第19話

、本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」

「よく来られたわね、ミスティア。私を避けていたようだったから、ここには来ないと思っていたわ」

「とんでもございません。たかが子爵家の娘がお手を煩わせることもないと、辞退しておりました。この度は妹御を迎えられ、是非、教会にも足を運んでいただければと、顔を繋ぎに来させていただきました」

「そう……あなたのと聞いていたのだけど、本当だったようね」


 ミスティアの頬が僅かにこわばり、「お耳汚しで申し訳ありません」と頭を下げた。

 どうして私はミスティアに敵意を向けられ、自分から反感を買うような言葉で迎え撃っているのか。それは派閥を管理してくれているカリーナが、ミスティアから「グレース様に会わせてほしい」と連絡を受け取ったところから始まる。


「勘違いしている?」

「はい、ミスティアはリトル・グレース様の中にさくら様がおられると思っているようです。ですのでゆっくり話す許可を得るために、グレース様に面会を申し込んできたのだと思います」

「そうなの……だったら戻ったことを伝えればいいかしら?」

「それが、そう簡単な話でもないようです」


 カリーナはどうにもミスティアが隠し事をしていることが気になるらしい。教会に籠もるようになり、交流も減った。話題を共有することもなく、頼ってくることもない。そんな彼女が何かをやらかしそうなので、フェリシアからのお茶会の誘いも断ったそうだ。

 そして極めつけが、


「あんまりしつこいから、「お義姉様に許可を得なければ教会には行けない」って断ったのよ」


 留学生でもあるリトル・グレースは授業に出なければ評判を落としてしまう。何より私の義妹になったということで、これまで以上に注目を浴びている。過去に受けた教育であっても、嫌な顔ひとつせず参加するのだから私なんかよりよっぽど立派ね。

 その授業の合間にミスティアが迫ってくるらしい。ミスティアは私の名前を出さず、グレースもリトル・グレースであるように振る舞っているから、意思の疎通が全くできていない。それなのにお茶会や教会で行われる祭事に幾度となく誘う。表情は穏やかでも、まるで少女を拐かすような態度は少しばかり有名になってしまった。

 リアナのように特別な才能が見られるわけでもないだけに、あれは彼女の趣味なのだろうと噂が立つほど。


「つまり、ミスティアの立場を改善してあげないと、協力関係は築けないということ?」

「そのままさくらって名乗ってみなさい。私に熱烈にアプローチしてきたことを思い返して、ますます引き籠もるんじゃない? 私だったら、処刑の見届人を買って出るわね」


 私が不在の間、グレースとミスティアは明確な敵対関係にあったらしい。そのグレースに媚を売るように見えるだけに、彼女としても扱いに困ったのだろう。「さくらのせいよ」と私に丸投げしてきた。

 処刑の見届人は教会の役割の一つ、任にあたる者は精神統一のため外界と距離を置き、個室で一人にされる。凄惨な場において心身に失調を来さないよう、修行の一環でもあるそうだ。穴があったら入りたいを体現するようなものかしら。


「カリーナは、何か思うところはあって?」

「……正直、ミスティアが何を考えているのかわかりません」

「そうね……」


 オラクルとのシミュレーションでは完全に決裂しているか、それとも協力している状態で検討していた。今のようにどちらでもない状況は想定していない。そもそもリトル・グレースの存在がイレギュラー。もっと言うなら、私がシミュレーションを繰り返したことで、last_orderとpeace_makerが先を読ませないよう、直前に選択させたと考える方が腑に落ちるわね。

 カリーナも頭を悩ませながら、ひとつの提案を口にする。


「荒療治をするのはどうでしょうか?」


◇◇◇


 絶対にミスティアを甘やかせてはいけないと、カリーナに念押しされて私は彼女と対峙している。場所はいつもの喫茶店ではなく、カリーナの用意した書庫の一室。ここでも魔道具を使えば内容が漏れ聞こえることもない。ただし、リトル・グレースがいるとややこしいことになるからと、今は二人きりだ。


「グレース様、私にあの方への害意はありません。ただ交流をもちたい、それだけにございます」

「ふうん、交流ね……いつの間に教会の流儀に倣うようになったのかしら。前に会った時はあれほど直裁に言葉を口にしたのに、隠すのが上手くなったのね、ミスティア。今のあなたを信用する理由がどこにあって?」

「信用に足るだけの誠意をお見せできます」


 嫉妬に駆られるとヤンデレ化するという性質こそあるものの、本来の彼女は天真爛漫。本心を曝け出すのに抵抗を持たず、それゆえに人気の高かったキャラのはず。その彼女がまるで成熟した信徒狂信者のように言葉をはぐらかす。周りカリーナが警戒するわけね。私がグレースだからここまで皮を被っていると思いたい。ハリボテなら剥がしてあげたいところだけれど……荒療治って言われてるものね。


「それなら、派閥を解体しなさい。今のやり方は目に余るわ」

「申し訳ありません。そればかりはお受けできません。私も代表を務める身。彼女達に責任を負っております」

「そう、だったら話は終わりよ。帰っていいわ」


 私が腰を上げると、ミスティアは予想外に狼狽える。


「お、お待ちください! 話をするだけで、どうしてそのような強硬に……」

「言ったでしょう。信用する理由がないと。あなたは聖女ではあっても子爵の娘、考えが及ばないのでしょうね。父が伏せっている今、私は侯爵家当主の代行。養子に迎えたリトル・グレースを、家族を護る責務があるのよ。それとも、ベルシア自治領の家族に、あなた方が育てられた子は教会に連れて行かれたと説明してくださる?」


