第25話

 最後の女郎蜘蛛の会、当日。

 ローゼンベルク家の本邸はこれまでにない着飾った令嬢達で溢れ返っていた。私の役目は一人ひとりから挨拶を受け、それぞれに参加の証として、同種で揃えたネックレスを首に付けていくこと。途中からは挨拶に時間がかかり過ぎて、四人まとめて挨拶を受けることになったのは誤算ね。


 準備会のメンバーは幾人からの贈り物を受け取り、手荷物を預かると、この日のために整えさせた庭園へと令嬢達を案内する。何度も繰り返される移動に、彼女達は疲れよりも手応えと静かな興奮を見せていた。

 私も最後の挨拶に訪れた小さな二人、ロザリンドとクラリスの手を握り、会場入りを果たすと、大きな拍手で迎え入れられた。


 そこに集まった人数は百十四人。卒業してしまった方々は呼べなかったから、前回の参加者が六割、四割が新しい顔ぶれとなる。これだけの人数に対して、主催する側は私、リトル・グレース、カタリナ、エミリア、セリーヌ、マリアンナだけでは手が足りない。応援にカリーナ、ミスティア、フェリシア、そして、


「皆様、女郎蜘蛛の会にようこそお越しくださいました。懐かしい顔ぶれの方々も、初めてのお顔も多く見かけられますね。改めまして、シャンティリー・ヴァンデルベルクと申します。この会では、シャルとお呼びください!」


 テラスに登壇したシャンティリーは、いつもの侍女服ではなく王女として正装を見事に着こなしていた。集まった令嬢達に向かって優雅にカーテシーを見せ、その見覚えのある姿に、辺りは黄色い声で埋め尽くされる。

 準備に翻弄されたフェリシアは「これって王家が主催することじゃないんですか!?」と悲鳴をあげていたけれど、あくまでも令嬢達による自主的なもの。国費は使わず全て侯爵家持ち、国にも文句は言わせないわ。

 シャンティリーは満面の笑みで周りに愛想を振り撒いている。彼女こそ、この会を一番楽しみにしていたのかもしれないわね。


 その正体について、知っている者もいれば、参加を知って慄く者、以前に会ったあのお嬢様が王女殿下だと気づいて気を失う者までいる。慄くの者の中に、隣に並ぶセリーヌとマリアンナも含まれている。


「え……シャル様って、王女殿下様……」

「セリーヌ、気をしっかり持ちなさい。殿下に様は不要よ。敬称について勉強がしたいの?」

「あ、あれって、本当に、あのシャル様なんです!? 私いっぱい抱きついちゃって……」

「あれとかあのとか言っちゃだめじゃない。でも、そうよね、私も手を取られた時は気を失うかと思ったわ」

「「知ってたのなら、教えてください!」」

「会のルールを忘れたのか?」

「「あっ!」」


 カタリナとエミリアが二人をフォローするけれど、この程度は前回の参加者なら半数ほどが知っていること。社交が始まる前に知れてよかったじゃない。前もって知っているのは優秀な貴族子女として評価が高くなるわよ。ここにいる全員がそうなるのだけれど。

 シャンティリーに代わって、私が登壇すると黄色い声が一瞬にして消える。なんだかゾクゾクするわね。


「主催として一言述べさせてもらいます。長い間、会を休止して申し訳ありません。私が遊びで始めたことが、影響を大きく残してしまったの。今も不安に思っている方もいるでしょう。私も噂を耳にした時は驚いてしまったわ。だけど、あなた方に責任は何一つありません。この会のルールを守り、自ら律して来られたのです。その証拠に、シャンティリー殿下が王城から抜け出して遊んでいたこと、叱られたことがないそうよ。ふふふ、そうね。私もびっくりしたわ。それを知っているからこそ、私はあなた方を誇りに思います」


 くすくすと零れる忍び笑いや、肩や背を叩き合う音が耳に入ってくる。それぞれの名前を思い浮かべていると、ひとり涙を溢れさせる子と目が合った。記憶にある名前はアドリエンヌ・フォルティア子爵令嬢。彼女は涙脆いものね。笑みを向けると、顔を真っ赤にして伏せてしまった。


「前置きが少し長くなってしまいましたね。私の主催する女郎蜘蛛の会は今回を持って最後となります。学生ではなくなる私達はこれから先、いろいろな出来事があるでしょう。ですがこの会に参加された方々を、私はずっと友人だと思っています。あなた方が新たな立場を得て、そう呼べなくなっても関係ありません。辛いことがあれば女郎蜘蛛の会を思い出してください。困ったことがあれば相談してください。私はいつまでもあなた方の友人です」


 今度は誰も顔を伏せたりしない。真っ直ぐ貫くように私を見つめてくる。


「私は間もなく卒業することになりますが、二年後にシャルが学園に入学します。彼女も女郎蜘蛛の会の立役者、何か企画してくれるかもしれません。ぜひ彼女を助けて、新しい仲間達と共により良い学生生活を楽しんでください」


