第20話
いつものベッドとは違う、身動ぎの感覚が私の意識を取り戻させた。室内を照らす灯りがやけに眩しく、左手を掲げて陰を作るとホッとする。背中は柔らかい、どうやらソファーの上に寝かされているようね。少し身体にだるさはあるけれど、痛みはない。ミスティアに掴まれて皺になっていた学生服もいつの間にか綺麗にされている。心なしか普段とは違う香りがするのだけれど……
「恥ずかしいところを見せたわね」
「ご安心下さい。見ようとしたのはミスティアだけで、それも未遂に終わっています」
「安心できる話じゃない気がするのだけど。世話をかけたのね、カリーナ。それとグレースも」
ミスティアは何をしようとしたのかしら。診察だったらいいのだけれど。
寝たままでいる私に、カリーナは恭しく頭を下げる。反対に頷くこともなくニコリと笑みを浮かべたまま、グレースは胸を張る。
「ねぇさくら、体力はこの身体の方がありそうよ。返してあげましょうか?」
「心にもないこと言わないで。グレースこそ、気に入っているんでしょう?」
「ふふふ、言ってみただけよ。この身体になってから抱き着くとニールが身体を固くするの。だから最近は先に手を繋いでくれるのよ。そんなことで許してあげるなんて言ってないのに、男の子って可愛いわね」
グレースが自らを抱きながらクスクスと笑う姿を見て、カリーナこそ身体を強張らせていた。
元のグレースを知っていれば、誰でもそうなるわね。今の彼女は悪役令嬢ではなく、小悪魔令嬢といったところかしら。学園でも人気があるみたいだけど、ニール限定で良かったわ。
「本邸が騒がしいわけね。羽目を外し過ぎじゃないかしら?」
「良いんじゃない? 執事でさえ『お嬢様よりも楽しく過ごされているようで喜ばしいです』って本人の目の前で言うのよ、首にしようかって思ったわ」
「お好きになさい。困るのはあなたよ」
「まあね……と、こんな感じでどうかしら?」
「十分よ、グレース」
身体を起こそうとすると、すぐにカリーナが背中を支えてくれる。そして近づいた理由を小さく口にする。
「この方は本当に、あのグレース・ローゼンベルク様なのですか?」
「私の勘違いでなければ、本物のグレース・ローゼンベルクは一人しかいないわ。そっちにいるのはさくらでしょ」
耳ざとく疑惑を聞きつけ、腕を組んで不貞腐れるのは本物のグレース。私は偽物だものね。その彼女の後ろには両膝を突き、両腕を交差して頭を下げているミスティアがいる。少し前にも見た光景ね。その時はカリーナだったけれど。
「ミスティアも理解してもらえたかしら?」
カリーナと違って、ミスティアはすぐに顔を上げてくれる。やっぱりあれは彼女が頑固だったからよね。首から下は動かさないのだけど。
「は、はい! あの、だったら、これまで私がしてきたことって……」
「安心していいわ。私がグレース・ローゼンベルクだと知ってるのは、この場を除けば、フェリシアと弟、それからあのお姫様だけよ。今のあなたはただの女児愛好家ってところね」
「それも困るんですけど……」
どうやら私が倒れている間に事情は説明できたみたいね。これでミスティアが引き籠もりになることは避けられたのかしら。
「カリーナ、どこまで説明したの?」
「いえ、何も話をしておりません。ミスティアを取り押さえるので精一杯でした」
「え? おかしくないかしら? 正体を明かしたらミスティアは引き籠——自省して教会のお勤めに専念してしまうって言ってなかった?」
「そんなの、あなたがやりすぎたからに決まってるじゃない」
「記憶にないのだけれど? カリーナに言われて、ちゃんと厳しく当たったわよ?」
「はい、それはもうとっても!」
「本人もそう言ってるじゃない」
ミスティアの無礼な態度を咎め、落涙するまで言葉を投げつけた。まるで幼子のように自我を失いそうになって、ようやく許してあげたと説明した、のだけど。
「カリーナ、これはあなたのミスね」
「……そうですね。ここまでとは読めていませんでした」
「もしかして、私酷いこと言われてます?」
「不満や不安があれば先に言ってくれると助かるのだけど?」
やりすぎたと言われたのだけど、結果的にはいいのよね? ミスティアとは決裂していないし、引き籠もりにもなっていない。まだ教皇化する可能性は残してあるから、シナリオも破綻していないはず。この時期だともう少し大人びていたはずだけど、それだけは少し不安かしらね。
一つ深呼吸をすると、ぼやけていた思考がハッキリとする。
口を開こうとした私に、カリーナが申し訳無さそうに報告を口にする。
「さくら様、司書長から、目が覚めたら退出するようにと」
「そう……」
いったいどれだけ寝ていたのかしら、気合い入れたのが空回りね。
そろそろ残り時間が短いのだけど、こればかりはどうしようもない。
立ち上がってもふらつきはない。もう平気そうね。
魔道具を停止させると、カリーナが口を開く。
「表に馬車を回しております」
「ありがとう、用意がいいのね。リトル・グレース、手を取って下さる?」
「お義姉様は甘えん坊ね」
「っ……」
カリーナは一歩下がり、代わりにグレースが私の手をぎゅっと掴む。一度だけ握り潰すように力を入れたあと、柔らかく握り直すのはいつものこと。命じたあとの小さな仕返しは変わらないわね。
跪いたミスティアの前に立つと、彼女は泣きそうな顔をする。結局何ひとつも話したいことが口にできなかったものね。
「ミスティア、ゆっくりお話できなくてごめんなさいね。また明日にでも——」
「グレース様」
そう言ってカリーナが間に入ってきた。言葉を遮られることも珍しいけれど、それ以上に人と話している間に入ってくるのは珍しい。よほどのことかしら?