 寄る辺なく彷徨うミスティアの手が膝に落ちた。

 教会に招くのは構わない。けれど、迎えに来た人物ミスティアが問題なのよ。聖女様が出向き直々に連れて来られた人物がただの人であるはずがない。能力が乏しくとも、取引材料になると思われた時点でリトル・グレースは教会で特別な待遇を受けることになる。おまけにローゼンベルク家は孤児院に対して寄付は数知れない。その家に養子となった少女を教会がどのように遇すか、最低でも司祭様が接待につくでしょうね。だからグレースは教会に行かないのよ。一人で行けば引き留められることは想像に容易い。リトル・グレースであればあしらうでしょうけど、火種は残しておきたくはないのよ。


「申し……訳、ありません……」


 浅はかでしたとポロポロ涙を落とし始めた姿は取り繕った演技には見えなかった。それは少し大人にはなったけれど、まだ幼さの残る彼女自身のようにも思える。


「私は、ただ、あの方と……」


 話がしたい。彼女が望むのはただそれだけだった。


「ミスティア、顔をお上げなさい。あなたは誰に述懐しているつもりかしら?」

「それは、グレー……」


 目を合わせた彼女は、やがて大きく目を見開かせ、隙間のように空いた口から音が発せられなくなる。頬を伝うものは嵩を増し、わなわなと唇が震えたと思うと、覚えのある喜悦の声を私に聞かせてくれる。


「さくら様!」


 小柄でも女性の身体がテーブルを超えて飛んでくれば、私では受け止められない。そのままソファーごと押し倒されてしまう。痛みを堪える私だけど、そんな不満も口に出せない。なぜなら、

 

「さくら様さくら様さくら様さくら様——」


 私の名前を何度も繰り返し、身体の上で嗚咽する。なんだか前よりもずっと幼く感じられる。あなたシャンティリーに影響を受けすぎよ。

 通りの良い髪を撫でながら好きにさせていると、いつの間にか名前を呼ぶ声が終わっていた。大人しくなり、寝入ってしまったのかと思えば、耳まで真っ赤にして顔を擦り付ける。


「ただいま、ミスティア。心配かけたわね」

「お帰りなさい! さくら様! 心配は……しましたけど、きっと戻ってきてくださると信じてました!」

「応えられてよかったわ。それにしても、さっきまでとは雰囲気が違うのね。無理をしなくてもいいのよ?」


 さっきまでのミスティアは言葉遣いは慇懃であっても、態度は警戒を残していた。それが今では以前と変わりがないぐらい無防備で溌剌とした姿、その温度差に戸惑ってしまう。

 成長したのがあの姿だったのなら、予想とは違うけれど受け入れるわ。教皇ミスティアよりもまだ話ができそうだもの。


「ち、違うんです! あれは、えっと……そう! 態度が違ったら、気にしてくれるかなって……」

「誰が気にするの?」

「…………もういいです! こっちが本当の私ってことにします!」


 ぎゅっとしがみつかれていると、表情がよくわからないわね。だけど近くにいるのなら、ちょうど良いかしら。


「ミスティア」

「はい!」


 少し乱れた髪をはね上げるように顔を見せると、ミスティアは元気よく返事をしてくれる。私の方から少しだけ首を下げると、ちょうどいい高さにあった真っ白な額に軽くキスを落とす。ふわりと通り抜ける花のような香りがとても女の子らしく感じられる。もう少しグレースも女の子っぽくした方が可愛げがあるかしら?


「さ、さくっ、ら様っ!? え、あの、これっ……」

「これまで一人で頑張ってきたのでしょう。今の私にはなにもあげられないから、ご褒美はこれで許してもらえるかしら」


 last_orderのリクエストはミスティアの感情の発露。恥ずかしがったり狼狽える姿が見たいって、歪んだ性癖よね。そんなに見たかったのなら、あんなアフターじゃなく、エピローグにでも組み込みなさい。

 ミスティアはまるで額にあるはずの宝石を慈しむように両手で触れると、そのまま顔を覆って「ありがとうございます」と消え入りそうな小さい声と一緒に身体を丸め、縮こまってしまった。

 どうせ見ているのでしょう? このぐらい可愛らしい反応を見られたら、満足かしら?


◇◇◇


 両手足を投げ出し、体力が危うくなったころ、魔道具からノックの音が響く。そして返事も返せないうちに扉が開かれた。

 現れたのは、リトル・グレースとカリーナの二人。そこには呆れたような引き攣った笑みを浮かべていた。


「やっぱりね。私の勝ちよ、カリーナ」

「そのようですね……さくら様、もう少し慎みを持たれては如何でしょうか?」

「……この状態の私に言うことかしら?」


 大の字で倒れる私の上からミスティアが離れない。身体を起こそうとする度、伸し掛かる力が増して無力化される。大型の犬に懐かれるってこういうことかしらね。シナリオの中でもミスティアは聖女としてダンジョンの救出作戦に参加したり、エンディングの一つでは徒歩で巡礼の旅にも出る。学園に在籍する女生徒の中でもトップクラスの体力を持つだけに、箱入りの私ではなす術もなかったのよ。

 これが悪意を持ったものなら必死に抵抗もするのだけど、戯れてくるのを邪険にするのも気が引けた。なにより、原因は私みたいだし。


「そろそろ離れなさい、ミスティア」

「嫌です! 離れたくありません!」


 ぎゅっと服を掴まれ、掛かる圧力が更に増す。

 あ……そろそろ限界、ね……


「こういうわけだから、手を貸してもらえないかしら?」


 誰かの返事があったようだけど、確認をする前にぷつんと意識が落ちた。

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