第21話
「お帰りをお待ちしておりました」
馬車を降りるとカリーナの隣に見覚えのある侍女が並んで立っていた。先日会った時は気づかなかったけれど、少しばかり背が伸び、今は私よりも高い。
「どうして彼女がここにいるのかしら?」
「聞き手は多い方が良いかと思いまして、前以て呼んでおきました」
「ご安心ください。王女殿下には内緒にして来ましたから、怒られるのは私だけで済みます」
「とんだ不良侍女がいたものね。王家への忠誠はないのかしら」
「もちろんあります。その上に貴方様が居られるだけです」
「本当に困った侍女ね……案内してもらえるかしら、フェリシア」
深く頭を下げると、フェリシアは我が家の如く先頭に立ち案内を始める。
挨拶が終わるまでは我慢していたのか、ミスティアは歩き始めた私の腕を取って笑顔を浮かべる。
その後ろにはリトル・グレースが続き、カリーナが末尾に着く。
「皆グレース様の毒牙に落ちたのね」
相変わらず言葉に棘を差し込むわね。仕方がないじゃない。その必要があったんだから。だけど一つだけ注意しておくわ。
「その一人はあなただってこと、忘れないでね」
「尻拭いをしてあげる程度には感謝しているわ」
「貴族の御令嬢でしょう? 後始末ぐらいにしておいた方がよろしくてよ」
「……礼儀作法で減点なんてあったら、許さないから!」
なんとなくで私が貴族令嬢が出来ているのも下地になったグレースの設定があるから。その下地が入れ替わったものだから、グレースからすると腹立たしいでしょうね。
私を押しのけてフェリシアの少し後ろに着くも、思わずそれ以上前に出そうになったのは堪えたようね。
案内の侍女より先に行くのはよほどの場合だもの。
◇◇◇
案内された部屋は誰もいない当主の執務室。首を傾げていると、歳の頃より老けて見える貴族男性が遅れて入室してきた。私の前まで来て、片膝を立てて跪く。清潔な衣服に白いものが多く混じるグレイの髪を、耳が出るほど短くしたものがよく似合う。頬が痩けているのはいろいろと心労があるのでしょうね。
私が黙っていると、男も沈黙を保ったまま動かない。
「顔を上げなさい、エヴァンジェリオ・シュトラウス伯爵。今日はカリーナに招かれて来たの。何かを頼みに来たわけではないわ」
「はっ! グレース様におかれましては、日頃より娘に目をお配りいただき感謝の次第もございません」
シュトラウス家の当主、エヴァンジェリオ・シュトラウス伯爵。カリーナの父親であることはわかるんだけど、設定がないから何も知らないのよ。普段はどんな対応……そうね、ちょうどいい機会かもしれないわね。
「エヴァンジェリオ卿、前言撤回するわ。ひとつ頼み事を思いつきました。従ってくれますね」
「はい、なんなりとお申し付けください」
「私の名義でこの家に貸し付けてある金子の管理を、このグレース・ラヴァレン・ローゼンベルクに任せます。義妹の事は知っていますね?」
元々グレースのお金だもの、扱い方は本人に任せるのが一番でしょ。
エヴァンジェリオ卿は目だけで私とグレースの間を行き来して僅かに眉を下げる。
「はい……優秀な御子が御家に入られたと伺っております。これほど愛らしい方だとは思っておりませんでした」
「ええ、本当にね。御存知でしょうけれど、父が倒れ、代行の責務を負っておりますが、私事については随時彼女に任せています。まだ幼いですが、私以上に頼れる存在になることは間違いありません。私が不在にしている間は彼女に頼ること。よろしいですね」
この程度なら問題ないでしょう。カリーナから話は通っているでしょうし、各家との面倒事はグレースに頑張ってもらえばいいわね。外身はリトル・グレースだけど、中身はグレースのままだから注意してね。言えないけど。
「はい、委細承知いたしました。グレース・ラヴァレン・ローゼンベルク様。御身をどのように御声掛けさせていただければよろしいでしょうか?」
「グレースでいいわ、おじ様」
「お、おじ様……」
「ええ、だって私みたいな子供に傅いてくれるのですもの、相応に接するべきでしょう? それから、お義姉様がいる時はリトル・グレースで構わないわ」
「承りました、リトル・グレース様」
「あ、もうひとつ、いいかしら?」
「? はい、如何様がありましたでしょうか」
「お義姉様が貸し付けた借金はなしにしてあげる。初対面でいきなり上下関係作るのって本当は良くないと思うの。だからおじ様と私の関係はここから始めましょう」
してやられたわ。これじゃ、全部私が悪いことになるじゃない。文句を言わせないつもりが、こちらが言えなくなってしまった。
目を大きく見開いたのはおじ様と呼ばれたからだけでなく、借金の帳消し。ローゼンベルク家からこれまでそんな提案を受けたことがないのでしょうね。
「ほ、本当によろしいのでしょうか?」
よろしいもよろしくないも、本人の意志だし、私に選択の余地はないのよね。
それに上下関係なしにするって大嘘じゃない。絶対服従を約束させるようなものよ。
こんな対応をしちゃうから、このおじ様は手玉に取られるんでしょうね……
「私は彼女に任せると言いました。確認するということは、私の指示にも従えないと判断します。理解していますね、エヴァンジェリオ卿」
「はっ! 失言でした。リトル・グレース様、並びにグレース様の御厚意有り難く頂戴致します!」
はい、減点ね。
◇◇◇
「カリーナ、良くこれまで頑張ってきたわね」
「面目次第もございません。父は誠実に過ぎるのです。将来は兄が家を引き継ぐのですが……」
カリーナの兄は領地を任されているが、性格は父親に良く似ているそう。貴族なんだからちゃんと勉強しなさいよ。
「会計はあなたがすべきね」
