですね。教会は関与を否定するでしょう。そうであれば関わる者は徹底的に調べられますね。軽くて資格、爵位の剥奪。普通に考えれば処刑が妥当でしょう。また、当主の許可なく貴族邸に押し入り、あまつさえ乱暴を働いた騎士の見習い。誰がそのような利己の快楽を優先する騎士に、重要な役を就かせられましょうか。よしんば推挙があったとして、私が取り下げさせます。上に立たせません。そうそう、そこの眼鏡の貴方、私の侍女に説教と言いましたね。主人として直接事情を聞かせていただきますので、その場から動かないように」
そうしてひとつ呼吸を置いて、シャンティリー殿下はにこりと笑みを浮かべる。
「ご理解いただけましたか? このような側近しかいないお兄様に未来はありません」
視線の先には全てを失った、ニールセン・ヴァンデルベルクの姿があるだけだった。
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