 一斉に「はい!」と声が響く。この場にいる三分の二は卒業してしまうのだけど、彼女達を残念に思わせない。この会は今日だけのもの、二年後に知った生徒はこの会に参加できなかったことを羨ませる、そう思わせれば大成功ね。


「お待たせしました。淑女の皆さま、ここで身に付けた物はお好きにお持ち帰りいただいて結構です。ですが一つだけ御約束があります。この場あったことはここだけの秘密。何人なんぴとにも語られませぬよう、お気を付け下さい。それでは、外の世界を忘れ、ごゆるりとお楽しみください。グレース・ローゼンベルクの名前において、最後の女郎蜘蛛の会、ここに開催を宣言します」


◇◇◇


 盛大な拍手で始まった会はそれぞれが飲み物を手に取り、おのおの喉を潤す。今までであれば私やシャンティリーが声をかけて行くのだが、今回はひとつ趣向があった。


「皆様、各テーブルに伺う前に御紹介したい人物がいます。ニール、おいでなさい」

「はい」


 私の横に、少年が並ぶ。その顔を見た令嬢が次々に驚きの声を上げ始めた。その伝播が会場中に行き渡り、息を飲み込む音が僅かに聞こえる。

 そして一人の少女が声を上げた。


「お、お兄、様……?」


 シャンティリーが信じられないものを見たように、私と少年の間を行き来する。私とニールセンの関係がどうなっているのか、身内で彼女ほど知る者はいない。


「彼の名前はニール・エヴァーグレン。私の指示で、ある人物の影武者として育てておりました。この場に呼んだのは、もうその必要がなくなったからです。そのことがどのような意味を持つのか、皆様にはご理解いただけているものと思います」


 ただ言葉を紡いでいるだけ、それなのに酷く喉が渇く。私自身になんの思い入れもない、それなのに身体は無感情を許してはくれなかった。この場で演技なんてする必要もなく、ただ今後の憂いをなくすためだけに利用しただけ、それなのに熱く零れるものが止まらなかった。


「彼を紹介したのは私に二心がないことを知ってもらうため。彼は我が領地に封じ、リトル・グレースの補佐をさせ領外に出さないことをここに誓います」


 私の挨拶と共に、ニールが頭を下げる。その所作は間違いなくニールセンと同じものだった。

 本当はもう少し嫌味の言葉を重ねるつもりだった。なのにどうしようもなく、私はグレースの身体を使のだと思い知らされた。


「ごめんなさい、少しリトル・グレースに任せるわ。ニールも彼女に従い……さい」

「はい、お嬢様も一度化粧を直しましょう」


 そっくりなこえでわたしをしんぱいしないで


◇◇◇


 ミスティアとカリーナに執務室まで付き添われても、まだ私の涙は止まらなかった。自分では悲しいと思っていないはずなのに、声を張り上げて泣き出したい、その衝動を抑えるので精一杯だった。

 聖域結界サンクチュアリを使って、ようやく平穏な気持ちが戻ってきてくれる。あれほど感情を剥き出しにしてしまったのは生前でもなかったかもしれない。そう考えると生まれて初めての機会があったことに感謝した方がいいかもしれないわね。


「ありがとう、ミスティア。落ち着いたわ」

「さくら様ですよね!? グレース様じゃありませんよね!?」


 本来、私事では認められることのない、聖女の正装までしてきてくれたミスティアに両手を伸ばして抱き締める。


「あなたの知るグレース様はこんなことしてくれるかしら?」

「よかった! でも、さくら様もそんなことをしてくれませんよ?」


 そうかもしれない。ミスティアから抱き締められた経験は何度もあるけれど……


「そうね、私からしたことってなかったかもしれないわね。じゃあ別人ね。初めまして私はAliceです」

「え? Alice……様? さくら様じゃ……?」

「ふふふふ、安心して、私はさくらよ、さくら。ふふ、ごめんなさい、ちょっと感情がうまく制御できてないみたい。少し待って、落ち着けるから……」


 きょとんとするミスティアに可笑しくなって、つい声を出して笑ってしまう。このぐらいならいつものことなのに、どうしてこんなにも感情が揺さぶられるのだろう。

 折角聖域まで使ってくれたのに、台無しね。

 深呼吸をして少しでも落ち着ける。涙もすっかり乾いた。人前に立つのよ、気持ちを切り替えないとね。


「…………ふぅ……よし、カリーナ、化粧——」

「こちらに」

「あ、ありがとう。用意がいいわね」


 カリーナは補佐役を外して自由になったのに、少しでも役立てるようにと、必要な準備と練習をしてきたそうだ。根っからの尽くすタイプなのね。

 今日の化粧は自分で選んだから一人でもできるのに、顔を洗い落とされ、テキパキと仕上げられてしまった。鏡に映る姿はさっきまでの大人びたものから少し幼さが見えるものとなっている。一番の特徴はアイラインが丸みを帯びて、たれ目に変わったこと。