「それも良いかと思うようになりました」
本来なら令嬢として育てられれば、他家に嫁ぎ血筋を広げ協力関係を築いていく。家に残るということは、遠からず没落の兆しがあるということ。惜しいけれど、シュトラウス家の未来は明るくないのよね。
この王都の邸宅にしても、伯爵家としては粗末なもの。子爵でも十分維持できるほどの規模しかない。遮音の魔道具があるだけマシというところかしらね。
「試しに聞くのだけど、カリーナだったらどう答えたの?」
「そうですね……残りの元本だけは返済するので利息の免除だけで結構です、と考えます」
「甘いわね。そんなの損を受け入れてるだけじゃない。シュトラウス家は真面目すぎるのよ」
それを強いているのはローゼンベルク家、そしてグレース本人だけどね。
でも、それだけでグレースは強く出られなくなるのだから、最小限の出費とも言える。
「そもそも貸主に言うことが難しいのではなくて? でも、仮に私だったら、今まで支払った分で元本は返済している、借金そのものをなかったことにしませんか、というところかしら?」
「そうね、それぐらい言われると今後の取引は気を引き締める必要はあるわ。受け入れるかどうかは別だけど」
もっとあくどく言えば、元本は返済するから利息分は返して欲しいと訴える。だけどそれを言うと、今度は敵対したと見做されるから匙加減が難しいところね。
「あの、グレース様、さくら様、借金はなくなるのですから、同じことではないのですか?」
「先に相手の思惑を推し量りなさい」
「ミスティア、教会にも寄付があるでしょう? お金の多寡は問わず、気持ちだけを見るの」
「えっと、皆さん寄付されたいから寄付するのでは?」
頬に指を当て首を傾げるミスティアを眺めていると、フェリシアに「二人とも一部だけで説明したつもりにならないでください」と注意された。「引き継いでもよろしいですか?」と尋ねるので、彼女に任せることにした。
「ミスティア、寄付をするにも理由づけがあるでしょう。今は余裕があるから寄付をする、疾しい取引で得た資金を誤魔化すため、また教会の後ろ盾を欲する者」
「ええ、はい、わかります。そういう意味だったんですね。それと今の借金の話は、どう繋がるのですか?」
「それぞれの意図を理解した上で、この寄付は受け取れませんと返すの。どんな反応が思い浮かぶ?」
「そうですね……余裕がある方なら、自分の小遣いにする、でしょうか。疾しい取引の方ですと、別に隠す方法を考えないといけませんね。後ろ盾を欲する方は、受け取ってもらえないと困りますね」
「概ねそんな感じになるでしょうね。それぞれ正負の思惑があるわ。これをさっきの借金に当て嵌めるの。グレース様がどうしてお金を貸し付けたのか、シュトラウス伯が快諾した結果どうなるのか」
「グレース様はシュトラウス家に借金を作らせたのですから、貸しを作ろうとされたんですよね。伯爵はその借金を無くしてもらって感謝してました……あれ? 貸した方が一方的に得してないですか?」
相変わらず、フェリシアはミスティアの扱い方が上手ね。私だったら、遠回しに説明しすぎて、余計に時間がかかりそうよ。
でも、意図は正しく理解してくれたようで、グレースは満足そうに腕を組む。
「そうよ、エヴァンジェリオは無私で私に感謝したの。これで金銭の関係ではなく、恩義の関係になった。金銭で返済すれば良かっただけの貸しが、ずっと返せないものになるの。今後は私が何かを言わなくても、会う度にあの時に温情を貰ったと思い出すでしょうね」
「だから、カリーナ様はせめて利子だけでも免除と条件を緩和しようとしたんですね」
「そうね、だけどそれだけではシュトラウス家の負担は残ったまま。借金そのものを無かったことにして欲しいと乞えば、グレースとだけは上下関係のない間柄が始められたの。その意図を読めなかった時点で、エヴァンジェリオ卿は評価を下げたのよ」
「取引相手としては成長がないのは手応えがないし、なによりその程度しか理解できなければ仕事を任せられないわ」
「なるほど……えっと、ひとつだけ思ったんですけど。伯爵はグレース様が可愛らしいから言葉通り受け取ったというのは、なしですか?」
「なしよ」
「なしね」
何がおかしいのか、急に三人が笑い始めた。再会してからのミスティアはよく笑うようになったし、学園を辞めた後のフェリシアも笑顔を見せることは増えた。だけどカリーナが笑うのは初めてみた気がする。それも抑えきれずといった様子でだ。
「何がおかしいのかしら?」
「どうせ、さくらが変なことをしたのを思い出させたんでしょ。私に笑われる原因なんてないもの。きっとそうよ」
「たとえそうだとしても、見た目はグレースがしたことになるのよね。それともリトル・グレースの姿? 何か粗相でもしたかしら?」
「ほんっとうに、あなたは存在そのものが邪悪なのよ! さっさと向こうの世界に戻りなさいよ!」
「向こうの世界?」
「創造主の世界に決まっ……ミスティア! 途中で話に加わるのは失礼でしょう!」
「グレース」
「っ……!」
先にミスをしたのはグレースだとしても、八つ当たりは必要がなかった。だけど私もそれ以上言葉が継げなかった。
そもそも彼女達には私とグレースの関係全てを詳にしたわけじゃない。まだ早い……いいえ、伝えなくてもいいとさえ思っていたの。けれど、もう黙っているのは無理そうね。
「創造主様……」
楽しげに笑っていた三人の姿はそこにはなかった。あるのは、ただ茫洋とした畏れのような青褪めさせた顔だけだった。
「いいえ、違うわ。私は彼らと同じ世界に居たというだけよ」
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