「これから当家にお越しいただけないでしょうか?」
◇◇◇
六人が乗れるほど大きな馬車に女ばかり四人が座る。対面にはカリーナとグレースが並び、私の横にはミスティアが腕にしがみつき、路面からの突き上げも楽しそうにする。私もそれを見て顔が綻ぶ。だけど、頭に浮かぶのは疑問。
これってリアナのイベントじゃないかしら?
リアナとカリーナの諍いはもっとも軽度。アインザックの好感度が上がればライバルとして邪魔をしてくるものの、彼女の操れる人や行動には限界がある。実家が伯爵家なのに困窮しているからだ。だから真っ先に脱落し、チョロい扱いされるアインザックのルートは簡単に確保される。その後の彼女はモブのような扱いにされるも、一度だけ浮上するイベントがある。それがリアナを家に招待するイベントだ。本人としてはアインザックの将来性を見越して、悪縁で終えるのではなく、繋ぎを残しておくのが目的。卒業までに学園内であった出来事を精算しようとするのはカリーナらしいと思うわ。そのため、必須イベントでもなく、喫茶店からの帰り道で偶然遭遇するものとなっている。see-nessのお楽しみでしょうね。
現在のシナリオではその好感度すらない。リアナを招待することもなく、スキップされたのだろうと思っていたんだけど……
「ねぇ、カリーナ。どうして私達を誘ったの?」
「ミスティアが話をしたそうにしていましたし、なによりグレース様がお困りのようでしたので」
「む……」
言いたいことはわかるし、内容もごく正論。だけど私が気にしているのは、彼女自身がこの舞台から降りたがっているのじゃないかってこと。この先、彼女の出番は少ない。卒業パーティーでは在校生に囲まれるも台詞は用意されていなかった。断罪もリアナ自身によって許され、役目を終えた彼女はエピローグまで登場しない。
問題なのは、イベントを発生させたことで、カリーナの謝罪は終わり、彼女は卒業パーティーに出席しなくなる。卒業証書の授与に式典はなく、参加は自由だからだ。
「何か考えられているようですが、もう少し楽しくお話をしたいと言うだけです。リトル・グレース様はあまり楽しくはなさそうですが」
「そうね、ニールを外に出せたら許してあげる。できないのなら、それなりのものを用意することね」
「あの、リトル・グレース様。何度も出てくるニール様はご友人の方でしょうか?」
ミスティアの迂闊な一言で、グレースは目を吊り上げ烈火のごとく怒りを見せる。
「あなた! 女児だけででなく男児にも手を出すつもり!? ニールは私の結婚相手、色目なんて使ってみなさい、聖職者を名乗れなくしてやるわ!」
「お、大声出さないでください。ここ遮音はないんですよ!?」
「ふん、知らないわ。次に何か言ってみなさい、洗いざらいぶち……んん、覚悟することね」
時折乱暴な言葉が出るのは下地になった給仕か、それとも急遽用意した男爵令嬢の設定かしらね。
案外、今のグレースに合っているから見ていて微笑ましいけど、元侯爵令嬢として許せないのね。睨んでも怖くないわよ。可愛いもの。
「うぅ、グレース様がリトル・グレース様なら良かったのに」
「何言ってるの。今がそうじゃない」
「そうですけど、そうじゃなくて……」
「だいたいあなた、時期を見るのが下手なのよ。おまけに要領が悪い。気づいていたんでしょう? さっさとこの方を教会にでも閉じ込めてくれたら、こんなややこしい関係にならずに済んだのよ。派閥の扱いも下手。才能があるから、その分野ばかり伸ばそうとして足元が疎かになるのよ。上に立つ者は失敗をしないように心掛けるの。情報を精査し、能力があるものに任せ、持ち上げて気持ち良く従わせる。それなのにあなたときたら、派閥の仲間が進んでするからと任せ、助けられ、持ち上げられて、それで良く責任者みたいな顔が出来るわね。「責任は取るから任せて」とでも言ったことあるんでしょう。卒業後まで派閥が残ってみなさい。やってないことまであなたの責任にされるわよ」
ぎょっとした顔を浮かべるけれど、私も同感よ。カリーナから聞いた、派閥運営の危うさ。統括を名乗る何人かが聖女の後ろ盾があるように見せかけて、商人と癒着を強める、教会に直接言葉を伝えられると、権力を匂わせる。小さいことまで取り上げればきりがないぐらい。それはなにも学園の派閥だけに限らない。仲が良いとされる修道士や司祭からも良く働いてくれると評価されるが、それは都合良く働いてくれるから。その事に気づいたミスティアは人を信用できなくなり、神に絶対の忠誠と奉仕を掲げ、政治の舞台に上がる。そして女教皇として成り上がったミスティアは
まったく、ひどい話を作り上げたものよね。
震えるミスティアの肩を抱いてあげると、ふっと力が抜ける。グレースが呆れた顔をするけれど、仕方がないでしょう。このままだと最初にミスティアが壊れるわ。
「せっかくだから、いろいろお話しましょうか」
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