「これ、子供っぽくないかしら?」


 涙袋が大きく見えて、泣いていたことが隠せていないんだけど。


「いいえ、今のグレース様に必要な化粧です。似合っていますよ」

「……そう。そうね……今のグレースなら、似合うわね」


 衣装も別に用意され、肩ぐりの開いた大人びたものから首を隠した青いドレスを身に纏う。今の私はグレースを演じている。そのことを忘れていたのかもしれないわね。


「ありがとう、二人とも。主催が出ない会合なんてないわ。心配かけた分、皆を楽しませるわよ。手伝ってくれるわね?」

「はい!」

「もちろんです」


◇◇◇


 会場に戻った私は、さっきの出来事について詫びた。


「もう、吹っ切れたと思っていたのに、格好悪いところを見せてしまってごめんなさい。でも、この場が女郎蜘蛛の会で良かったわ。皆様、そう思いません?」


 口々に労いと賛同の言葉を送ってくれる。

 その中からやはりシャンティリーが近づいて声をかけてくれる。


、私はどのようなことがあってもお味方です。決して見捨てませんわ」

「ありがとうございます、シャンティリー殿下。引き続き、シャルとお呼びしても?」

「ええ、もちろん。私は……どうしましょうか?」

「よろしければ、グレースと。癖が抜けないようでしたら義姉で結構です」

「そうですね、ずっと癖が抜けそうにありませんわ、お義姉様。それから、あとでたっっっっぷりお話を伺いたいです!」

「お手柔らかにね、シャル」


 私が戻っても会は淀むこともなく、それどころか歓迎ムードが培われていた。それはシャルだけでなく、リトル・グレースと準備会四人のおかげだった。もちろん裏方で懸命に飲み物や軽食、お菓子を用意する使用人や職人にも感謝している。

 各テーブルには六人ずつが着座したり立食したりと、この会では自由。なのに私が向かうと皆が立ち上がって迎えてくれる。何人かは心配そうな顔を見せてくれるけれど、感情を隠すことのできる令嬢もいる。そんな頑張った笑顔を見せられると、愛おしくなる。一人一人を抱き締め、もうまとめて二人一緒に抱き締める。恥ずかしがって逃げ腰になってしまった子は、捕まえてまで抱き締めてあげると顔を真っ赤にして気を失ってしまった。「やりすぎてしまったかしら?」と口にしてしまってからは、近くにいた令嬢達が集まって「私はまだされていません!」と言うので、もう手当たり次第だった。


 参加者の半分ほどが終わると、貧弱な私は力が入らなくなってしまい、腕が上げられなくなってしまった。遂にはカリーナによるドクターストップがかかり、今はミスティアに癒しをかけてもらっている。待ってくれていた令嬢達は、そそくさと自分のテーブルに戻り、何食わぬ顔で世間話私の話に興じている。


「お義姉様、はしゃぎ過ぎじゃありません?」

「そうね、でもまだ半分ほど残っているわ」

「ご乱心ね。いつからそんなに愛あふれる御令嬢になったのかしら?」

「さっきからよ。きっと、最後のコインが裏返ったのね」

「あのコインが……そうね、だったらそうなるわね」


 グレースにはわかってもらえると思う。唯一、ニールセンにのみ愛を向けていたコインが裏返った。それはとりもなおさず全てのものが愛おしいと感じるほどのもの。慣れてしまえばこの衝動も抑えられると思う。だけど今ばかりは彼女コインのしたいようにさせてあげたかった。

 私の乱心が胸の内に留まっている間は、シャルとフェリシアが各テーブルを回り、再会の挨拶や新しい参加者の目を回して愉しんでいる。

 ふと、会場にニールの姿が見えないことを尋ねてみた。


「言ったでしょう。私のパートナーだと話したのに、色目を使ってくる令嬢ばっかり! ひと通りのテーブルを回らせた後は引っ込んでもらったわ! 何がお茶のお代わりよ、あんなのカタリナに任せればいいのよ、一人にしたら全員がねだるに決まってるでしょう!」


 プンプンと擬音がつきそうなぐらい怒りを見せていると、聞こえていた令嬢は気まずそうに下を向く。でもこれって、グレースがわかりやすくアピールしてるだけだからね。手を出せば本気で怒るから、注意してね。

 本当なら聖女様にも各テーブルを回ってもらう予定だったのに、もはや私の介添人ね。カリーナにはコンディションチェックを受けているし、誰かの花嫁にでもなったのかしら。

 今一番大変なのは姿の見えない四人かもしれない。乱心を再開させるのと同時に、ミスティアには準備会の四人に休憩を取ってもらうよう、伝言をお願いをしておいた。

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